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城生城

反発し、結果神保氏張に攻め落とされた一向一揆の拠点、聞名寺があるが、周囲を石垣で囲ったその佇まいは城郭伽藍を想起させるに充分である。そしてこの寺の御正忌法要では氏張に攻略されたことに因んだ、他寺には見られないある「決まり」がある。 県道八尾笹津線からの入口わきには2018年まで富山市教育委員会が立て

Mots Associés

桃生城

郭が敗(やぶ)られた(桃生城襲撃事件)。翌宝亀6年(775年)11月には、陸奥国按察使兼鎮守府将軍の大伴駿河麻呂以下1,790余人が、桃生城を侵した叛賊を討治、懐柔帰服した功績によって叙位叙勲を受けた。しかし、桃生城に関する記述はそれ以降史料上に見えず、奪還後の様相については不明である。石巻市太田地

生仁城

けて甲斐から6日をかけて駆けつけた武田信玄が最初に抑えて上杉勢を封じようとしたとされる渡し場である。その後武田勢が移動し、集結した海津城から立ち上る炊煙の変化から翌日に武田勢の攻撃があると察知した上杉謙信が夜陰に紛れて妻女山を下り、そこから秘かに千曲川を渡河したとされる逸話は余りにも有名である。

羽生城

く地高く形円やかにして東西六十間余、南北四十間余、ここより良に当たり、天神曲輪と云あり、南の方に小沼と云沼一ヶ所、また北の方にも今はわずかの蓮池及び蒹葭生い茂れる、広き沼あり、何れも城ありし頃固めの沼なりし — 新編武蔵風土記稿 古城 蓑沢村の境町場に内東谷と云所にあり 天神あり 当地砂野土にて田多畑少

築城 (城)

^ a b c 香川元太郎著『歴群[図解]マスター 城』学習研究社 2012年 ^ a b 三浦正幸著『城のつくり方図典』小学館 2005年 軍事用語としての築城 永久築城(要塞) 野戦築城 築城法 (PDF) 渡邊韶 1719年 辰野文庫 日本建築学会図書館

中城城

見台)が見られ、1853年に来島したペリー提督も『要塞の資材は、石灰石であり、その石造建築は、賞賛すべきものであった。石は…非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いていないが、その工事の耐久性を損なうようにも思わなかった』(日本遠征記)と記し、その石垣のすばらしさを讃えている。

結城城

越前に移封となると、結城の地は一時天領となり、結城城も廃城となった。 廃城に際して、家康の命により結城城の御殿、隅櫓、御台所、太鼓櫓、築地三筋塀、下馬札を埼玉県鴻巣市の勝願寺へ移築され結城御殿と呼ばれた。移築された御殿は百十四畳敷きの大方丈「金の間」、九十六畳敷きの小方丈「銀の間」に分けられ。大方

城島城

の賊どもを滅ぼし、これがかなわなければ潔く死んで、忠義の重さを天下に示さん」と言ったという。すると弟は、「仰せのとおり。この一戦を戦うは武門の冥利につきます」と答え、一族、家士ら300騎を指揮して、弓、鉄砲を撃ちかけ、長刀、槍の切っ先を揃えて大勢の敵の

玉城城

、自然の一枚岩を刳り抜いて造られた城門がある。 本丸跡には琉球開闢の七岳の一つとされる「天つぎあまつぎ(雨つづ天つぎとも)御嶽(うたき)」があり、東御廻り(あがりうまーい)という巡礼行事の聖地となっていた。沖縄のグスクは単純に軍事的なものというより祭祀的性格も持っていることが指摘されるが、玉城城も城

生子山城

生子山城(しょうじやまじょう)は、愛媛県新居浜市立川町にあった日本の城。 中央構造線によって三角末端面を形成し、ほぼ東西一直線に新居浜平野との境を成す四国山地の一山塊上に立地する。西側には国領川が急峻な渓谷を形成して北流する。 『日本城郭大系』では、生子山城跡を元禄4年(1691年)に開坑した別子

城

城(シロ)。 砦(トリデ)。 「~を得爾辛(トクジシ)に助け築かしむ/日本書紀(欽明訓)」

城

堀や垣をめぐらして内外を限り, 敵の攻撃を防ぐ建造物。 とりで。 「筑紫の国は敵(アタ)守るおさへの~そと/万葉 4331」

城

しろ。 とりで。 「正成は, 金剛山千早といふ所に, いかめしき~をこしらへて/増鏡(久米のさら山)」

海城 (城郭)

上記(本項の冒頭)以外に海城の定義として公表されているものでは、研究者に拠る「主郭群の直下あるいは際が海か河口に接し、海船が接岸可能な城」がある。ここでいうところの主郭群は近世城郭の本丸、二の丸、三の丸といった城郭の主要部を指す。接岸は、大型の外洋船までもが桟橋に直接横付け可能とするの

磐城平城

1868年(明治元年)の戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟に与した当時の磐城平藩家老・上坂助太夫は、磐城平攻防戦で明治政府軍に敗れ、自ら城を焼き払って逃走した。 城内には御三階櫓・隅図櫓・塗師櫓・八ッ棟櫓・追手門櫓・中門櫓・六間門櫓などがあった。また、茶室緑天庵も記録に残っている。 鳥居忠政が磐城平を本拠地とすると、城下町の形成は、城を中

水城 (城郭)

水城(みずじろ)は、海、湖、河川などに面して築かれた城。 ライン川 ライン川中流域の約65kmは世界遺産に登録されており(ライン渓谷中流上部)、特にリューデスハイム~ザンクト・ゴアールスハウゼン間は河畔に多くの古城や城塞がある。 プファルツ城 グーテンフェルス城 ネコ城 ガルヴェ湖 トラカイ島城 琵琶湖(近江国)

西生浦倭城

を掃討した後帰還する。その間は浅野幸長が在番している。この年の末、北隣で築城中の蔚山倭城が攻囲を受けた時、加藤清正は当城にいたが、急報を受けると軍船に乗座して蔚山倭城に向かう。1598年が明けると救援に向かう日本軍の集結拠点となり、1月2日に出撃し、4日に明・朝連合軍を

城郭

(1)城と曲輪(クルワ)。 城とそれを囲む外囲い。 (2)敵の侵攻を阻むための設備。

城濠

城のまわりのほり。

荒城

貴人が死んでから本葬するまでの間, 遺体を仮に納めて置いたこと。 また, その場所。 もがり。 → 大荒城