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Word Details

峻刻

[しゅんこく]
きびしすぎて情愛に流されない・こと(さま)。
「~なる法官の威容/義血侠血(鏡花)」

Related Words

刻刻

⇒ こっこく(刻刻)

刻刻

〔「こくこく」の転〕 ※一※ (名) 時間の一区切り一区切り。 一刻ごと。 「時々~」 ※二※ (副) 時間の経過につれて情勢の変化するさま。 刻一刻。 「雲の形が~(に)変わる」「発車の時は~(と)迫ってくる」

刻刻

ずたずたに切りきざむさま。 きだきだ。 「悲しみの腸(ハラワタ)~に断(タ)つとは/浄瑠璃・傾城酒呑童子」

刻刻

※一※ (名・形動) 鋸(ノコギリ)の歯のようなきざみ目。 また, それが連続的についているさま。 「~のある葉」「~な岩礁」 ※二※ (副) 鋸の歯のようなきざみ目が連続してついているようす。 「~した稜線」「葉のふちが~している」

蘇峻

逸。子は蘇碩。西晋末期の動乱による流民を糾合して豪族として台頭し、東晋の建国と共に官位を得て軍功を挙げた。しかし後に東晋朝廷からの警戒が強まると朝廷への反乱を起こし(蘇峻の乱)、首都建康を陥落させるまでに至ったが、その後の会戦にて優勢に驕って少数の兵で敵陣へと攻め込んだ結果、落馬して戦死した。

孫峻

孫 峻(そん しゅん)は、中国三国時代の武将・政治家。字は子遠。呉の皇族である孫氏の一族。曾祖父は孫静。祖父は孫暠。父は孫恭。伯父は孫綽・孫超。従弟は孫憲・孫綝・孫拠・孫恩・孫幹・孫闓。『三国志』呉志に伝がある。 父は呉に仕え、散騎常侍にまでなっている。孫峻は馬術・弓術に巧みで、思い切りが良かったという。

峻厳

(1)いかめしくきびしい・こと(さま)。 「~な態度」「~に自己を難詰した彼も/彷徨(潤一郎)」 (2)(山などが)高くけわしいさま。 「~な山なみ」

峻嶺

高くそびえる山。 峻峰。

峻峭

(1)高くけわしいさま。 (2)きびしくおごそかなさま。 「禅の機鋒は~なもので/吾輩は猫である(漱石)」

峻酷

きびしすぎて情愛に流されない・こと(さま)。 「~なる法官の威容/義血侠血(鏡花)」

峻峰

高くけわしいみね。 峻嶺。

急峻

傾斜が急で険しい・こと(さま)。 「~な岩場」「~立てるが如き勾配/日光山の奥(花袋)」

曹峻

曹 峻(そう しゅん、? - 259年)は、中国後漢末期から三国時代の人物。字は子安。魏の皇族。父は曹操。母は秦夫人。同母兄弟は曹玹。 建安21年(216年)、郿侯に封じられた。建安22年(217年)には襄邑侯に転封となった。 黄初2年(221年)、襄邑公に爵位が昇進した。黄初3年(222年)に陳

高峻

建武7年(31年)、隗囂が漢に叛くと、高峻は朝那(安定郡)で漢将王常と交戦したが、敗北した。その後、降伏を促す光武帝の詔書を馬援から受け取ると、高峻は漢に降伏し、これにより、漢軍は河西方面への道が開ける。高峻は、中郎将来歙を通して、通路将軍に任命され、関内侯に封じられた。 建武8年(32年)、高峻

任峻

また真ん中の子である任覧は関内侯に封じられた。 任峻は寛大にして度量があり、物事を行なうことに合理性があった。意見を述べるたびに、曹操からその多くを善言であると評価された。飢饉の際には、友人の孤児たちを世話し、一族内の貧困者をも救援したため、信義がある人物と評価された。

霍峻

峻(かく しゅん、180年 - 219年)は、中国後漢末期の武将。字は仲邈。荊州南郡枝江県の人。兄は霍篤。子は霍弋。 兄の霍篤の死後、劉表の命により霍峻はその私兵を受け継いだ。建安13年(208年)に劉表が死去すると劉備に仕え、中郎将に任命された。 建安17年(212年)、劉備の入蜀に際し、霍峻

邱峻

農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦 2000年 0-1(×睦鎮碩) 2009年 0-1(×姜東潤) 千灯杯海峡両岸都市囲棋対抗戦 2011年 1-1(×林至涵、○陳詩淵) 国手山脈杯国際囲棋戦 2014年 2-1(×金顕燦、○金昇宰、○金顕燦) 国内棋戦 新人王戦 準優勝 1999、2002年 棋聖戦 六段戦優勝 2001年

周峻

この一連の騒動に対して裴松之は「折角うまく退却したのにどうしてわざわざ取るに足らない小県を襲って数千もの人々を殺したのか。その程度で魏は揺るがず、ただ民衆を惨たらしい目にあわせただけではないか。これだから孫権から三代も下らずに国は滅びたのだ」と痛烈に批判している。 ^ また裴松之が言うには「この所業は、林を薙

刻

きざみ目。 きざみ。