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第2期本因坊戦

した。関山は途中注射をしては盤に向かうという状態だったが、三日目に先番関山が89手目を1手打ったところで倒れ、そのまま入院、橋本が90手目を打って打掛けとした。入院後に関山は棄権を申し入れ、本因坊位は一時日本棋院の預かりになるが、9月7日に棋院審査会が橋本を本因坊に推薦した。 (△は先番) 第2期本因坊戦挑戦手合五番勝負第1局

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第18期本因坊戦

51が隅の攻め合いの手数を伸ばす意表をついた手で、これへの応手を白が誤り、もともと白のシマリだったところが黒有利な1手ヨセコウとなって、黒が大優勢になった。黒は白に損コウを打たせたことで、コウは白に譲り、右下、左上、中央の大どころを打って、その後も手堅い着手に終始し、差は縮まったが、237手まで黒中

第15期本因坊戦

上辺の模様が大きくなった。続いて黒21の切りがきびしく、黒25が「さすが秀行」と言われた好手で、黒37まで優位に立った。第2図、白△(108手目)が非勢を打開するための勝負手で、黒1から5とコウになり、白14がコウ立てになっていない手で、黒は2に継ぐことができたが、15と受けてしまった。この後黒はコ

第6期本因坊戦

まで細碁の局面で進むが、図の白1(128手目)から白3が好手で、先手で白Aと打つ大きなヨセを残し、これに対する黒4が形勢不利を承知で覚悟を決めた「隠忍自重」の手と観戦記に書かれた。しかしこの後の折衝で黒はAの右に守る手順を得て、優勢となる。262手完、黒3目半勝。

第11期本因坊戦

日本棋院・関西棋院の棋士の初段以上。 予選は、初段から四段までの低段者による第一次予選、及びその勝抜き者と五段から七段までの高段者による二次予選を行う。二次予選の勝抜き者5名と、八、九段棋士と本因坊経験者を加えた計12名で3回戦を行い、この2勝者6名と前期挑戦者を加えた7名で挑戦者決定リーグを行う。 コミは4目半。 持時間は、リーグ戦、挑戦手合は各10時間。

第3期本因坊戦

瀬越憲作 0-4 1945年4月、3名によるリーグ戦を実施。岩本薫が2-0で挑戦者となった。 1945年には世情は悪化し、主催の毎日新聞の囲碁欄も覚束ない状態となっており、さらに5月25、26の空襲で当時溜池にあった日本棋院は全焼したため、対局場が無くなり、長老の瀬越憲作が疎開先の郷里広島で対局場

第5期本因坊戦

黒が優勢となる。最後は中央の白の大石が死に、209手まで黒中押勝ちして橋本は面目を保った。 七番勝負で貝塚茂樹、高坂正顕は熱心に観戦し、高坂は岩本が苦吟する姿を見て「棋譜になってしまえば対局中の深刻な趣きは殆ど失われる。対局中は一手一手が危機の突破であり創造であり、問題的な未来であるのに、棋譜ではそ

第10期本因坊戦

いと見てひねったが、白4、黒7の交換がつらい形。白10では15に飛ぶのがよく、黒11から17と絶好の攻めに回った。その後も黒は優勢に進めたが、徐々に緩着が出て、終盤で白が逆転した。局後島村は「顧みて本局は布石に黒順調であったが、あまりに大事をとってしばしば戦機を逸したため次第に細碁の形勢となり、白7

第7期本因坊戦

に有名な「高川の尻抜け」と呼ばれる見損じがあり、橋本中押勝。高川は緊張して食事もほとんど喉を通らず、打掛けの夜も一睡も出来ず鼻血を出したほどだった。 2局目は白番高川が、ゆっくりしたコミにかける打ち方で勝ち、橋本はこの碁の局後に「まるでぬるま湯につかっているみたいだ」と評した。

第17期本因坊戦

方面を広げようとするが、黒1(31手目)、白2の時に、黒3、5と切って行ったのが、絶妙な捨て石作戦で、囲碁界を驚かせた。3で黒17、白4となるのは平凡策。白22まで黒5子は取られているが、黒21、23と中央を大きく構えて優勢となった。白12黒13を利かしてシメツケを防いだが、左上のダメが詰まったため

第16期本因坊戦

た。黒25に対する26から34のワタリにそれが現れている。白40も苦心の手で、黒が上ハネや下ハネならさばく手を狙っている。白60から持って行ったのが巧手で、右下の白が直接逃げ出すのでは右上の白ともカラミ攻めになって苦しい。白62から64の大がけが成立して、白は51、57の二子を切り取って生きることに

第78期本因坊戦

リーグ戦は前期挑戦手合敗者の一力以下余、許、芝野の4名に最終予選から勝ち上がりの鶴山、本木、富士田、大竹の4名が参加し2022年10月3日の余対富士田の対局から開幕し、翌23年4月13日の最終局まで行われた。第6節まで全勝の一力が1敗の芝野を中押勝ちし、2期連続で文裕への挑戦が決定された。なお来期より実施方

第1期本因坊戦

により段位差に基づく手合割での対局となり、向井一男四段が優勝(準優勝呉清源)、続く第2期は久保松勝喜代六段(準優勝村島誼紀)が優勝した。この結果から、本因坊戦では低段者の予選を勝ち抜いた者が高段者と互先で対局するという方式が考案された。 続いて本因坊戦開始の前段階として、本因坊秀哉の引退のための記念

第13期本因坊戦

そうですか」と言った。尾崎一雄の観戦記では「共に一分碁、秒読みの声に追い立てれながらも、杉内さんは端然としていて、高川さんの方はいつもの冷静さがまるで見られす、『弱ったな!』とか『負けた!』とか、それこそ絞り出すようなうめき

第9期本因坊戦

左上の白12がこの二間高バサミ形での高川の新手だった。白26はぬるく、黒29まで黒がわかりやすい布石。白38は右下を守るのが急務で、黒43から47までで白の非勢となった。黒55から手堅く打ったが、白は右上隅を荒らし、中央も厚くして盛り返し、中央を消しに来た黒石を勝負手で取り込んで好転させた。

第20期本因坊戦

2、14、18とハネとアテを決めたのもこの場合は実戦な手法で、続いて白20と生きている石を封鎖したのも、左右の配石から好手だった。黒としても21から出切って戦いを起こすしかない。黒33は坂田一流の様子見だが、この場合は白33とツケられて善悪不明。この後右下で黒35からカカった時に白38と二間に挟んだ

第19期本因坊戦

行との名人戦第2局に負けるまで29に伸ばした。山部俊郎九段は「坂田は遠くなりにけり」が本物になったと嘆じ、近藤日出造は新聞漫画で「バチあたり坂田」と戯評した。 七番勝負(1964年)(△は先番) 「鮮やかなシノギ」第19期本因坊戦挑戦手合七番勝負第3局 1964年5月13-14日 本因坊栄寿-高川格九段(先番)

第12期本因坊戦

、早碁名人戦なども含めて新聞棋戦が軒並み選手権制に移行した年でもあった。またこの頃には高川の実力も以前より高く評価されるようになっており、高川流の一間飛び、ボウシの手法がアマチュアにも人気となっていた。 井口昭夫『本因坊名勝負物語』三一書房、1995年6月。ISBN 4-380-95234-7。  坂田栄男『囲碁百年』

第14期本因坊戦

白優勢になるが、黒も右辺と下辺の白を攻めの目標にして、混戦模様となる。 図2の黒1(109手目)で黒の攻めがツボにはまってきたが、黒5ではaと取っておけば黒優勢と言われる。また黒7でも単に9に打つべきだった。白8が好手で有望な形勢。黒13が敗着で、9の下に打つべきだった。白

第77期本因坊戦

コミは6目半 持時間はリーグ戦は各5時間、挑戦手合は各8時間の二日制。 優勝賞金 2800万円 ※第4局で決着したため第5-7局は実施されず。 黒:黒番 / 白:白番 /  封 :1日目 封じ手の手番 ※※ 第1局の総手数357手は本因坊戦挑戦手合での最長手数記録[1]。 勝敗が同数のため規定により4月4日にプレーオフを行った。