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Détails du Mot

大君

[おおいぎみ]
貴人の長女の尊称。 二女は「中の君」, 以下「三の君」「四の君」などといった。

大君

[おおきみ]
〔「おおぎみ」とも〕
(1)天皇を敬っていう語。
(2)親王・諸王など天皇の子孫の敬称。
「我が~高照らす日の皇子(ミコ)/万葉 50」

大君

[たいくん]
(1)君主の尊称。 おおきみ。
(2)江戸時代, 外国に対して用いた将軍の別号。

Mots Associés

大君女

天皇の娘。 ひめみこ。 「京人と名のりける, ふる~, 教へ聞えければ/源氏(常夏)」

大院君

大院君」というと興宣大院君を指すことが多い。 徳興大院君(1530年 - 1559年) - 14代・宣祖の父 11代・中宗の九男で、名は岹(山偏に召)。1538年に徳興君になる。死後、1567年に三男の河城君が14代・宣祖として即位し、1570年「徳興大院君

小大君

て仕え、東宮左近とも称された。藤原朝光と恋愛関係があったほか、平兼盛・藤原実方・藤原公任などとの贈答歌がある。 『拾遺和歌集』(3首)以下の勅撰和歌集に20首が入集し、特に『後拾遺和歌集』では巻頭歌として採られている。家集に『小大君集』がある。散逸家集『麗華集』の断簡「香紙切」や、三十六人集の断簡

大君主

大君主(朝鮮語:대군주)は、李氏朝鮮が1895年1月7日(旧暦1894年12月12日)から1897年 10月12日まで使用した君主の称号である。この言葉は、西洋の君主国の君主を朝鮮語で指すときにも使用された。 1894年 7月に 、李氏朝鮮政府は、 国紀年 (開國紀年)を宣言して、既存の対外的に書いた清の対内的に使用した明の年号の「

譲寧大君

譲寧大君(じょうねいたいくん、ヤンニョンデグン、양녕대군、1394年 - 1462年)は、李氏朝鮮時代の王族男性。第3代国王太宗の長男で、母は元敬王后閔氏。孝寧大君や李氏朝鮮第4代国王世宗の実兄でもある。本名は李褆(り・てい、イ・ジェ、이제)。字は厚伯。 1394年、漢城府で誕生する。1402年(太

孝寧大君

した。儒佛心法同一原を唱え、1464年には円覚寺の建立なども行った。死後はソウル特別市瑞草区方背洞清権祠に祀られている。 父:太宗 李芳遠 (高麗恭愍王16年(1367年) - 世宗4年(1422年)) 母:元敬王后(驪興閔氏) 正妻:蘂城府夫人(海州鄭氏) 長男:誼城君 李寀 (太宗11年(1411年)

永昌大君

子に冊封しようと考え、柳永慶など小北派の支持を受けた。しかし、1608年に宣祖が急死すると、幼少の永昌大君ではなく光海君が即位した。 1613年、七庶獄事が起こると、李爾瞻率いる大北派の操作によって永昌大君と仁穆王后の父である金悌男に疑いがかけられた。金悌男は賜薬に処せられ、永昌大君は姉の貞明公主

大塚君代

松竹大船 - 健の妹 春子 1937年 『水郷情歌 湖上の靈魂』 松竹大船 1937年 『浅草の灯』 松竹大船 - カルメンの踊り子 1938年 『皆んな見えなくなる峠』 松竹大船 - 妹娘 おとよ 1939年 『女の風俗 第一話 お嬢さんの日記』 松竹大船 1939年 『兄とその妹』 松竹大船 1939年

大杉君枝

87年の同番組放送開始以来、放送センター、移動中継車、各中継所を含め、女性アナウンサーが実況を担当するのは後にも先にもこの時が唯一である(選手へのインタビューでは女性アナウンサーが担当したこともある)。 模倣犯(2002年、東宝) - アナウンサー 役 ^ 日本テレビの大杉君枝アナ自殺[リンク切れ]

安平大君

8.11 01:18 (UTC) 閲覧 ^ 「安平大君 瑢夫人鄭氏卒, 賜米豆幷七十石、紙一百卷及棺槨。 鄭氏, 卒兵(書)〔曹〕判書淵之女也。 瑢薄待, 不相見者, 已七八年, 及卒, 其斂殯諸事, 專不顧慮; 其子宜春君 友直亦不往觀, 與庶人之死無異, 觀者莫不慨歎」『朝鮮王朝実録』端宗 6卷

聞得大君

聞得大君(きこえおおぎみ、きこえのおおきみ、チフィジン)とは、第二尚氏時代の琉球神道における最高神女(ノロ)。 「聞得」(チフィ)は大君の美称辞、「君」(ジン)は「カミ」の意で、従って「大君」(ウフジン)は君の最高者という意味であるという説がある。琉球方言で、チフィウフジンガナシ(聞得大君

君

※一※ (名) (1)(ア)国を治めている人。 天皇。 「万乗の~」(イ)自分の仕えている主人。 主君。 ⇔ 臣 「~に忠義を尽くす」 (2)人に対する敬意を表す。 (ア)目上の人や貴人を敬っていう。 「人はしも満ちてあれども~はしも多くいませど/万葉 3324」(イ)女性が親しい男性をいう。 「~待つと我(ア)が恋ひ居れば/万葉 488」(ウ)人名・官名などに, 多く「の」「が」を介して付き, その人を敬う意を表す。 「師の~」「源氏の~」 (3)〔中世・近世語〕 遊女。 遊君。 「一生連添ふ女房を~傾城の勤めをさするも/浄瑠璃・忠臣蔵」 (4)(「公」とも書く)古代の姓(カバネ)の一。 もと, 地方豪族の首長の尊称。 ※二※ (代) 二人称。 相手を親しんで呼ぶ語。 現代語で, 男性が同輩およびそれ以下の相手に対して用いる。 「~僕の間柄」「~も一緒に来ないか」 〔※二※ は, 上代では女性が親しい男性を尊んで呼ぶことが多く, 中古以降は男女ともに用いた〕 <i>~君(キミ)たらずとも臣(シン)臣たらざる可(ベ)からず</i> 〔古文孝経(序)〕 君は君たる徳がなくとも, 臣は臣たる道を守って忠義を尽くさなければならぬということ。 <i>~君(キミ)たり臣(シン)臣たり</i> 〔論語(顔淵)〕 君臣それぞれその本分を尽くすということ。 また, 君がその道を行わなければ, 臣もまたその道を尽くさないの意にも用いる。 <i>~辱(ハズカシ)めらるれば臣(シン)死す</i> 〔国語(越語下)〕 主君が恥辱を受ければ, 臣たる者は死を決してその恥をすすがねばならぬ。 臣は君主と生死苦楽をともにすべきである。 <i>~は舟、臣(シン)は水</i> 〔荀子(王制)「君者舟也, 庶人者水也。 水則載舟, 水則覆舟」〕 常には主君を支え助ける臣が, ときには君主に害をなすこともあるという意。

君

友達や目下の人の姓や名, または姓名などに付けて, 親しみや軽い敬意を表す。 主に男性の用いる語。 「山田~」 〔古くは同輩以上の人に対する敬称として用いた。 現在でも, 議員同士の間では敬称として用いられる〕

君

二人称。 相手を親しんでいう語。 きみ。 お前さん。 「~は同じ年なれど/源氏(乙女)」

君

相手の家族を表す語の下について, その人を敬っていう語。 「父~」「姉~」

全渓大院君

彼の初期行跡と活動の記録と恩彦君家族の記録は哲宗の時と高宗ときに大量に洗草と隠滅・墨塗りをして消えた。1822年純祖で御名に一時釈放されたと1830年純祖で人に再び一時釈放され、1831年漢城に行った。 彼は恩彦君の庶子だから爵位がなかった、1849年彼の三男の李元範(哲宗)の即位に伴い全渓君

宇治の大君

拒み通す。しかし薫は大君の意に反して逆に匂宮を中君に手引きし、裏切られた思いの大君はその後匂宮が身分柄なかなか宇治へ来られないことに悲嘆するあまり病に倒れ、薫の手厚い看護も空しく26歳の若さで他界した(「総角」)。 薫を愛しながらも現世で結ばれることを拒み