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Détails du Mot

二条院三河内侍

ものおもふ袖のまさるたもとを — 『師光集』   五十日のはてつかたに   二条院の御はかに御仏供養しける人にぐしてまゐりたりけるに   月あかくてあはれなりければ こよひ君しでの山ぢの月をみて くものうへをやおもひいづらん   御あとにみかわの内侍候ひけるに九月十三夜人にかはりて かくれにし君がみかげの恋しさに

Mots Associés

二条院

二条院(にじょういん) 第70代後冷泉天皇の中宮・章子内親王に女院が宣下された際に定められた院号。 第78代二条天皇が崩御した際に贈られた追号。 上記の二条天皇が里内裏としていた押小路東洞院第(おしのこうじ ひがしとういん だい)の通称。 『源氏物語』で、主人公の光源氏が前半生を過ごした二条

内侍

(1)律令制で, 内侍司の職員である尚侍(ナイシノカミ)・典侍(ナイシノスケ)・掌侍(ナイシノジヨウ)の総称。 本来は天皇の日常生活に供奉(グブ)する女官であるが, 平安中期には, 妃・夫人・嬪(ヒン)ら天皇の「妾」に代わる存在となり, また, 単に内侍といえば, 掌侍をさし, その筆頭者を勾当(コウトウノ)内侍と呼ぶようになる。 (2)斎宮寮の女官の一。 他に女別当・宣旨(センジ)が知られる。 (3)安芸国厳島(イツクシマ)神社に仕える巫女(ミコ)。

内侍

主殿の中に設けた警護の武士の詰め所。 うちざむらい。 ⇔ 外侍 ⇔ 遠侍 「~には一門源氏上座して/平家 8」

三河内村

町村制の施行により、近世以来の三河内村が単独で自治体を形成。 1955年(昭和30年)3月1日 - 岩屋村・市場村・山田村・石川村と合併して野田川町が発足。同日三河内村廃止。 加悦鉄道 加悦鉄道線(1985年廃止) 加悦谷高校前駅 - 三河内口駅 - 丹後三河内駅 角川日本地名大辞典 26 京都府 京都府の廃止市町村一覧 表示 編集

三河内駅

三河内駅(みかわちえき)は、長崎県佐世保市三川内本町にある、九州旅客鉄道(JR九州)佐世保線の駅である。 駅名は三河内だが、住所表記・公共施設等は三川内である。 1897年(明治30年)7月10日:九州鉄道の駅として開設。 1907年(明治40年)7月1日:九州鉄道が国有化、帝国鉄道庁に移管。

二条院讃岐

「世にふる」の系譜:二条院讃岐の   千五百番歌合に 冬の歌                    二条院讃岐 世にふるはくるしき物をまきのやに やすくも過る初時雨哉 — 『新古今和歌集』 巻第六 冬歌 は、延々と続く本歌取りのもととなった。「恋愛に鬱屈しているところへ、恋人は訪れず代りにしぐれの雨が過ぎ

弁内侍

弁内侍(べんのないし、正体字:辨內侍、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいんの べんのないし)とも呼ばれた。 1243年(寛元元年)8月、後嵯峨天皇の皇子久仁親王は生後

内侍司

内侍司(ないしのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。令によって定められた後宮十二司の一つであり、女官のみによって構成される。 内侍司の女官は天皇に近侍し、奏請と伝宣(内侍宣)、宮中の礼式等を司った。天皇の秘書役とも言うべき重要な役職で、学問・礼法に通じた有能な女性が多く任命されたようである。

馬内侍

馬内侍(うまのないし、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。源時明の娘であるが、実父は時明の兄致明(むねあきら)と考えられている。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。 斎宮女御徽子女王(村上天皇女御)、円融天皇中宮媓子、賀茂斎院選子内親王、東三条院詮子(円融天皇女御)、一条天皇皇后定子に仕えた

内侍府

内侍府(ネシブ)は、朝鮮王朝における官府。所属官人はほぼ宦官である。 王の食膳の食物、器具をあらかじめ検査する監膳などの国王の身の回りの世話、重臣達への情報伝達、各門の守備などを行う。定員は140名。雑職同様に免職、昇進を決める勤務評定人事の都目が年4回実施される。

順徳院兵衛内侍

順徳院兵衛内侍(じゅんとくいんのひょうえのないし、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の女流歌人。似せ絵の名手として知られた藤原隆信の娘。中山忠定の妻。 順徳天皇に出仕し、その内裏歌壇で頭角を表した。記録に残る限りでは、建保2年(1214年)の『月卿雲客妬歌合』が初見となっている。その後の数年間に集中的な

二条

姓氏の一。 (1)藤原北家の流。 五摂家の一。 鎌倉中期に九条道家の子, 良実が関白となり, 分かれて一家を立てたのに始まる。 名称は良実が居所の東二条院にちなんで二条殿を称したのに由来。 (2)歌道の家。 藤原氏御子左家(ミコヒダリケ)の為家の子, 為氏を祖とするが, その子為世から二条家を称した。 勅撰集の撰者を多く出したが, 室町中期には絶えた。

二条

平安京の条坊の一。 また, 東西に通じる大路の名。 二条大路。

河内町河内

施設の名称等に残る。また、老人会などでは現在も使われている。 平(だいら) 葛山(つづらやま) 小森(こもり) 清田(せいだ) 中川内(なかがわち) 塩屋(しおや) 鰐洞(わんどう) 2022年(令和4年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

河内山楽三

時事年鑑』時事新報社、1931年、586頁。 ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、188頁。 ^ 「統監府財政監査官河内山楽三外三名韓国政府ノ聘用ニ応シ俸給及諸給ヲ受クルノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A04010146400  ^ a b 人事興信録 1928. 人事興信所編『人事興信録

後深草院二条

父は中院大納言源雅忠、母は大納言典侍(四条隆親の娘近子)。父方の叔母に歌人の式乾門院御匣(源通光女)がいる。後深草院に仕える女房であり愛人。母大納言典侍は幼少だった後深草天皇に「新枕」をさずける役であったが、何人かの公卿に「ぬしづかれて」最終的に雅忠の妻となった。母は二条を生んだ翌年(1259年)に亡くなり、二条は後深草院御所で育った。

河内

河内(かわち、かわうち、こうち、こうず、かわのうち、かだい)は、日本各地の地名、人名などを指す。 河内国(かわちのくに) - 河内地方。現在の大阪府の東部周辺 河内市(かわちし) - 大阪府の市で、現在では東大阪市の一部 河内郡 (曖昧さ回避) 河内町 (曖昧さ回避) 河内村 (曖昧さ回避) 河内地方(かわうちちほう)

勾当内侍

勾当内侍(こうとうのないし、生没年不詳)は、南北朝時代の女官。本名は不詳。公家の世尊寺家の一族で、一条経尹あるいは一条行尹の娘、または一条行房の娘もしくは妹ともいう。『太平記』に新田義貞の妻の一人として登場する。 勾当内侍は、鎌倉時代後期に後醍醐天皇の討幕運動に加わり、鎌倉陥落に功績のあった上野国

周防内侍

春のよの夢はかりなる手枕に かひなくたゝむ名こそをしけれ — 『千載和歌集』 巻第十六 雑歌上 二条院で貴族たちが語らっていた夜、ふと疲れた周防内侍が「枕がほしい」と言ったところ、藤原忠家が「これを枕に」と御簾の下から腕を差し出してきたため詠んだ歌。 藤原忠家は、この歌を受け、「契りありて春の夜深き手枕