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Word Details

田付辰子

NCID BA47742167。  ^ 改版。田付たつ子『パリの甃(いしだたみ)』大日本雄弁会講談社〈ミリオンブックス〉、1956年。 NCID BN09898924。  ^ a b c 改版。「パリの甃」「パリの俄雨」「パリの雀」を一冊にまとめたもの。田付たつ子『パリの甃』アサヒ・アート出版局、1979年。

Related Words

付子

トリカブトの塊根。 アコニチンそのほかのアルカロイドを含む。 劇薬。 身体諸機能の衰弱・失調の回復・興奮に, また鎮痛に用いる。 烏頭(ウズ)。 ぶす。

付子

(1)「ぶし(付子)」に同じ。 (2)〔(1) の毒が恐ろしがられたことから〕 いとうべきもの。 きらいなもの。 「(雷ハ)われらが~/浄瑠璃・浦島年代記」

付子

ヌルデの若葉などに寄生したヌルデノミミフシが作る瘤状(コブジヨウ)の虫癭(チユウエイ)。 紡錘形でタンニンを多く含み, 染織・インク製造に用いるほか, 昔は婦人のお歯黒に用いられた。 ごばいし。 ﹝季﹞秋。

木付子

キブシ科の落葉小高木。 山野に生える。 葉は卵形。 雌雄異株。 早春, 葉に先立って淡黄色の小花を密生した花穂を垂らす。 花後, 卵球形の小果を結ぶ。 果実は五倍子(フシ)の代用にする。 通条花。

付(け)子

鳴き声のよいウグイスやホオジロのそばに, 同類の鳥の雛をつけて, その音色を学ばせること。 また, そのつけておく雛。

田付流

鉄砲方として勤めた。国産の火縄銃を扱う外記流の井上家に対し、田付流は主に外国産の火縄銃や大筒を担当した。江戸時代初期は500石の旗本で、3代目田付景利からは火付盗賊改方も兼任する。 田付流の火縄銃は銃床が直線に切断されている特徴がある。 江戸田付・大田付とも称される。

辰巳典子

辰巳 典子(たつみ のりこ、1947年10月12日 - )は、日本の女優である。出生名は平賀 千代(ひらが ちよ)。初期には達見 典子、辰見 典子、辰巳 のり子、あるいは辰己 典子と表記されることもあった。高校を中退したハイティーンのころに上京してヌードモデルになり、1967年(昭和42年)に女優に

辰巳泰子

『サラダ記念日』の2年後で、豊かさの中の軽み、明るさ、という時代風潮にあって、独自の存在感をもっていた。もてあますようなリアルな肉体感覚と生活感をふとぶとと歌い上げる作品は、都会的な表層に紛れ込まない強みがあった。 1998年、夫と編集プロダクション海門イデアを設立。1999-2001年、文芸誌「月

金子辰雄

10代とともに 味ごのみGOLD(ブルボン) 『上手な話し方教室』日本文芸社, 1977.3 『ふれあい2000万人の「のど自慢」』講談社, 1988.8 『心がかよう会話術 35万人に教えられた人づきあいの極意』(Just books) 河出書房新社, 1997.1 表示 編集

辰巳浜子

1946年(昭和21年)6月、芳雄が無事に帰国する。 1953年(昭和28年)8月 名古屋市昭和区広路町に転居。香道の志野流宗家に入門する。自宅近くに聖霊会(聖霊奉侍布教修道女会)の修道院と病院があり、病院の厨房で料理の指導を行う。この時からカトリック教会との交流が始まり、修道女たちを主な対象として全国で講演や実技指導を行うようになる。

辰巳芳子

『平群 辰巳秋冬遺句集』、1987年 『辰巳芳子のことことふっくら豆料理:母の味・世界の味』、農山漁村文化協会 1991年 『竹柏 辰巳秋冬遺稿集』、1992年 『辰巳芳子が薦めるぜひ取り寄せたい確かな味』、料理通信社 1996年 『辰巳芳子の家庭料理の世界 「手しおにかける食」の提案』別冊太陽、平凡社 2002年

黒田辰秋

1982年6月4日)は、漆芸家、木工家。京都市祇園生まれ。 刳物、指物などの木工と乾漆、螺鈿などの漆芸で幅広く知られる。 1904年(明治37年) 漆匠、黒田亀吉を父に生まれる。 1923年(大正12年) 京都市美術工芸展に『螺鈿竜文卓』を出品。京都市が買い上げ。

山田辰業

、下野国塩谷郡山田城主・山田寛業の子として誕生。 天正12年(1584年)8月初め、主君・塩谷義綱の命により、那須氏領の薄葉・平沢に攻め寄せた。この際、山田勢は青田刈りを行い、那須記は「青稲を刈り馬草とす。民難儀に及ぶこと度々なり」と記す。同18日、那須氏の一族である福原資孝・資広父子が出陣し、山田勢は撤退するが、この一件は、両者の間に遺恨を残すことになった。

植田辰哉

ちりと整った髪形で(ジャージでなく)スーツ姿で臨んだ。 また、植田は基礎体力を中心に行う凄まじい練習量を課すことで知られる。また「茶髪」「ろくに挨拶も出来ない」「国歌斉唱の際知らん振りで口を閉じている」選手は要らないと公言している。その一方、選手には「頑張ろう

岸田辰彌

歌劇「山の悲劇」(1922年、1924年) 喜歌劇「牧神の戯れ」(1922年) 歌劇「ラッサの女王」(1922年) 喜歌劇「ジュリアの結婚」(1922年) 喜歌劇「あこがれ」(1923年) 歌劇「アミナの死」(1923年) 喜歌劇「權利」(1923年) 歌劇「ドーバンの首」(1923年) 喜歌劇「ガリガリ博士」(1923年)

山田辰夫

- 山崎刑事 検事・霞夕子16「予期せぬ花束」(2000年7月25日) - 高田廣志 弁護士・朝日岳之助15「北上川殺人暮色」(2000年9月19日) - 坂崎史朗 検事・霞夕子19「犬を飼う女」(2002年4月16日) - 田辺 善三 「迂回路」(2003年11月) -

前田宗辰

前田 宗辰(まえだ むねとき)は、加賀藩の第6代藩主。加賀前田家7代。先代藩主・前田吉徳の長男。母は側室の浄珠院(上坂以与)。幼名は勝丸、犬千代。通称は又左衛門。初名は利勝(としかつ)。正室は会津藩主・松平正容の娘・常姫(梅園院)。続く4代の藩主(重煕、重靖、重教、治脩)の異母兄・長兄にあたる。

織田忠辰

織田 忠辰(おだ ただとき/ただたつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。津田姓も名乗った。小田井城主。 織田氏(藤左衛門家)・織田信直の次男として誕生。 織田信忠、信雄に仕え、天正12年(1584年)に起こった小牧・長久手の戦いの後、羽柴秀吉によって小田井城を追われた。この城はやがて廃

黒田辰男

1935  ゲーテ論攷 叢文閣 1936 人間は皮膚を変へる ブルーノ・ヤセンスキイ 白揚社 1937 家族の記録 アクサーコフ 新世界文学全集 河出書房 1943 のち岩波文庫  ミケランジェロ /ドミートリイ・メレジコーフスキイ 太陽出版社 1944 トルストイ評伝 ニコライ・グーヂィ 創芸社 1946