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Word Details

簡勁

[かんけい]
簡潔で力がこもっている・こと(さま)。
「~な筆致」「~な名文章」

Related Words

雄勁

(1)男性的で力強い・こと(さま)。 「力ある影に偉大なる音調はます~に/ふらんす物語(荷風)」 (2)文章の書き方や書画の筆勢に力強さの感じられる・こと(さま)。 「~な筆致」

勁節

(1)竹などの節が強いこと。 (2)節を守って, 容易に屈しないこと。

勁草

〔後漢書(王覇伝)〕 風などに負けない強い草。 また, 節操・思想の堅固な人のたとえ。

勁健

強くすこやかなさま。 「御筆力の~なる所が紙背に透て/もしや草紙(桜痴)」

勁捷

強くすばやい・こと(さま)。 「剽疾(ヒヨウシツ)~なるは洵(マコト)に驚くべし/日乗(荷風)」

勁疾

強くてすばやいこと。

勁悍

つよくあらあらしいこと。 「其国~の習は益々之を進めて文明に向ふの資とす/明六雑誌 41」

発勁

勁の速度と外面上の拳脚の速度は一致しない。 勁の大きさと外面上の動作の大きさは一致しない。 勁の大きさと発する際の主観的な力感の大きさは一致しない。 勁を発する際、勁が体内を通過する感覚がある。 通過するときに知覚する速度と実際の勁の通過速度は一致しない。 勁を蓄えることは弓を引くかの如し。勁を発することは矢を放つかの如し。

于勁

于 勁(う けい、生没年不詳)は、北魏の外戚。于皇后の父。字は鍾葵。本貫は河南郡洛陽県。 于洛抜(于栗磾の子)の子として生まれた。武略にすぐれ、功績により沃野鎮将となった。富昌県子の爵位を受け、征虜将軍の号を受けた。501年(景明2年)、娘が宣武帝の皇后に立てられると、于勁

簡

(1)中国で, 紙の発明される前に用いられた, 竹の札。 たけふだ。 (2)手紙。 書状。 (3)簡単なこと。 こみいっていないさま。 <i>~にして要(ヨウ)を得(エ)る</i> 簡単でしかも要領を得ている。

勁文社

1971年(昭和46年)12月、時の怪獣ブームの中で『原色怪獣怪人大百科』を刊行し、大ヒットを飛ばした。これはA3判の両面に印刷した用紙を八つ折りにし、それを数十枚函に収めた無綴じの書籍である。編集を担当したのは、のちにノンフィクションライターとなる佐野眞一と、特撮映画研究家となる竹内博。社

和田勁

けい、1895年(明治28年)10月31日 - 1958年(昭和33年)9月3日)は、日本の陸軍軍人。甘粕正彦とともに関東軍外部から満州事変に関与したのち、満州国で活動し、満州国陸軍中将、満州国協和会監査部長、東亜連盟同志会代表などを務めた。石原莞爾の片腕といわれていた人物である。 福島県出身。旧会津藩士で視学官を務めた和田又

斎藤勁

斎藤 勁(さいとう つよし、1945年7月10日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、内閣官房副長官(野田内閣)、横浜市会議員(2期)を歴任。 神奈川県横浜市生まれ。中学校卒業後、横浜市役所に就職し、働きながら横浜市立横浜商業高等学校定時制、神奈川大学第二法学部卒業。

勁松駅

勁松駅(けいしょう-えき)は中華人民共和国北京市朝陽区に位置する北京地下鉄10号線の駅である。 島式ホーム1面2線の地下駅で、ホームドア完備。 華泰飯店 楽遊飯店 海文大厦 勁松橋 農光里 2008年7月19日 - 開業。 北京地下鉄 ■10号線 双井駅 - 勁松駅 - 潘家園駅

勁松院

勁松院(けいしょういん、文政6年12月22日(1824年1月22日) - 文久元年5月10日(1861年6月17日))は陸奥仙台藩第12代藩主・伊達斉邦の正室。第11代藩主の伊達斉義の長女。第13代藩主・伊達慶邦の姉。 名は綏姫(まさひめ)、後に徽子(のりこ)。落飾して栄心院、後に勁松院。法諡は勁松院殿維巌操節大姉。

後勁駅

れてくる様になっている。主に用いた色は銀灰色(シルバーグレー)と白色である。 本駅は「緑建築」を採用し、ガラスを使って上空が透ける様にして、自然通風と自然採光を大きく用い、ホーム上屋は鉄骨構造とカーテンウォールを用いて軽量に作られ、構造を単純化している。この様な設計は視覚上の透過性を持ち、室外の緑

蕭勁光

に入学。また、在ソ期間、軍事学校で軍事教育を受けた。1922年1月、極東各国の共産党と民族革命団体の第1次代表大会に出席。1922年末、中国共産党に入党。1924年1月、東方民族の代表としてウラジーミル・レーニンの葬式に列席。同年秋、ソ連から帰国し、安源炭鉱の労働運動に従事。

勁草書房

う意味である。1968年(昭和43年)に刊行された羽仁五郎の『都市の論理』はベストセラーとなった。1970年(昭和45年)に株式会社として、大和の全額出資で分社化された。資本金は5000万円。 井村寿二の遺稿集として『異境有情 フィリピンの友と』(井村節子 勁草書房 (製作) 1990年)がある。 『戸坂潤全集』

朱簡

品』として出版されたが、ここではじめて秦漢以前の古璽を見極めたことは特筆される。のちの著書では篆刻理論を論じ識見が高い。 篆刻は、戦国時代から元朝までの体裁を自家薬籠中の物として、技巧的でない情趣溢れる作風であった。後の巴慰祖に影響を与えている。周亮工や董洵は朱簡を絶賛している。 馮夢禎印 陳継儒印