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天別豊姫神社

ちにその奥の小中山に遷座したとされる。同じ備後国内には、 豊玉姫命の父・豊玉彦命(大綿津見命)を祀る沼名前神社(福山市鞆町)や、夫・蘇羅比古(彦火火出見命)を祀る蘇羅比古神社(庄原市)があり、当社はその中間に位置する。 国史では、元慶2年(878年)に「天別豊姫神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記されている。

Related Words

天豊足柄姫命神社

信寛この地方を治める事になって朝廷に敬神の念あるを申し上げ石神の由縁のある処となってその後復興に萌え茲に新しく御殿を造ってお祭りをし県社とすることを議り県民をして末永く尊崇するようにしむけた この事をしるす為に石に刻みつけた 明治七年一月 — 浜田県県令正六位 佐藤信寛撰、碑文の解説 式内社研究会編『式内社調査報告

神社姫

[脚注の使い方] ^ 「ころり」はのちにコレラを指したが、このときはまだ日本に未上陸。 ^ 兆候として"北斗星の片傍に箒星出る"と彩色画(国立歴史民俗博物館蔵)の詞にはみえる。 ^ a b c d 香川雅信 (2020年03月19日), “予言するモンスターたち――アマビエ、人魚、件くだん、そして”

豊岡上天神社

岡豊城のある岡豊山の西南麓に鎮座する。 祭神は次の1柱。 屋船豊宇気姫命 『土佐国式社考』では、社名「豊岡」と神名「豊宇気姫(豊宇賀能売)」の関連が指摘されている。 由緒は不詳。当地の開拓にあたり農業神の豊宇気姫命(豊受姫命)を奉斎したことに始まるといわれる。元々は岡豊山の山上にあったが、岡豊城築城にあたり移されたとも伝わる。

天忍穂別神社

しほわけじんじゃ)は、高知県香南市香我美町山川にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 天忍穂耳尊 饒速日命の父神。 境内神社:棚機神社 棚機津女(たなばたつめ)=天萬栲幡千々姫(あめのよろずたくはたちぢひめ)=栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ)は天忍穂耳尊の妻。 創祀年代不詳である。

天岩戸別神社

社伝は大川原高原中腹にあり、奥の院は天石門によって祀られた神陵となっている。江戸時代中期の享保頃より徳島藩主の蜂須賀家から金幣、幟、灯籠が奉納されている。 天手力男神 天照皇太神 豊受皇太神 徳島バス佐那河内線「北山」下車、徒歩約60分。 『角川日本地名大辞典 36 徳島県』(1986年 ISBN 4040013603) 天岩戸別神社(三社)

姫嶋神社

創建不明。当地は難波八十島の姫島の旧地で、『摂津風土記』に女神が新羅より遁れて来た比売島松原をこの地とする説がある。 明治5年(1872年) - 郷社に列す。 明治43年(1910年) - 鷺洲の鼻川神社を合祀。 大正2年(1913年) - 神饌幣帛料供進社に指定される。 大正13年(1924年) - 鼻川神社が独立。

鹿島天足別神社

化5年(西暦1848年)より始めて今日に至る。 当社には、大干ばつの際に黒川郡内こぞっての雨乞いがされた。 寛永6年(西暦1853年)7月9日より三日三夜、大肝入はじめ郡内一同が参詣し、13日には降雨があった。御礼として本社屋根の葺き替えを奉仕した。 元治元年(西暦1864年)5月23日、大肝入や組

豊国神社

豊国神社・豊國神社(とよくにじんじゃ、ほうこくじんじゃ)は、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社である。秀吉の生涯に縁のある各地に鎮座する。各地の事情により、合祀されている諸神や摂社の諸神に特徴がある。 豊国神社 (金沢市)(とよくにじんじゃ) 石川県金沢市に鎮座。1616年創建、豊臣秀吉を祀る。加賀

豊満神社

左甚五郎が作ったといわれる菱形の格子戸が拝殿にあり、かつてはこの格子戸は四脚門に設置されていたとされる。 勝運伝説の竹林 - 四脚門から出て参道の左側に現在も残る。 境内社として、摂社の樹下神社・八大龍王社と末社の津島神社がある。 四脚門 左甚五郎伝説の格子戸 勝運伝説の竹林 四脚門 - 1902年(明治35年)指定。 [脚注の使い方]

豊積神社

(このはなさくやひめのみこと) 社伝では、延暦10年(791年)の創建であるという。また坂上田村麻呂は東征の途中で戦勝を祈願、そして帰途に戦勝祝いとして神楽を奉納したといい、お太鼓祭(県指定無形民俗文化財)の起源はその神楽にあるという。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では駿河国廬原郡(庵原郡)に「豊積神社」と記載

別天津神

別天津神(ことあまつかみ)は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々である。神世七代、天津神・国津神、三貴神(地神五代)などに先行する神。 『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも独神として成って、そのまま身を隠したという。 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

別表神社

、1946年の神社本庁発足当初から神社本庁との被包括関係にないものである。 [脚注の使い方] ^ 井上寛司 『日本中世国家と諸国一宮制』(中世史研究叢書 16) 岩田書院、2009年、55頁。 ^ 神社本庁から離脱する神社規則変更を決議した年。離脱をめぐり係争となり、2010年の最高裁判決により確定

姫路神社 (姫路市)

、酒井家遠祖の新田義貞の裔、酒井正親を祀る神社を神東郡姫路本町50・51・52番地に創建した。これが姫路神社の起こりである。明治17年(1884年)には県社に列せられている。 旧社域は民家に隣接し狭隘だったため、大正14年(1925年)11月、現在地に当たる姫路城内の官有地1974坪余を大蔵省から買

天豊足柄姫命

龍岩神社(邑智郡邑南町八色石) [脚注の使い方] ^ 浜田古事抜粋より独酔園独醒『石見海底能伊久里』に引用されたものを要約した。 ^ 『那賀郡誌』に記載された内容を要約した。 工藤忠孝編『石見国名所和歌集成』 石見地方未刊資料研究会、1977年、53頁。 ※独酔園独醒『石見海底の伊久里』収録

天棚機姫神

天棚機姫神(あめたなばたひめ)は日本神話に登場する女神である。天八千千比売命や天衣織女命という別名がある。また機織の神であることから栲幡千千姫命と同一神という説がある。 古語拾遺に登場する。天照大御神が天岩戸から誘い出すために、神衣和衣を織ったとされている。天羽槌雄神と共に機織の神として知られている。天棚機姫神は、天

豊玉姫神社 (南九州市)

)の下に宮居をお定めになって、知覧を宰領されたという。 この本来行くべき所と逆に取り違えて行ったというのが、取違という地名の由来になっている。鬢水峠には、豊玉姫が腰掛けられたと伝わる石「腰掛石」がある。 一方、取違から川辺へと向かわれた玉依姫は、飯倉山の麓に居を構えられたという。後にこの飯倉山には

邇保姫神社

邇保姫神社(にほひめじんじゃ)は、広島県広島市南区西本浦町にある神社である。旧社格は村社。旧称正八幡宮。 爾保都比売神(にほつひめのかみ)を主祭神とし、帯中津日子神(仲哀天皇)・息長帯日売神(神功皇后)・品陀和氣神(応神天皇)を配祀する。邇保都比売神は、神名から丹生都姫

天王神社

天王神社(てんのうじんじゃ、てんおうじんじゃ)、天王社(てんのうしゃ、てんおうしゃ)は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社。特に、津島神社(愛知県津島市)系統の神社にこの名称が使われることが見られる。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、祇園神社、広峯神社、

天竹神社

神仏分離により地蔵堂から分離。「天竹神社」と改称する。 新波陀神 この地に漂着した崑崙人を綿の神としたものである。新波陀(にいはた)は綿を意味するという。 棉祖祭 10月の第4日曜日に行われる神事。 古式の道具を用い棉打ちの儀式が行われる。また、崑崙人が船で漂着したことにちなんで、船神輿が担がれる。