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壬申

[じんしん]
干支(エト)の一。 みずのえさる。

Related Words

壬申の乱

壬申の乱(じんしんのらん)は、天武天皇元年6月24日 - 7月23日、(ユリウス暦672年7月24日 - 8月21日)に起こった古代日本最大の内乱である。 天智天皇の太子・大友皇子(1870年(明治3年)に弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の

壬申戸籍

[脚注の使い方] ^ 妾を妻と同等の二等親と定めたのは明治3年(1870年)12月に制定された「新律綱領」(布告第九四四)。 「等親」は、「親等」とは別のもので、「親等」は世代を数えるだけなのに対し、「等親」は続柄の尊卑親疎(そんぴしんそ。親子・婚姻関係)までも考慮したも

壬申約条

恒居倭(三浦(塩浦・釜山浦・乃而浦(薺浦))に定住していた日本人)の廃止。 開港場を薺浦のみに制限。 島主歳遣船(宗氏本宗家が毎年遣わす使送船)を嘉吉条約における50隻から半分の25隻に削減。 宗氏有力庶家名義の歳遣船、特送船(緊急の報告のための遣船)、興利倭船の禁止。 李氏朝鮮から対馬・宗氏への歳賜米・歳賜豆を嘉吉条約の200石から半分の100石に削減する。

壬申の功臣

それでも壬申の乱の功臣は天武天皇のその皇統に属する歴代天皇にとっては、自己の皇統確立に貢献した生き証人たちであり続け、死後も顕彰の対象とされ続けた。壬申の乱から55年後にあたる神亀4年(727年)11月、天武天皇の曾孫にあたる聖武天皇に皇子が生まれた際に官人に真綿が賜与され、更に累世の家の

壬

十干の第九。 みずのえ。

壬

〔水の兄(エ)の意〕 十干(ジツカン)の第九。

申

〔「まうす(申)」の略〕 ⇒ ものもう(物申) ⇒ あんないもう(案内申)

申

(1)十二支の第九番目。 年・日・時刻・方位などに当てる。 しん。 (2)時刻の名。 今の午後四時頃。 また, 午後三時から五時までの間。 または, 午後四時から六時の間。 (3)方角の名。 西から南へ三〇度の方角。

壬午

干支(エト)の一。 みずのえうま。

壬子

壬子(みずのえね、じんすいのねずみ、じんすいのね、じんし)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの49番目で、前は辛亥、次は癸丑である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の子は陽の水で、比和である。 西暦年を60で割って52が余る年が壬子の年となる。 水性が重なることから、「丙午の年には火災が多い」

壬辰

壬辰(みずのえたつ、じんすいのたつ、じんしん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの29番目で、前は辛卯、次は癸巳である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の辰は陽の土で、相剋(土剋水)である。 西暦年を60で割って32が余る年が壬辰の年となる。 すなわち、西暦N(N>0)年が壬辰の年であれば、

壬戌

壬戌(みずのえいぬ、じんすいのいぬ、じんじゅつ)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの59番目で、前は辛酉、次は癸亥である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の戌は陽の土で、相剋(土剋水)である。 西暦年を60で割って2が余る年が壬戌の年となる。 西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の9月

壬寅

壬寅(みずのえとら、じんすいのとら、じんいん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの39番目で、前は辛丑、次は癸卯である。陰陽五行では、十干の壬は陽の水、十二支の寅は陽の木で、相生(水生木)である。 西暦年を60で割って42が余る年が壬寅の年となる。 西暦年の下1桁が2・7(十干が壬・丁)の年の1月が

無壬

呉越春秋の越王無余外伝では、会稽にある禹の墓の祭祀のために、少康がその庶子の無余をこの地に封じたことを越の君主の始まりとする。 越王無余外伝が伝えるところでは、無余は質朴であり民と住居を共にしており、その後十余世を経ると、越の君主は平民となって、祭祀も絶えてしまった。さらに十余年の後、無余

壬生

そのほかの壬生姓の人物は「壬生」で始まるページの一覧を参照。 壬生 (壬生町) - 栃木県下都賀郡壬生町 栃木県下都賀郡壬生町 壬生駅 壬生インターチェンジ 壬生パーキングエリア 壬生城 壬生藩 壬生寺 (栃木県壬生町) 壬生通り 壬生 (京都市) - 京都府京都市 壬生駅 (京都府) 壬生川通 壬生浪士

丙申

丙申(ひのえさる、へいかのさる、へいしん)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの33番目で、前は乙未、次は丁酉である。陰陽五行では、十干の丙は陽の火、十二支の申は陽の金で、相剋(火剋金)である。 西暦年を60で割って36が余る年が丙申の年となる。 西暦年の下1桁が1・6(十干が辛・丙)の年の7月が丙

申恬

申 恬(しん てん、388年 - 456年)は、南朝宋の官僚・軍人。字は公休。本貫は魏郡魏県。 申宣(申鍾の孫)の子として生まれた。はじめ劉道憐の下で驃騎行参軍をつとめた。永初元年(420年)、劉裕が帝位につくと、申恬は東宮殿中将軍となった。宮中に宿直すること10年に及んだが、休息を求めることがな

申楽

(1)軽業(カルワザ)・奇術や滑稽な物まねなどの演芸。 奈良時代に唐から伝来した散楽(サンガク)を母胎につくり出されたもの。 鎌倉時代頃からこれを職業とする者が各地の神社に隷属して祭礼などに興行し, 座を結んで一般庶民にも愛好された。 室町時代になると, 田楽や曲舞(クセマイ)などの要素もとり入れ, 観阿弥・世阿弥父子により能楽として大成される。 さるごう。 (2)能楽の旧称。

内申

内々に申し伝えること。 また, その文書。 「職員の採用に関して~する」