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王玄應

^ 『隋書』巻85列伝第五十「王充伝」:未幾,李密破化及還,其勁兵良馬多戰死,士卒皆倦。充欲乘其敝而撃之,恐人不一,乃假託鬼神,言夢見周公,乃立祠於洛水之上,遣巫宣言周公欲令僕射急討李密,當有大功,不則兵皆疫死。充兵多楚人,俗信妖妄,故出此言以惑之。眾皆請戰。充簡練精勇,得二萬餘人,馬千

Related Words

王玄恕

『旧唐書』巻54列伝第四「王世充伝」:秦王以世充至長安,高祖數其罪,世充對曰:「計臣之罪,誠不容誅,但陛下愛子秦王許臣不死。」高祖乃釋之。與兄芮、妻、子同徙於蜀,將行,為仇人定州刺史獨孤修德所殺。子玄應及兄世偉等在路謀叛,伏誅。 ^ 『新唐書』巻85列伝第十「王世充伝」:五月,王擒建德,並獲王琬、長孫安世,俘示東都城下,

王玄謨

劉裕が徐州にいたとき、玄謨は召し出されて従事史となった。景平2年(424年)、謝晦が荊州刺史となると、玄謨はその下で南蛮行参軍・武寧郡太守となった。元嘉3年(426年)、謝晦が敗死したが、玄謨は主要な部将ではなかったため罪に問われず、原職にもどされた。元嘉年間、長沙王劉義欣の

應

應侯、周の武王の子。 應侯見工、《應侯見工簋》に見える。名は見工。西周中期前段期の人。 應釐公、《應侯爯盨》に見える。西周中期前段期の人。子に應侯爯がいる。 應侯爯、《應侯爯盨》に見える。名は爯。西周中期前段期の人。父は應釐公。 應侯、《應侯簋》に見える。西周中期の人。夫人は生杙姜。

玄玄碁経

戸時代から現在に至るまで囲碁の勉強に活用されている。『玄玄集』、『玄々碁経』と記されることもある。 南宋代の終り頃、廬陵の生まれで当時の強者であった厳師(字は徳甫)と晏天章が共同で編纂し、これを元の至正7年(1347年)、学者である虞集が再編して出版した。元々は「玄玄経」の題だったが、虞集が「玄玄棋

祥應寺

コノテガシワ(児の手柏)は万葉集に登場する。作者の背奈行文は武蔵国分寺を創建した高倉福信の叔父であり、祥應寺のコノテガシワは背奈氏ゆかりの植物といわれている。 典薬寮の記録にコノテガシワの種子である「柏子仁」の名が出てくることから、コノテガシワは薬用として古い時代から渡来人によって齎されていた。 祥應寺の

慶應BRB

慶應BRB(けいおうブルー・レッド・ブルー)は慶應義塾体育会ソッカー部(以下「慶大ソッカー部」)の卒業生を主なメンバーとするサッカークラブ。活動時期によって以下の2つがあり、それぞれこの記事内で記載する。 1921年に慶應ブルー・サッカー倶楽部として創設し、慶大ソッカー部のOBチームとして活動した

金應善

派大使随行員として訪日した際は、日本政府から勲六等単光旭日章を授与された。 1907年(明治40年)に大韓帝国軍が解散すると、大韓帝国皇太子・李垠の陪従武官に任ぜられ、ほぼ時を同じくして、日露戦争での戦功により、日本政府から勲五等双光旭日章及び恩賜金500円を授与された。同年11月に李垠の日本留学に

應蘭芳

應 蘭芳(おう らんふぁん、1938年(昭和13年)3月9日 - )は、日本の女優、歌手。旧芸名は応 蘭芳。本名は応 仲奇。日本名は三瀬 滋子(さんのせ しげこ)だったが、1981年に結婚し近藤 滋子になった。身長160cm、B90cm、W60cm、H90cm(1969年1月時点)。第一協団( -

李應俊

1955年に予備役編入となった後は、逓信部長官に就任し、1967年には韓国反共連盟理事長に就任した。1972年には、反共有功者報国勲章統一章を授与され、1979年には国政諮問委員、1980年には国防政策諮問委員長、国土統一院顧問なども務めた。

龍應台

学の孔梁巧玲傑出人文学者、台湾の国立清華大学の主任教授に就任した。 2009年には、国立成功大学から李国鼎(英語版)賞を受賞した。 2008年には『目送(英語版)』が出版され、アジア全域で人気を博した。この本は、龍が遭遇した困難や障害、特に家族との関係を描いた74の散文作品を集めたものである。

玄部

ウィクショナリーに玄部の項目があります。 玄部(げんぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。 康熙字典214部首では95番目に置かれる(5画の最初、午集の最初)。 「玄」の字は黒色を表す。天空の色とされ、大地の黄色とともに「天地玄黄」と併称される。 「黒」との違いは『説文解字』に「黒くて赤があるものを『玄』という」とある。

玄同

〔老子「和其光, 同其塵, 是謂玄同」より〕 彼我の差別を立てることなく俗世間と一体になること。 和光同塵。

玄孫

〔「やしわご」の転〕 孫の孫。 曾孫の子。

玄麦

精白していない麦。

玄孫

孫の孫。 曾孫の子。 やしゃご。

玄孫

やしゃご。 玄孫(ゲンソン)。 [和名抄]

玄黄

(1)天の黒い色と大地の黄色と。 天と地と。 (2)〔黒い馬が病気をすると黄変するということから〕 馬の病気の名。

玄鳥

ツバメの異名。

玄関

〔近世には「げんか」とも〕 (1)一般に, 建物の正面の出入り口。 (2)〔仏〕(ア)禅にはいる入り口。 禅学の入門。 (イ)禅寺の方丈に突出して設けられた, 出入りのためのところ。 門。 (ウ)禅修行の過程で重要ないし困難な部分。 (3)近世の住宅で, 式台の前の駕籠(カゴ)をおろすための低い板敷きの部分。 また, 式台を含めた出入り口の全体。 (4)〔玄関を構えることを許されていたことから〕 江戸の町名主をいう。 〔(2)が原義〕 <i>~を張・る</i> 玄関だけを立派にする。 外観を飾る。