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Détails du Mot

大錦上

錦という冠位があって、大化5年(649年)の冠位十九階で大花上と大花下に分割された経緯があり、大錦上などはその名を復活継承したものである。 天武天皇14年(685年)1月21日の冠位四十八階で冠位の命名方法が一新したときに廃止された。 『日本書紀』に大錦上

Mots Associés

錦上

錦(ニシキ)など, 美しいものの上。 <i>~に花を敷・く</i> 「錦上に花を添える」に同じ。 <i>~に花を添・える</i> 美しいものの上に, さらに美しいものを加える。 錦上に花を敷く。

小錦上

小錦上(しょうきんじょう)は、664年から685年まで日本で用いられた冠位である。26階中10位で上が大錦下、下が小錦中であった。 天智天皇3年(664年)2月9日の冠位26階の制で、小花上と小花下の2階を小錦上、小錦中、小錦下の3階に改めて設けられた。大化3年(647年)の制度には小錦という冠位

大錦下

大錦下(たいきんげ)は、664年から685年まで日本で用いられた冠位である。26階中9位で上が大錦中、下が小錦上であった。 天智天皇3年(664年)2月9日の冠位26階の制で、大花上と大花下の2階を大錦上、大錦中、大錦下の3階に改めて設けられた。大化3年(647年)の制度には大錦

錦上路駅

錦上路駅(きんじょうろえき、カムスンロウえき)は、香港新界元朗区錦田(中国語版)にある、香港鉄路(港鉄MTR)屯馬線の駅である。 当駅最寄の道路は「錦河路」と「東匯路」であり、駅名の由来となる道路「錦上路」は駅から500mほど離れている。建設当時の最寄の道路は「錦上路」であったが、駅開業後に「錦河路」と「東匯路」が整備された。

大錦大五郎

錦」に復名した。 1918年5月場所にて、35歳にして吉田司家から横綱免許の授与が決まり、第28代横綱へ昇進した。大坂相撲では三人目の横綱として5年・8場所に渡って土俵を務め、1922年1月場所を最後に現役を引退した。引退後は一代頭取(年寄)・大錦を襲名した後に廃業し、曾根崎新地で茶屋「京糸

錦

(1)種々の色糸を用いて華麗な模様を織り出した織物の総称。 模様を経(タテ)糸で表す経錦(タテニシキ)と, 緯(ヨコ)糸で表す緯錦(ヨコニシキ)がある。 唐織(カラオリ)・綴(ツヅレ)織・金襴など。 現在, 西陣が主産地。 「金銀珊瑚(キンギンサンゴ)綾(アヤ)~」 (2)色や模様の美しいもの。 「紅葉の~」「みわたせば柳桜をこきまぜて宮こぞ春の~なりける/古今(春上)」 <i>~を飾・る</i> 功を成し遂げて故郷に帰る。 「故郷に~を飾る」 <i>~を着て夜行くが如(ゴト)し</i> 〔漢書(項羽伝)〕 立身しても故郷に帰らないのは, 錦を着ても人に姿を見てもらわないのと同じで, 甲斐がないということ。

大田錦城

これでは帳簿を作っているのと同じで著述と称するに値しない、と酷評された。 『九経談』(4冊、1804年) 『梧窓漫筆』(全6冊、前編1813年) 『学庸原解』 『仁説三書』 『疑問録』 『錦城百律』 『錦城詩稿』 『論語大疏』 太田才次郎『旧聞小録』 井上善雄著『大田錦城伝考』上 ^ 小学館 デジタル大辞泉『太田錦城』

大錦一徹

輩でもある横綱・大錦と同じ四股名に改名したことから、如何に期待されていたかが窺える。 非力だったが、左で前廻しを取り右をおっつけて一気に出てゆくか左半身で取る、同部屋の先輩・出羽錦に似た独特の取り口。 新入幕の場所から優勝争いに加わり、横綱・琴櫻や大関・貴ノ花を破るなど大活躍。新入幕力士が横綱戦で勝

大子錦大伍郎

サイトで見ながら4時間かけてさばいた。大子錦自身はちゃんこ長として良い思い出であると後年語った。アンコウやアラを捌くのもお手の物であった 大相撲ライターの佐藤祥子の著書では、部屋のちゃんこ長の立場で取材に応じている。「力士って、ほかの部屋のちゃんこを食べる機会がほとんどないので、案外わからないもの

大錦卯一郎

入学し、卒業後は報知新聞で相撲評論家として活躍した。また、中山博道の道場有信館に入門し、剣道を学んだ。1941年5月13日に死去、49歳没。 墓所は横浜市鶴見区の總持寺。 取り口は左を差して一気に寄るか吊り出すという肥躯を生かした速攻相撲 で、腹に乗せて吊るのが非常に上手く、119勝中47勝を吊り

錦織 (大津市)

大津市 > 錦織 錦織(にしこおり)は、滋賀県大津市にある地名。現行行政地名は錦織一丁目から錦織三丁目。 大津市の南西部に位置し、東に二本松と松山町、西に錦織町、南に皇子が丘と桜野町、北に神宮町と柳川と接している。 1966年(昭和41年)4月1日 - 錦織町の一部を分離し、錦織一丁目から錦織三丁目を設置。

錦町 (大分市)

日本郵便. 2022年2月28日閲覧。 渡辺克己『デジタルブック版「大分今昔」』大分合同新聞社 「第十二章 長浜かいわい (PDF) 」 2007年11月2日 「第十九章 東新町かいわい (PDF) 」 2007年12月21日 大分県大分市錦町1丁目 (44201045001) | 国勢調査町丁・字等別境界データセット

大和錦幸男

の本場所(トーナメント制)で優勝している。 1938年1月、十両格で復帰、すぐに再入幕を果たしその後も5年にわたり幕内中堅で活躍した。右四つからの寄り身に味があったという。羽黒山政司の大関昇進前後に、3連勝しているのが、めだった殊勲の星であった。1942年5月場所には、37歳で優勝旗手の栄誉に輝いている。

錦タワー

1993年(平成5年)、北海道南西沖地震が発生し、奥尻島は津波による大きな被害を受けた。1994年(平成6年)に谷口町長を始めとした紀勢町の視察団は奥尻島を訪問、当時の奥尻町長から「何が何でも高台に逃げることだ」との教訓を伝えられた。視察を元に紀勢町では199

錦地

〔風光明媚(メイビ)な美しい地の意〕 手紙などで, 相手を敬ってその居住地をいう語。 御地(オンチ)。 貴地。

錦繍

(1)錦(ニシキ)と刺繍(シシユウ)をした織物。 「~の帯」「綾羅(リヨウラ)~」 (2)美しい織物。 立派な衣服。 「身に~をまとう」 (3)美しい紅葉や花をたとえていう。 「秋の野山を~で彩る」 (4)うるわしい字句の詩文のたとえ。 <i>~の腸(ハラワタ)</i> 「錦心繍口(キンシンシユウコウ)」に同じ。

蜀錦

「蜀江(シヨツコウ)の錦(ニシキ)」に同じ。

錦秋

紅葉が錦(ニシキ)のように色鮮やかな秋。 「~の候」

錦綺

にしきとあやぎぬ。 あやにしき。