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上房郡

古来、吉備国・備中国の中心地として栄えた賀陽郡に属していた。後に北部を上方郡(じょうほう・じょうぼう)として分離した。 元は「上方」と書き「じょうほう」「じょうぼう」と読んでいたが、「上房」と表記もした。表記は統一されていなかったが郡区町村編制法施行時に「上房」と書き「じょうぼう」と読む様に定められた。郡名の由来は賀陽郡に対し

Kata Terkait

安房郡

令制国一覧 > 東海道 > 安房国 > 安房郡 日本 > 関東地方 > 千葉県 > 安房郡 安房郡(あわぐん)は、千葉県(安房国)の郡。大化の改新の後に安房神社の神郡として建郡(立評)され、その後幾多の変遷を経て、現在の安房郡は以下の1町よりなる。 鋸南町(きょなんまち) 人口6,378人、面積45

房陵郡

房陵郡(ぼうりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。後漢末および隋唐の一時期に、現在の湖北省十堰市一帯に設置された。 後漢末に房陵郡が立てられ、蒯祺がその太守に任命された。220年(黄初元年)、蒯祺を攻め滅ぼした孟達が魏に降ると、魏の文帝により房陵郡・上庸郡・西城郡の3郡を合わせて新城郡が置かれ、孟達が新城太守に任じられた。

郡上郡

令制国一覧 > 東山道 > 美濃国 > 郡上郡 日本 > 中部地方 > 岐阜県 > 郡上郡 郡上郡(ぐじょうぐん)は、岐阜県(美濃国)にあった郡。かつては「奥美濃」と通称した。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は上記の他、下記の区域にあたる。 郡上市の大部分(白鳥町石徹白を除く)

郡上

郡上(ぐじょう) 郡上市 - 岐阜県にある市。平成の大合併により郡上郡の町村が合併して発足。 郡上郡 - 岐阜県および美濃国にあった郡。 郡上郷 - 郡上市八幡町付近に比定される律令制下の郷。 郡上藩 - 郡上郡八幡(郡上八幡城)に本拠を置いた藩。 小谷郡上町 -

上郡

328年、魏は秦に対し上郡15県を献上し、以後秦国の版図とされた。 前221年、秦が中国を統一すると全国に36郡を設置した際に上郡も設置され、県治は膚施県(現在の楡林市南部)とされた。 前206年、項羽による関中の三分割が行われた際、降伏した秦将の董翳を上郡において翟王に封じたことで上郡が消滅した

井上之房

井上 之房(いのうえ ゆきふさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。黒田氏の家臣。黒田二十四騎、黒田八虎の一人。主な通称は九郎右衛門(くろうえもん)。 天文23年(1554年)、井上之正の子として播磨国飾東郡松原郷(現・姫路市白浜町松原)に生まれる。 初名は政国を名乗り、黒田職隆に小姓として

上杉重房

鎌倉明月院に木造上杉重房坐像(国の重要文化財)が所蔵されている(鎌倉国宝館に寄託)。 父:藤原清房 母:不詳 妻:不詳 男子:上杉頼重 女子:山名政氏室 女子:足利頼氏側室 ^ 現在の京都府綾部市上杉町周辺。 ^ 「上杉重房」『日本人名大辞典』講談社。https://kotobank.jp/word/上杉重房-33782。 

上杉房能

十日町市松之山天水越に房能を弔った管領塚が存在する。 ^ 越中において包囲された能景を房能が見捨て、その事を恨んでいたという説もある[要出典]。 ^ 森田真一は、為景の挙兵は房能が八条上杉家から養嗣子を迎えたことで、八条家ら一門の発言力が強まることに反発したもので、本来は八条家の排除が

安倍房上

安倍 房上(あべ の ふさうら/ふさかみ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。氏は安部とも記される。治部卿・安倍吉人の子。官位は正五位下・大和守。 斉衡3年(856年)従五位下に叙爵し、大炊頭に任ぜられるが、まもなく安房守に転じる。 清和朝に入り、散位を経て天安2年11月(859年1月)大判事

上杉宗房

宗房の代になると、藩財政の窮乏だけでなく年貢の未納なども深刻となり、宗房は百姓に対して元文3年(1738年)に年貢の当年分完納を条件とした7か月分未納分延納許可などによる対策を講じた。また、元文4年(1739年)には藩士の借り上げ分の一部返済を条件とした倹約令を出して藩財政

上杉房定

将軍義教の死後、幕府では鎌倉府復興が取り沙汰されるようになり、文安4年(1447年)には万寿王丸(後の足利成氏)の関東帰座が実現した。『鎌倉大草紙』には「越後の守護人上杉相模守房定」が永享の乱後の関東地方の混乱鎮圧のために、前鎌倉公方・足利持氏の遺子永寿王丸の関東復帰を

上杉房方

方の治世の間に守護代の長尾邦景が越後支配の実権を持つようになり、幕府首脳もその存在を無視できない存在へと台頭していった。 [脚注の使い方] ^ 黒田基樹は上杉氏における「方」を“まさ”と読むのが正しいとする説を唱えており、「氏満期の上杉氏」における房方の解説でも「房方(ふさまさ)」と読み仮名を振っている。

上杉朝房

上杉家(後の扇谷上杉家)の上杉朝定も後見しており、朝房兄弟が朝定の養子になっていた可能性もある。 正平4年/貞和5年(1349年)に但馬国守護職に任じられているが、翌年3月には辞任している。これは観応の擾乱に際して足利尊氏・高師直による足利直義派である上杉

上杉房実

た。房実も連歌を嗜み、長享2年(1488年)越後を訪れた万里集九を迎えて詩歌の会を催している。明応4年(1495年)に成立した新撰菟玖波集には玄澄法師の名で6句入集している。また尊応流、二楽流の流れをくむ能書家として「筆跡流儀系図」「流儀集」「古筆流儀別」に名が挙げられている。 ^ 異説有り。 ^

房房

ふさのように多く集まって垂れ下がっているさま。 「~(と)した髪」「~と絡(マト)つた緋の花纐纈(ハナシボリ)の帯揚は/多情多恨(紅葉)」

郡上市

郡上市(ぐじょうし)は、岐阜県の中濃地域にある市。郡上八幡の街並みや郡上おどり、白山信仰の地として知られている。 郡上市の中心市街地である八幡地区には近世以来の城下町の姿が保全されており、その景観から「奥美濃の小京都」と呼ばれ、全国京都会議にも加盟している。 岐阜県のほぼ中央に位置し、飛騨高地の南に

長上郡

寺島新田村・打上村が寺島村に、小島村が内野村に合併。 1876年(明治9年)(112村) 8月21日 - 第2次府県統合により静岡県の管轄となる。 木船新田村・木船村が合併して貴布禰村となる。 宮竹新屋村が宮竹村に合併。 1879年(明治12年)3月12日 - 郡区町村編制法に基づく静岡県令甲第36号によ

葛上郡

令制国一覧 > 畿内 > 大和国 > 葛上郡 日本 > 近畿地方 > 奈良県 > 葛上郡 この項目に含まれる文字「葛」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 「葛」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。 葛上郡(かつじょうぐん)は、奈良県(大和国)にあった郡。

川上郡

令制国一覧 > 北海道 (令制) > 釧路国 > 川上郡 日本 > 北海道 > 釧路総合振興局 > 川上郡 川上郡(かわかみぐん)は、北海道(釧路国)釧路総合振興局の郡。 人口13,606人、面積1,873.7km²、人口密度7.26人/km²。(2024年1月31日、住民基本台帳人口) 以下の2町を含む。