Logo
Home
Lessons
Notebook
Dictionary
JLPT Test
Video
Upgrade
Feedback
Logo
Home
Lessons
Notebook
Dictionary
JLPT Test
Video
Upgrade
Feedback
Todaii Japanese
Switch language – current: en
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

About Todaii Japanese

Brand StoryFAQsUser GuideTerms & PolicyRefund Information

Social Network

Logo facebookLogo instagram

App Version

AppstoreGoogle play

Other Apps

Todaii German
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

Copyright belongs to eUp Technology JSC

Copyright@2026

Dictionary

Word Details

瘧

[おこり]
一定の周期で発熱し, 悪寒やふるえのおこる病気。 マラリア性の熱病の昔の名称。 わらわやみ。 おこりやみ。 ﹝季﹞夏。
<i>~が落・ちる</i>
熱にうかされたように夢中になっていた状態からさめる。
<i>~を落と・す</i>
瘧をなおす。

瘧

[わらわやみ]
〔「童病み」の意か〕
間欠熱の出る病気。 おこり。
「~にわづらひ給ひて/源氏(若紫)」

瘧

[えやみ]
(1)悪性の流行病。 やくびょう。 ときのけ。 えきびょう。 《疫病》「その年, この村の在家ことごとく~をして, 死ぬる者おほかりけり/宇治拾遺 4」
(2)おこり。 今のマラリアのような病気。 わらわやみ。 《瘧》 [和名抄]

瘧

[ぎゃく]
マラリアの漢名。 おこり。 わらわやみ。 ﹝季﹞夏。

Related Words

瘧鬼

記されている。 『和名類聚抄』では「瘧鬼」は「えやみのおに」と訓まれている。 ^ 『捜神記』458頁。 ^ 澤田, p. 92-97 ^ 澤田, p. 104 澤田瑞穂『中国の呪法』(修訂)平河出版社、1984年、91-107頁。ISBN 978-4-89203-086-4。  干宝『捜神記』竹田晃訳、平凡社〈平凡社ライブラリー

堀親貞

妻には死別され、その間に生まれた7人の子女全てに先立たれた。このため、親常を養嗣子に迎えた。貞享2年(1685年)11月18日、越後高田城の在番中に瘧にかかって死去した。享年46。跡を親常が継いだ。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。 父母 堀親昌(父) 浄心院 - 三条西実条の娘(母) 正室、継室 貞安院

ジョアン・ギマランエス・ローザ

O mistério de Highmore Hall e Makiné (1929) Magma (1936) Sagarana (1946) 瘧 Com o Vaqueiro Mariano ( 1947) Corpo de Baile (1956) Grande Sertão: Veredas

言継卿記

日」、自身の家族の年齢と「衰日」を列記している。 経済的に困窮していた言継は、その医薬の知識を用いて製薬の副業を営んでいた。永禄9年(1566年)、自らの妻が瘧病に罹患した際には、その病状を記録している。この診療録は「中世における瘧

高木友枝

(1920年6月20日). 2020年4月26日閲覧。 中央研究院 數位文化中心 ^ (繁体字中国語)容世明 (2017年9月). “熱帶醫學的知識流通與國際網絡:臺灣瘧疾研究、遠東熱帶醫學會及其他國際交流平臺”. 《臺灣史研究》 (中央研究院 臺灣史研究所) (第二十四卷 第三期): 250. ISSN 1024-2805

半井成近

れて徳川家光に仕えた。この年、祖父の半井成信(3代驢庵、瑞桂)は通仙院を号し、剃髪した成近に驢庵の号を譲った。寛永5年(1628年)には家光の疱瘡や瘧疾に対して調薬を行った。寛永7年(1630年)には幕府からの執奏により、朝廷から素絹の着用を許された。 寛永8年(1631年)の年頭には奥医師の筆頭と

北条重時

病で出家したため、6代執権には長時が就任している。 同年、赤痢が猛威をふるい、宇都宮経綱に嫁いでいた重時の娘がこれが原因で死去している。 弘長元年(1261年)6月1日、重時は病に倒れた。『吾妻鏡』では厠で「怪異」により「心神網然」になったとされ、以後は「瘧病