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癸丑

癸丑(みずのとうし、きすいのうし、きちゅう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの50番目で、前は壬子、次は甲寅である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の丑は陰の土で、相剋(土剋水)である。 西暦年を60で割って53が余る年が癸丑の年となる。 西暦年の下1桁が2・7(十干が壬・丁)の年の12月

Related Words

癸

十干の第一〇。 みずのと。

癸

〔「水の弟(オト)」の意〕 十干(ジツカン)の第十。

丑

(1)十二支の第二番目。 年・日・時刻・方位などにあてる。 (2)時刻の名。 今の午前二時頃。 また, 午前一時から三時。 または, 午前二時から四時までの間。 丑の刻。 丑の時。 (3)方角の名。 北から東へ三〇度の方角。

癸巳

癸巳(みずのとみ、きすいのみ、きし)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの30番目で、前は壬辰、次は甲午である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の巳は陰の火で、相剋(水剋火)である。 西暦年を60で割って33が余る年が癸巳の年となる。 西暦年の下1桁が1・6(十干が辛・丙)の年の4月が癸巳の月

癸亥

癸亥(みずのとい、きすいのいのしし、きがい)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの60番目(最後)で、前は壬戌、次は甲子である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の亥は陰の水で、比和である。 西暦年を60で割って3が余る年が癸亥の年となる。 西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の10月が癸亥

癸未

癸未(みずのとひつじ、きすいのひつじ、きび)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの20番目で、前は壬午、次は甲申である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の未は陰の土で、相剋(土剋水)である。 西暦年を60で割って23が余る年が癸未の年となる。 西暦年の下1桁が0・5(十干が庚・乙)の年の6月が

癸卯

癸卯(みずのとう、きすいのうさぎ、きすいのう、きぼう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの40番目で、前は壬寅、次は甲辰である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の卯は陰の木で、相生(水生木)である。 西暦年を60で割って43が余る年が癸卯の年となる。 西暦年の下1桁が2・7(十干が壬・丁)の

癸酉

癸酉(みずのととり、きすいのとり、きゆう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの10番目で、前は壬申、次は甲戌である。陰陽五行では、十干の癸は陰の水、十二支の酉は陰の金で、相生(金生水)である。 西暦年を60で割って13が余る年が癸酉の年となる。 西暦年の下1桁が4・9(十干が甲・己)の年の8月が癸酉の月となる。ただしここでいう月

癸公

癸公(きこう)は、斉の君主。周の懿王末年に薨去し、子の哀公が跡を継いだ。 表示 編集

丑寅

方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。 北東の方角。 鬼門(キモン)にあたる。

丁丑

丁丑(ひのとうし、ていかのうし、ていちゅう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの14番目で、前は丙子、次は戊寅である。陰陽五行では、十干の丁は陰の火、十二支の丑は陰の土で、相生(火生土)である。 西暦年を60で割って17が余る年が丁丑の年となる。 西暦年の下1桁が4・9(十干が甲・己)の年の12月

己丑

西暦年を60で割って29が余る年が己丑の年となる。 西暦年の下1桁が0・5(十干が庚・乙)の年の12月が己丑の月となる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月(小寒から立春の前日まで)を適用する場合もある。 己丑の日の選日は以下の通り。 己丑の日は十方暮の6日目である。 「己丑」で始まるページの一覧 タイトルに「己丑」を含むページの一覧

乙丑

乙丑(きのとうし、おつぼくのうし、いっちゅう)は、干支の一つ。 干支の組み合わせの2番目で、前は甲子、次は丙寅である。陰陽五行では、十干の乙は陰の木、十二支の丑は陰の土で、相剋(木剋土)である。 西暦年を60で割って5が余る年が乙丑の年となる。 西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の12月が乙

辛丑

辛丑和約(北京議定書)が調印される。 西暦年の下1桁が1・6(十干が辛・丙)の年の12月が辛丑の月となる。ただしここでいう月は、旧暦の月や節月(小寒から立春の前日まで)を適用する場合もある。 辛丑の日は天一天上の9日目である。 「辛丑」で始まるページの一覧 タイトルに「辛丑」を含むページの一覧

癸酉靖難

癸酉靖難(きゆうせいなん、계유정난 )は、李氏朝鮮の第6代国王端宗の即位1年後の1453年10月に、幼い国王の叔父にあたる首陽大君(のちの世祖)が、皇甫仁、金宗瑞らの顧命大臣を殺害して政権を奪取した宮廷クーデター事件。 事件の発端は、1452年5月、世宗の長男であり後継者の文宗が即位2年余りで病死し、王世子の弘暐(の

斉藤丑松

少年航空兵の歌(レコードの編曲は深海善次。) 空ゆかば(吉田俊雄作詞。) 意想曲「潜水艦」(梶谷宗之助作曲の「潜水艦の華」を曲中に取り入れた意想曲。) 意想曲「東亜の黎明」(1938年5月) 意想曲「風雲の上海」(1936年2月) 接続曲「興国日本」(歌曲・行進曲22曲で構成された接続曲。1939年12月)

乙丑の獄

乙丑の獄(いっちゅうのごく)は、1865年(乙丑年)に、福岡藩で起こった、藩主黒田長溥による勤皇派弾圧事件。乙丑の変、または乙丑の政変と呼ぶ場合もある。 江戸時代末期、福岡藩は藩主黒田長溥の下、「尊王佐幕」を掲げ、幕府を助けながら天皇を尊ぶ公武合体論に似た政治運動を進めていた。長溥自身非常に開明的で

丁丑公論

丁丑公論(ていちゅうこうろん)は、福澤諭吉の著書のひとつ。正式名称は、明治十年 丁丑公論。1877年(明治10年)の西南戦争の直後に脱稿され、1901年(明治34年)2月1日から2月10日まで時事新報紙上に掲載された。さらに、1901年(明治34年)5月に『瘠我慢の説』と一緒に一冊の本に合本されて時事新報社から出版された。

丑寅勤行

^ 「丑の終り寅の始めは即ち是れ陰陽生死の中間にして三世諸仏成道の時なり。是の故に世尊は明星の出いづる時、豁然かつねんとして大悟し、吾が祖は子丑に頚を刎ねられ魂魄佐渡に到る云云。当山の行事亦た復た斯かくの若し、朝々刹那の成道、半偈の成道を唱うるなり。」日寛(大石寺26世)『当流行事抄』