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Word Details

中和院

[ちゅうかいん]
平安京大内裏の殿舎の一。 朝堂院の北にあった建物。 天皇が天神地祇(チギ)をまつる所。 新嘗祭(シンジヨウサイ)・神今食(ジンコンジキ)の式などが行われた。 その正殿を神嘉殿(シンカデン)という。 中院。 ちゅうわいん。
→ 大内裏

中和院

[ちゅうわいん]
⇒ ちゅうかいん(中和院)

Related Words

中院

姓氏の一。

中院

(1)上皇が同時に三人以上いる時, 本院の次の上皇をさす称。 なかのいん。 (2)斎宮寮の頭以下の役人の詰め所。 → 内院 → 外院 (3)弓の的で, 三重に書いた黒い輪のうち, 二番目のもの。 (4)「中和院(チユウカイン)」の略。

清和院

その後に廃れていたところ、徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され、清和院の号を朝廷より賜った。 万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが、後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。その際、享禄4年(1531年)に焼失した一条鴨川西岸にあった感応寺の聖観音(

淳和院

淳和院(じゅんないん)は、平安京の右京四条二坊(現在の京都府京都市右京区)にあった淳和天皇の離宮・後院。後に源氏長者が奨学院(大学別曹)とともに別当を務めた。別名・西院(さい / さいいん) 建築された年代は不明であるが、淳和天皇の皇太弟時代の813年(弘仁4年)に実兄の嵯峨天皇が当時南池院と呼ば

中和

秋田県能代市中和(ちゅうわ) 奈良県中部を指す広域地名。奈良県の旧国名「大和」の中部から。 中和区 - 台湾・新北市にある区。2010年まで「中和市」。 中和郡 - 北朝鮮・平壌近郊にある郡。 中和村(ちゅうわむら,ちゅうかそん)- (曖昧さ回避) 中和駅 - (曖昧さ回避) 中和線 - (曖昧さ回避) 中和路教会

済生会中和病院

済生会中和病院(さいせいかいちゅうわびょういん)は、奈良県桜井市にある公的病院。管理型臨床研修病院や地域災害拠点病院、第二種感染症指定医療機関などの指定を受けている。 1954年(昭和29年)6月1日 - 開院。 1965年(昭和40年)1月 - 第一期工事が完成。 1973年(昭和48年)9月 -

中院区

中院区(チュンウォンく)は、大韓民国京畿道城南市北東部に位置する区である。 中院区は11の洞に分かれる。 盆唐線 牡丹駅 ソウル交通公社8号線 南漢山城入口駅※ - 丹垈オゴリ駅※ - 新興駅※ - 寿進駅※ - 牡丹駅※ ※ 南漢山城入口駅・丹垈オゴリ駅・新興駅・寿進駅・牡丹駅(地下鉄)の所在地は

中院家

を維持するために苦労した。応永25年(1410年)に治天である後小松上皇から春日祭の上卿を命じられた通守は経済的理由で上卿としての準備ができないことを述べて辞退したところ、院が実施を厳命したため、朝廷に奉仕できず家名を辱めることを恐れた通守は2月10日に持仏堂にて小刀で自らの喉を

中院町

日本 > 奈良県 > 奈良市 > 中院町 中院町(ちゅういんちょう Chūin-chō)は、奈良県奈良市の中央部、市街地の東部に位置する地区である。郵便番号は630-8392。 奈良県奈良市の中央部、市街地の東部に位置する地区であり、中央をならまち大通りが通っている。国宝の元興寺極楽坊があり、町の

中院流

戒壇が無くなって以降、日本から戒律が消滅してしまったため、唐招提寺で行われていた自誓授戒作法を真言宗が取り入れたもので、懺悔滅罪の礼拝によって戒律の獲得を目指すものであり、懺悔滅罪が主たる目的ではない。礼拝の回数は二度目の四度加行や老齢、病人であれば21遍、それ以外は108遍である。その後に「十八道

晴和病院

べて開放病棟、病床はすべて精神病床である。建て替えのために2020年5月28日から2023年まで休院するが、小石川東京病院で診療を継続する。 デイケアに復職支援プログラムのリワークを取り入れている。当院のほかに東京都で中部総合精神保健福祉センターなどが実施している。 保険医療機関 指定自立支援医療機関(精神通院医療)

中和郡

郡が編入されるとともに、面も統廃合が進められた。1914年の中和郡は、以下の15ヶ面(左列が旧中和郡域、右列が旧祥原郡域)で構成された。 1930年に面の再編が行われ、培和面は看東面に、上道面は楓洞面に、下道面は祥原面に編入され、古生陽面は中和面・東頭面に分割編入され、都合11ヶ面となった。

中和区

中和区(ジョンホー/ちゅうわ-く)は、台湾新北市の区。台北市市中心地へ向かう通勤人口を多数抱えるベッドタウンとしての地位を占めていると同時に、零細印刷工場が密集している地域でもある。 中和区は台北市の南西に位置し、台北市、永和区、新店区、土城区に囲まれた地域である。元来同一地域であった永和区

中和 (唐)

中和(ちゅうわ)は、中国・唐代の皇帝僖宗の治世で用いられた。 881年7月 - 885年3月。 プロジェクト 紀年法 元年:僖宗が成都に蒙塵。 2年:朱温が唐に降伏、朱全忠の名を賜る。 3年:李克用によって長安を回復。 4年:黄巣の乱が平定される。 その他の中和の用例

中和幇

中和幇(ちゅうわほう)は1953年から1956年にかけて台北県中和、永和一帯に存在した小規模の黒社会組織。現在台湾の三大黒社会と称される竹聯幇の前身である。 竹聨幇は1953年頃、孫徳培が現在の台北県中和、永和一帯で組織した中和幇をその起源とする。中和幇は勢力を拡大し中和

中院通冬

関東執事畠山国清が南征のために東国軍を率いて上洛を始めると、これを聞いて狼狽したのか、再び京都に帰参して幕府より出仕免状を取得。ただし、本領安堵は儘ならず、辛うじて後光厳天皇から加賀国額田庄などの安堵を受けるに止まっている。康安元年/正平16年(1361年)3月本座を許されたが、翌年(1362年)秋

中院通村

花の上は 心おくべき 春風もなし あつからぬ ほどとぞいそぐ のる駒の あゆみの塵も 雨のしめりも 一夜あけて 四方の草木の めもはるに うるふ時しる 雨の長閑さ いろどらぬ ただ一筆の すみがきを 都のをちに かすむ峰かな たれとなく 草の枕を かりそめに 行きあふ人も 旅はしたしき 春の夜の みじかき軒端

中院通守

の戦乱や半済令などによる公家領の経営の不安定は多額の費用を必要とする上級公卿には大きく堪えた。また、当時の公家社会において治天の君の勅勘や室町将軍の突鼻(譴責)を受ける事は直ちに家の取り潰しにつながる可能性もあった。こうした中で、上卿の辞退も準備もままならない状況に追い込まれた通守は後小松院の処罰に