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Détails du Mot

楮

[かぞ]
⇒ こうぞ(楮)

楮

[かじ]
(1)カジノキの古名。
(2)襲(カサネ)の色目の名。 表裏ともに萌葱(モエギ)色。 秋に着用。

楮

[こうぞ]
〔「かみそ(紙麻)」の転〕
クワ科の落葉低木。 山地に自生し, また各地で栽培する。 葉は広卵形。 雌雄同株。 春, 薄黄緑色の小花がつき, 六月頃キイチゴに似た実が赤く熟す。 樹皮の繊維を和紙の原料とする。 カゾ。

Mots Associés

楮紙

⇒ こうぞがみ(楮紙)

楮紙

コウゾの樹皮の繊維を原料とした紙。 和紙の中で最も代表的なもので, 奉書・檀紙・杉原・西の内などとして各地で漉(ス)かれた。 写経用紙・障子紙・傘紙などとして古くから用いられる。 穀紙(コクシ)。 梶紙(カジガミ)。 ちょし。

楮町

楮町(こうじまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8005。2017年6月1日現在の人口は92人、世帯数は56世帯。 楮(コウゾ)の読みが「コウジ」になっている。 青森県道109号弘前平賀線沿いに位置。南大町の北側に位置し、町域の北西部から東部にかけて大町、東部か

楮貨

楮貨(チョファ、ちょか)は、李氏朝鮮の最初の法貨で、楮紙製の紙幣。名目貨幣として導入された。 高麗時代においては鉄銭や銅銭、銀銭とともに楮銭の発行、普及が行われたが定着せず、恭譲王3年(1391年)に楮貨流通政策が決定したが翌年に高麗王朝が滅亡したために施行されなかった。

玉楮象谷

舜造の子。文綺堂を名乗る 藤川米造 - 舜造の子。文賞堂を名乗る 子 玉楮槐庵 - 本名は理吉または敬造という。漆工を得意とした。1882年(明治15年)4月没。 玉楮拳石 - 彫刻を得意とした。1882年(明治15年)9月、49歳で没。 玉楮雪堂 - 父に劣らない彫刻技術を持つ。1901年(明治34年)没。 玉楮籐榭

皆谷

』では秩父郡代・木村飛騨守支配として150石が、上州前橋藩領として47石余が計上されている。江戸時代には和紙の原料となる楮皮が多く産出された。槻川の河岸に楮皮を流れに晒すための「楮晒小屋」と呼ばれる盧舎が立ち並び、村の女性が季節を問わず足を水に浸けながら作業を行っていた。皆谷村は分水嶺の東側にあるが

祖谷山

つあったが、街道の完成による交通状況の改善がそれに拍車をかけた。また、祖谷渓の水流を利用した水力発電所も多数建設された。一方、林業や狩猟、焼畑農業、楮紙の製造くらいしか産業がなかった祖谷山から出稼ぎに出る者、中にはそのまま他の地方に移り住む者も現れた。特に焼畑農業が衰退した昭和30年代以後にその傾向に拍車がかかり、過疎化が進行した。

梶並村

梶並村(かじなみむら)は、岡山県勝田郡にあった村。 現在の美作市右手、梶並、楮、東谷上、東谷下、真殿に当たる。 1889年6月1日 - 町村制施行に伴い、勝北郡右手村、梶並村、楮村、東谷上村、東谷下村、真殿村が合併し、梶並村となる。大字梶並に役場を置く。 1900年4月1日 - 勝北郡が勝南郡と合併し、勝田郡となる。

南陽郡 (朝鮮)

포촌동, 유지동, 대전동, 신남동, 존의동, 건로동, 백로동, 동학동, 백학동, 검다동, 일수동, 구포동, 연화동, 이화동, 도파동 楮八里面 - 자양동, 신안동, 청령동, 요곡동, 상기동, 하기동, 하저동 八灘面 - 안산동, 상사천동, 하사천동, 독곡동, 전대동, 언창동

横林村

地名の由来 予子林を古くは横林とも書いた。 藩政期 宇和島藩領。山奥組柳郷に属する。 1732年(享保17年) - 宇和島藩により坂石に物産買上所設置(楮・和紙等の買い上げ)。 1853年(嘉永6年) - 予子林の大野初次郎が塩座の開設を許される。 明治以降 1869年(明治2年) - 牛馬市の許可。

木綿 (ゆう)

木綿(ゆう)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のことである。楮の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。 伊勢神宮の神事など麻を原料として単に木綿(ゆう)と記される。神宮式年遷宮や他の神社でも遷座では頭に巻いたり、たすき掛けにして用いられる。真麻木綿(まそゆう)とも。

カラ (ウルスト部)

カラは1272年(至元9年)に初めてクビライに見えて仕えるようになり、1287年(至元24年)にはナヤンの乱鎮圧戦に従軍して功績を挙げ、白金・楮幣・甲冑・橐駝・鞍馬などを与えられた。オルジェイトゥ・カアン(成宗テムル)の治世には高麗・カラコルム・江西・福建などの地に使者としてしばしば赴き、大過

川瀬村

なってからは町内全域について地名表記に「大字」は付けなくなった。 役場は大字下畑野川においた。 役場 大字下畑野川においた。 米、麦、とうもろこし、楮皮、タバコ、大豆、小豆、粟、そば、いも類などを産し、養蚕、畜産も営まれた。山林は太平洋戦争前は茅場として用いられていたが、昭和30年代に造林が盛んになった。

ヒメコウゾ

ウィキメディア・コモンズには、ヒメコウゾに関連するメディアがあります。 ヒメコウゾ(姫楮、学名: Broussonetia kazinoki)はクワ科コウゾ属の落葉低木。学名に関しては、長らくBroussonetia kazinokiとされてきたが、近年の研究で命名者であるシーボルトが持ち帰ったBroussonetia

松田緑山

、これ以前より玄々堂は藩札製造を手がけていたという。作品に京都名所その他の風景画が見られる。 その技術をかわれ、1868年(慶応4年)閏4月に太政官楮幣局から金札(太政官札)を、翌年9月民部省から民部省札を製造を依頼され、龍山とともに東京へ移住する。しかし、緑山の銅版技法は殆ど保居の代から進んでいな

耶律有尚

、以躬行為務、悉為成徳達材之士。大抵其教法一遵衡之旧、而勤謹有加焉。身為学者師表者数十年、海内宗之、猶如昔之宗衡也。有尚既以年老、力請還家、朝廷復頒楮幣七千緡、即其家賜之。卒年八十六、賜諡文正」 ^ 『滋渓文稿』に収録されている耶律有尚の神道碑銘によると85歳

チェリク (アスト部)

「子失列門、直宿衛。致和元年秋八月、従知院脱脱木児至潮河川、獲完者八都児・愛的斤等十二人、戮八人、執四人帰京師。復於宜興遇失剌・乃馬台等、迎戦、奮戈撃死二人、以功賞白金・楮幣。天暦元年、従撃禿満台児之兵于両家店、殺其四人、復以功受賞。従戦薊州、又殺其四人。十一月、又追殺十二人于檀子山、以功授左衛阿速親軍都指揮使司僉事」