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Détails du Mot

褒姒

[ほうじ]
中国, 西周の幽王の寵姫(チヨウキ)。 褒は出身国名, 姒は姓。 めったに笑わぬ女で, 幽王が変事もないのに狼煙(ノロシ)をあげて諸侯を集めるとはじめて笑った。 以後これを繰り返すうち, 申侯と西戎(セイジユウ)に侵入されて, 狼煙をあげたが諸侯は集まらず, 幽王は殺されて西周は滅び, 褒姒は捕らえられたという。 生没年未詳。

Mots Associés

婬姒

遊女。 女郎。 「~の平生きよらを見するは, 渡世のためなり/浮世草子・永代蔵 1」

太姒

太姒が10人の子を教育すると、子どもたちが成長しても悪癖を見ることがなかった。『詩経』に「大邦有子、俔天之妹、文定厥祥、親迎于渭、造舟為梁、不顕其光」(大国に優れた娘があり、天の妹にもたとえられる。文王は礼をもってその吉祥を定め、自ら渭水に迎えに行き、舟を並べて橋を作った

褒貶

ほめることとけなすこと。 ことのよしあしを論ずること。 「毀誉(キヨ)~」

褒美

(1)ほめて与える品物や金銭。 褒賞。 「ご~をあげる」 (2)ほめたたえること。 「見物の上下, 一同に~せしなり/風姿花伝」

褒賞

ほめたたえること。 ほめそやすこと。 また, そのしるしとして与える賞品。 「天皇飲御(キコシメシ)て甚だ~させ玉ひ/新聞雑誌 53」

褒章

栄典の一。 社会・公共・文化などに尽くした人を表彰して記章とともに授与される。

過褒

ほめすぎること。 過賞。

褒ず

ほめる。 たたえる。 「世間に此様な事が稀なほどに別して~・ずるぞ/史記抄 3」

褒辞

ほめことば。 賛辞。 褒詞。

褒状

ほめる言葉をしるした書き付け。 賞状。

褒称

ほめたたえること。 称揚。 「其篤行を~せり/新聞雑誌 25」

褒め

褒め(ほめ。英: Praise)あるいは賞賛・称賛とは、社会関係の相互作用の一形式であり、肯定的な評価、励まし、感嘆の念(英語版)などを伝えることである。これは言葉だけでなく、ボディーランゲージ(表情や身振り)によっても伝えられる。 言葉による褒めには、他者の行動や特質に対する肯定的な評価が含まれて

朱褒

朱 褒(しゅ ほう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。益州牂牁郡(または朱提郡)の人。『三国志』蜀志「後主伝」・「馬忠伝」などに記述がある。また『華陽国志』南中志にも記述がある。 蜀漢を建国した劉備が没した後、南中地方(益州南部の4郡)において反乱を起こした人物の一人である。

廉褒

廉 褒(れん ほう、生没年不詳)は、前漢の人。字は子上。隴西郡襄武県の人。先祖は廉頗で、漢の時代になり豪族であったため苦陘から移住させられたという。 西域都護を務め、その恩義と信頼が賞賛された。 永始3年(紀元前14年)に金城太守から執金吾に移り、永始4年(紀元前13年)に右将軍となる。

韓褒

韓 褒(かん ほう、生年不詳 - 572年)は、中国の北魏末から北周にかけての政治家・軍人。字は弘業。本貫は潁川郡潁陽県。 韓演の子として生まれた。学問を好んだが、章句を守らなかった。建明年間、奉朝請を初任とした。強弩将軍の位を加えられ、太中大夫に転じた。北魏末の乱のため夏州に避難した。宇文泰が夏

元褒

元 褒(げん ほう、生没年不詳)は、北周から隋にかけての官僚・軍人。字は孝整。本貫は河南郡洛陽県。元孝矩の弟。 元均の末子として生まれた。弓や乗馬を得意として、幼い頃から大人と張り合った。10歳で父を失い、兄たちに養育された。兄たちが別居することを議論したとき、元褒

褒忠郷

褒忠郷(バオジョン/ほうちゅう-きょう)は台湾雲林県の郷。 褒忠郷の旧名は「埔姜崙荘」と称され、清代は布嶼堡に属し彰化県の管轄下に置かれていた。 1786年(乾隆51年)、林爽文の反乱が発生すると反乱軍側の荘大田が嘉義を攻め、各堡は混乱に陥った。それに対し張源懃と張明義兄弟が民衆をまとめ、官軍を支

藤原褒子

^ 島田 1996、34頁 ^ 『後撰和歌集』巻十五 雑一 1119 ^ 『江談抄』 ^ 『後撰和歌集』巻十三 恋五 960 朝日日本歴史人物事典『藤原褒子』 - コトバンク 島田とよ子 「京極御息所褒子について:『大和物語』六十一段を起点に」『園田国文』17号、園田学園女子短期大学国文学会、1996年。

王褒 (南北朝)

褒(おう ほう、生没年不詳)は、中国の南北朝時代の官僚・文学者。字は子淵。本貫は琅邪郡臨沂県。 南朝梁の侍中の王規の子として生まれた。立ち居振る舞いが美しく、談笑をよくした。史伝を広く読み、文章を作るのを得意とした。母方の祖父の袁昂は「この児は当に吾が宅の相となるべし」と評した。梁の武帝は王褒