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古山師重

「隅田川両国橋之景」 絹本着色 浮世絵太田記念美術館所蔵 ※「日本繪菱川師重圖」の落款、印文不詳の朱文円印あり 「隅田川舟中遊宴図」 絹本着色 浮世絵太田記念美術館所蔵 「大奥花見図」 絹本着色 浮世絵太田記念美術館所蔵 「吉原遊興図屏風」 紙本着色、六曲一双 出光美術館所蔵 ※画中画に「大和繪師重圖」の落款、印文不明の朱筆方印あり

Related Words

古山師胤

※左幅(男)に「逢ことを まちし月日の 程よりも けふのくれこそ ひさしかりけり」の賛と「日本繪菱川師胤圖」の落款、右幅(女)に「ながれの身 もん似あわしき はないかだ」の賛と「大和繪菱川師胤圖」の落款あり。印章はいずれも「師胤」の白文方印。 「時雨西行」 絹本着色 光記念館所蔵 ※「師胤」の朱文

古山師政

古山師政 古山 師政(ふるやま もろまさ、生没年不詳)とは、江戸時代の浮世絵師。 古山師重の子。姓は古山、名は新七郎(一説には新九郎とも)。月々堂、文志、文翅と号す。はじめは菱川昌則と称した。江戸両国の江市長屋に住んでいたと伝わる。『浮世絵類考』の一本には師政について「画法を師宣に学ぶ」と記されて

顔師古

顔 師古(がん しこ、581年 - 645年)は、中国・唐の学者。諱は籀、師古は字である。祖父は顔之推。父は顔思魯。本貫は琅邪郡臨沂県。 顔師古は、『顔氏家訓』の著者である顔之推の嫡孫である。顔氏は琅邪郡臨沂県をそもそもの本貫とするが、顔之推の九世の祖の顔含の時に江南に渡り、東晋の首都建康で暮らした

山師

(1)鉱山の発掘や鉱脈の発見・鑑定をする人。 (2)山林の伐採や立木の売買に従事する人。 (3)投機的な事業で金儲けをたくらむ人。 また, 儲け話を持ちかけて他人を欺く人。 <i>~の玄関</i> 〔山師が玄関を特に立派にすることから〕 みかけばかり立派なたとえ。 こけおどし。

北畠師重

年(1302年)11月中納言へ転正し、嘉元元年(1303年)8月権大納言に任じられた。 嘉元3年(1305年)9月亀山法皇の崩御に際しては素服を賜ったが、除服後の12月には権大納言を辞して、長男親房を権左中弁に申任し、直後に本座を聴許される。徳治2年(1307年)7月後宇多上皇の落飾に殉じて出家し

山法師

比叡山延暦寺の僧徒。 特に, 院政期の僧兵。 → 寺法師 → 奈良法師

山法師

ミズキ科の落葉高木。 各地の低山に自生し, 庭木ともされる。 葉は対生し, 楕円形で先がとがる。 初夏, 小枝の先に白色花弁状の苞を四個つけ, 中央にごく小さい花を密生。 果実は集合果で赤熟し, 食べられる。 材は器具・薪炭材とする。 ヤマグワ。 ﹝季﹞夏。

風師山

風師山(かざしやま)は福岡県北九州市門司区小森江にある山。標高362m。 九州最北端を形成する企救半島に位置し、企救山地を形成する山の1つである。山は風頭岩峰・風師山・風師南峰の3峰から形成される。風師山・戸ノ上山・足立山の3山をもって「企救三山」を形成する。西側のふもとを鹿児島本線・国道3号が、

古内重広

ともに仙台藩奉行職を命ぜられ、藩政の運営にあたった。名取郡岩沼要害を与えられ、2000石が加わり都合2500石となった。寛永19年(1642年)の御竿入りの後、1500石を加増され都合4000石となったが、栗原郡の野谷地の開墾により、10987石余りを加増され、合わせて14987石余りの知行となった

古田重勝

江戸城の石垣普請を命ぜられるなどしたが、慶長11年(1606年)、江戸にて没した。 慶長8年(1603年)1月13日、重勝は織部(重然)の茶会に正客として招かれている(「旁求茶会記」)。相客は稲葉蔵人(道通)、暮松越後守であった。 死後、子の希少丸(重恒)が幼かったため、弟の重治が家督を継いだ。 ^

古田重然

古田 重然(ふるた しげなり、ふるた しげてる)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。古田 織部(ふるた おりべ)の通称で知られる。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下・織部助。 豊臣秀吉・徳川家康の茶頭、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府(柳営)の御

古在由重

『戦時下の唯物論者たち』青木書店 1982 『和魂論ノート』岩波書店 1984 『哲学者の語り口』勁草書房 1992 『古在由重の哲学』こぶし書房 2006 『勇気ある義人 古在由重セレクション』同時代社 2019。太田哲男編 『唯物弁証法入門 「スターリン弁証法的唯物論と史的唯物論」研究』伊藤書店

古谷重綱

した。外務省通商局長、メキシコ駐在、アルゼンチン兼ウルグアイ兼パラグアイの特命全権公使等を歴任。アルゼンチンでは、よく在留邦人の世話をし、「平民公使」として親しまれた。1928年、官を辞しブラジルに移住した。ブラジルでは、80アルケールス(1アルケールスは2町5反)の大農場に、コーヒー栽培、養蚕等

八重山

鹿児島県に位置する山 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。

九重山

787m)を指す場合には久住山も用いている。国土地理院の火山土地条件図では「くじゅう連山」とひらがな表記になっている。日本百名山の一つに数えられ、一帯は阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。 山麓には古く旧竹田領側に九重山白水寺(法華院)、旧肥後領側に久住山猪鹿寺の2つの寺院が開かれ、山号を基にした表記がそれぞれの地域に結びつ

山鳥重

山鳥 重(やまどり あつし、1939年9月29日 - )は、日本の脳科学者。医師。 専門は、神経心理学、失語症・記憶障害などの高次脳機能障害。 兵庫県生まれ。兄は解剖学者・山鳥崇(1932- 神戸大学名誉教授,元神戸大学医学部学部長)。 神戸大学大学院医学研究科修了。1969年神戸大学より医学博士の学位を取得、論文の題は「Role

横山重

『書物捜索』角川書店(上下) 1978-79。鈴木棠三・貴志正造・森川昭編集委員 『横山重自伝』原秋津 1994 『古事記』慶応義塾出版局 1927 『伴信友家集』弥富破摩雄共編 大岡山書店 1932 『中島広足全集』弥富破摩雄共編 大岡山書店 1933 『神道集』安居院 大岡山書店 1934 『物語草子目録』巨橋頼三共編

土師ニサンザイ古墳

整備工事は保全を目的とし、復元的な工事を行わない工法を選択し、「補強土壁工」という工法が用いられた。 割栗石と法面補強ユニットが用いられ、浸食部に良質の土が充填され、植生シートが設置された。施工数か月後には、植生シートと植生土壌の種が芽吹き、墳丘裾は緑で覆われ、割栗石、法面ユニットが見えなくなり、景観に配慮されていることが確認できた。

古鷹山

1978年(昭和53年)に起こった江田島町林野火災では、古鷹山を含む旧江田島町の森林面積の約8割(約1000ha)を焼失する、広島県で最大の林野火災が起こった(詳細は記事参照)。未だに頂上付近の登山道脇には黒く焦げた切株が残っていることから当時を窺い知ることができるという。