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Détails du Mot

中御門為方

中御門 為方(なかのみかど ためまさ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿。権大納言・中御門経任の子。官位は正二位権中納言、太宰権帥。 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 正嘉2年(1258年)1月5日、叙爵。 弘長元年(1261年)4月20日、和泉守に任ぜられる。

Mots Associés

中御門為行

中御門 為行(なかのみかど ためゆき)は、鎌倉時代後期の公卿。権中納言中御門為方の子。官位は正二位、権中納言。 以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 文永12年(1275年)1月6日、叙爵。 弘安元年(1278年)11月20日、従五位上に昇叙。

中御門家

1707年) 中御門宣基 (1659年 - 1680年) 中御門宣顕 (1662年 - 1740年) 中御門経廉 (1697年 - 1707年) 中御門宣誠 (1691年 - 1730年) 中御門宣時 (1727年 - 1745年) 中御門俊臣 (1740年 - 1771年) 中御門宣家 (1765年

中御門流

頼宗三男(構成の都合上右端に表示)。叔父能信の養子となりその跡を継ぐ。 ^ 関白藤原師通室、忠実母。 ^ 白河院女御。 ^ 中御門家は後に松木家に改称。 ^ 近衛天皇中宮。関白藤原忠通養女。号九条院。 ^ 伊通次男(構成の都合上右端に表示)。 ^ 実父は中納言藤原忠基。 ^ 基家次男(構成の都合上左端に表示)。

御門

〔「門(カド)」に尊敬の接頭語「み」が付いたもの。 (2)が原義〕 (1)(「帝」と書く)天子・天皇の尊称。 また, その位。 「宇多の~の御いましめあれば/源氏(桐壺)」 → 天皇 (2)門をいう尊敬語。 特に皇居の門。 ごもん。 「大き~を入りかてぬかも/万葉 186」 (3)天皇の居所。 皇居。 また, 朝廷。 「万代(ヨロズヨ)にいましたまひて天の下奏(モウ)したまはね~去らずて/万葉 879」 (4)天子・天皇の治める国土。 国家。 「荒き風波にあはせず平けく率て帰りませもとの~に/万葉 4245」

為ん方

〔「詮方」は当て字〕 なすべき方法。 とるべき手段。 しかた。 「事ここに至っては~もありません」「遺憾ながらも~尽て/近世紀聞(延房)」

中御門天皇

第五皇子:信宮(妙光院、1734年) 掌侍:菅原(五条)寛子(1718年 - ?) - 五条為範女 第六皇子:遵仁法親王(寛全親王、1736年 - 1747年) - 仁和寺 妃:丹波氏(伊予局・見性院、1703年 - 1770年) - 小森頼季女、錦小路頼庸養女、のち石井行康養女 第一皇女:聖珊女王(1721年 - 1759年)

中御門資熙

すけひろ、寛永12年12月26日(1636年2月2日) - 宝永4年8月21日(1707年9月16日))は、江戸時代前期の公卿。中御門宣順の子。母は阿野実顕の娘。子に中御門宣基・中御門宣顕・岡崎国久・柳原秀光。 寛永14年(1637年)叙爵を受け、左中弁などを経て明暦2年(1656年)に蔵人頭(頭弁)となり、

中御門経任

風によせくる浪はかつくだけつつ」という和歌の記事しか記載されていないが、一説にはこの歌は経任が詠んだにもかかわらず、忠義と愛国の情に満ちたこの歌を変節漢の経任が詠んだという事実そのものに不満を持つ『増鏡』著者の手によって著者を為氏にと書き改められたのではという説が見られる。 父:吉田為経 母:大宮院半物柳

御方

(1)人を敬っていう語。 「あの~の言うことなら間違いない」 (2)他人の妻の敬称。 「亭主のもてなし, ~のけいはく/浮世草子・一代男 3」 (3)貴人の妻妾や子女の敬称。 「明日は殿ごの砧打, ~姫ごも出て打たい/松の葉」

御方

※一※ (名) (1)貴人を敬ってその居所をいう語。 「中宮の~へ参らせ給ひ/平家 4」 (2)貴人, ことに貴婦人・姫君を敬っていう語。 おかた。 「貞観殿の~は/蜻蛉(中)」 ※二※ (代) 二人称。 貴人を敬っていう。 あなたさま。 「~をば全くおろかに思ひ参らせ候はず/平家 7」

御方

〔「かた」に尊敬の接頭語「み」の付いたものから。 「味方・身方」は当て字〕 (1)自分の属する側。 「~に引き入れる」 (2)加勢すること。 「弱い方に~する」

蛤御門

蛤御門(はまぐりごもん)は、現在の京都御苑の外郭九門の一つ。本来の正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。門の形状は高麗門型の筋鉄門である。 御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門

御家門

御家門(ごかもん)は、名家の一族を指す。単に家門ともいう。 江戸時代においては、親藩の中で、特に徳川将軍家の一族および徳川家康の兄弟の家系の大名家、旗本家を指して言う。御家門は家康の元の姓である松平姓を名乗ることを許された。 御家門筆頭の越前松平家をはじめとして、御家門

御中

※一※〔もと中世女性語。 多く「御腹」と書く〕 腹。 「~がすく」 ※二※ (1)〔女房詞。 食卓の真ん中に飯を置いたことから〕 食事, 特に飯。 [大上臈御名之事] (2)〔女房詞。 布団・着物の中に入れることから〕 綿。 やわやわ。 (3)室町時代, 武家の奥向きに仕えた女中の役名。 御中臈(オチユウロウ)。 <i>~を痛・める</i> 子を産む。 腹を痛める。

御中

郵便物で, 会社・団体など個人名以外のあて名の下に添える語。 「○○株式会社人事課~」

門中

沖縄で, 父系血縁によって結びついた親族集団。 共同の祖先祭祀(サイシ)を行う。

中門

(1)寺院建築で, 南大門と主要建物との間にある門。 → 伽藍配置 (2)寝殿造りで, 東西の対屋と釣殿とを結ぶ廊(中門廊)の中ほどにある門。 → 寝殿造り (3)主殿造りの主殿で, 広縁の端の短く突き出た部分。 寝殿造りの中門廊の名残。 → 主殿造り (4)茶室の内露地と外露地との境に設けられる門のうち, 立って通れるように作られたもの。 → 中潜り

土方為次郎

」として結婚を断った。それで為次郎は、お琴を歳三の許嫁とした。 新選組を結成した歳三から、彦五郎と連名で為次郎へ宛てた手紙も現存する。 「おとゝ(弟・歳三)にひかれて」と題された3つの句が残る。「春の旅 人の言ふなり 行くなりに」「葉柳や 誰か置捨てし 檜笠」「二人して 提げけり浜の あやめ草」。

土御門殿

長和5年(1016年)に火事で焼失するが、諸国の受領たちによって届けられた屋敷再建の品物によって、以前より立派な屋敷が再建された。以後、東三条殿と並ぶ御堂流摂関家当主の拠点として機能した。 万寿3年(1026年)、彰子が女院となる際には、邸宅の名にちなんで院号を上東門院とした。 道長の