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Détails du Mot

長孫稚

宣武帝のとき、長孫稚の娘婿の父にあたる侯剛が権臣の元叉と関係が深かったため、長孫稚もそのお陰で出世することができた。撫軍大将軍・揚州刺史として出向し、鎮南大将軍・都督淮南諸軍事の任を加えられた。524年(正光5年)、南朝梁の将軍の裴邃・虞鴻が寿春を攻撃してきたが、長孫稚がこれを撃退した。このとき長孫稚

Mots Associés

長孫嵩

渥に面会すると、拓跋珪に帰順するよう勧められた。長孫嵩は帰属先を決めかねて、牛の首を回す占いの結果に従って、拓跋珪と三漢亭で面会した。386年(登国元年)、拓跋珪(道武帝)が代王として即位すると、長孫嵩は再び南部大人となった。 391年(登国6年)、道武帝が柔然

長孫倹

趙貴らが晋公宇文護の殺害を計画し、これに長孫倹の長男の長孫僧衍が加担して処刑された。長孫倹自身は咎めを受けず、宇文護に召し出されて小冢宰に任じられた。562年(保定2年)、通州刺史・検校六防諸軍事となった。564年(保定4年)、襄州総管に転じ、柱国大将軍に上った。566年(天和元年)、陝州総管・都督八州二十防諸軍事に任じられた。

長孫覧

覧はもとの名を善といったが、武帝が「朕は万機を卿の先覧に委ねたい」と言ったことから、覧の名を賜った。宇文護が殺害されると、長孫覧は功績により薛国公に進んだ。後に小司空をつとめた。北斉が平定されると、位は柱国に進み、次男の長孫寛が管国公に封ぜられた。宣帝のとき、位は上柱国・大司徒に進

長孫熾

長孫 熾(ちょうそん し、549年 - 610年)は、北周から隋にかけての政治家・軍人。字は仲光。本貫は河南郡洛陽県。長孫稚の次男の長孫子裕の孫にあたる。 長孫兕の子として生まれた。群書を渉猟し、成長すると武芸も兼ね備えた。北周の武帝は道教をたっとび、道教の学問を追究し、経史にも兼ね通じて、談論を

長孫晟

北周の滅亡後は隋に仕えるが、その間に千金公主(佗鉢可汗の没後、兄である沙鉢略可汗に嫁いでいた)は隋から「大義公主」の称号を与えられていたが、一族が滅ぼされたことを秘かに恨んで突厥を動かして隋を滅ぼそうとした。それを知った長孫晟は沙鉢略可汗の後を継いだ都藍可汗に働きかけるなどの工作を行って公主を滅ぼした。

長孫翰

翰(ちょうそん かん、生年不詳 - 430年)は、北魏の軍人。本貫は代郡。 長孫肥の子として生まれた。道武帝のとき、騎射を得意としたため、猟郎となった。拓跋嗣が斉王であったとき、長孫翰は拓跋磨渾らとともに拓跋嗣を帝位に迎える計画を立てた。409年(永興元年)、拓跋嗣(明元帝)が即位すると、長孫翰

長孫肥

長孫 肥(ちょうそん ひ、生年不詳 - 408年)は、北魏の軍人。本貫は代郡。 代王拓跋什翼犍のとき、13歳で内侍に選抜された。道武帝が独孤部や賀蘭部に身を寄せると、長孫肥は側近に侍従して信任をえた。 387年(登国2年)、莫題らとともに大将となり、道武帝に従って劉顕を討った。388年(登国3年)

長孫皇后

長孫皇后(ちょうそんこうごう)は、中国の唐の太宗李世民の皇后であり、高宗の母。小字は観音婢という。本貫は河南郡洛陽県。李世民とのあいだに李治をはじめとする三男四女を生んだ。唐の名臣長孫無忌を兄に持つ。 隋の右驍衛将軍長孫晟と継室の高氏(高勱の娘)のあいだの娘として生まれた。大業5年(609年)、長孫

長孫無忌

長孫 無忌(ちょうそん むき、生年不詳 - 659年)は、中国の初唐を代表する政治家。唐の太宗の長孫皇后の兄であり、唐朝の外戚に当たる。字は輔機。本貫は河南郡洛陽県。唐の凌煙閣二十四功臣の第一位に挙げられた。 隋の右驍衛将軍長孫晟(長孫熾の弟)の子として生まれた。長孫

孫

(1)子孫。 後裔(コウエイ)。 「其れより僧迦羅が~, 今に其の国に有り/今昔 5」 (2)血統。 血筋。 「狐の子は, 子狐より, 父が~をつぎて/曾我 8」

孫

まご。 むまご。 「その子~までははふれにたれど, なほなまめかし/徒然 1」

孫

〔「うまご」の転〕 (1)子の子。 「~娘」 (2)間を一つおいた関係。 「~弟子」「~引き」 <i>~は子よりもかわいい</i> 祖父母にとって孫は我が子よりもかわいい。

孫

子の子。 まご。 [和名抄]

孫恩 (孫呉)

らねば位に即けなかったのだ。それであるのに、いま献上しようとした物を突き返された。これでは一般の臣下とまったく同じ待遇ではないか。もう一度、改めて廃立のことを行なわねばなるまい」と恨み言を述べた。張布はこの言葉を孫休に伝えた。孫休は、心中に孫綝を不快に思ったが、それを表面に表せば

稚魚

卵からかえったのち, 種の特徴を明確に示すまでに育った魚。 → 成魚

丁稚

〔「でし(弟子)」の転か〕 (1)職人・商人などの家に奉公する少年。 雑役などに従事した。 (2)年少者をいやしめていう語。 「おお, でつくともせぬ~めが/浄瑠璃・出世景清」

稚気

子供っぽいようす。 子供のような気分。 「~愛すべし」

稚児

あかご。 あかんぼう。 やや。

稚い

年端がゆかない。 幼い。 「~・い子供」「~・くおはしましし時より見奉り/源氏(桐壺)」 〔歴史的仮名遣いは「いはけなし」「いわけなし」の両説がある〕