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名鉄デニ2000形電車

ドウシルのみを設置し、ウィンドウヘッダーは省略されている。 荷物室の最大積載容量は59.48 m3、荷重上限は9 tである。荷物室には座席を設けず、可搬式の丸椅子を常備する。 車体塗装はモ3251末期の青色系塗装を踏襲せず、当時の名鉄保有の旅客用車両における標準塗装であったダークグリーン1色塗装とされている。

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参宮急行電鉄デニ2000形電車

参宮急行電鉄デニ2000形電車(さんぐうきゅうこうでんてつデニ2000がたでんしゃ)は、参宮急行電鉄が1930年に製造した、荷物合造電動客車の1形式である。 1930年3月27日の参宮急行電鉄線松阪 - 外宮前間部分開業に備え、同区間で使用する区間運転用車として1930年3月に神戸市の川崎車輛兵庫工場でデニ2000 - デニ2007の8両が製造された。

名鉄2000系電車

モーター非搭載の軸にモーターを追設し、新たに付随車(T車)を増結することで将来の4両編成化も見据えたものとしていた。後述のように、この増結は早くも2006年度中に行われたが、実際には新造車の4軸のうち2軸にモーターを装架した2/4M車が増結されている。したがって車軸数で見た場合のMT比は登場時より1:1で変わっていない。

西鉄2000形電車

00形(偶数)の順に編成し、モ2000形(偶数)-モ2000形(奇数)の2両1組単位で1C8M制御を行う。 主電動機は700形と共通の三菱電機MB-3189-A直流直巻整流子式電動機を電動車の各台車に2基ずつ装架し、駆動装置も同様にWN駆動方式であるが、歯数比については高速性能を重視し、83:18から81:20へ変更されている。

日立電鉄2000形電車

電日立号」(呑電日立号)へと改造された(後述)。 2002年、日立電鉄線全列車2連化に伴いドア回路・運転席等が小改良された。この対象から漏れた2212編成・2005は運用離脱、休車となった。その後の列車本数の減少に伴い2004年に2214編成・2217が運用離脱、休車となった。

広島電鉄2000形電車

1次型の2001-2003と2次型の2004-2009の違いは、1次型はナニワ工機製のため床敷物がビニールとなっており、2次型は自社工場製のため床敷物が木製と仕様が異なっていた。 550形から続いていた、電照式のアクリル広告板も1両につき4ヶ所付けられた。運用末期頃に

近鉄モ2000形電車

近鉄モ2000形電車(きんてつモ2000がたでんしゃ)とは近畿日本鉄道(近鉄)が製造した電車である。本項では同形式の制御車として製造されたク1550形についても記す。 本形式は太平洋戦争終戦後の混乱期に運輸省が制定した「私鉄郊外電車設計要項」に基いて新製された、いわゆる運輸省規格形に区分される車両である。

大阪鉄道デニ500形電車

この結果、本形式を含むM弁搭載車の6連運用は、これ以後は事実上禁止され、本形式については最長4連で運行されるようになった。また、当時6連以上の長大編成で電車運転を計画していた各社はブレーキ装置に、高性能だが複雑かつ高価なU自在弁を導入することを強いられるようになった。[要出典] この問題の解消は、M弁に電磁弁

名鉄MRM100形電車

る日本初の跨座式モノレールである。また、モンキーパークモノレール線の廃止当時は日本で最古の現役モノレール車両であった。 制御装置は日立製作所製電動カム軸式抵抗制御MMC-HBM-5(永久直列17段、発電制動17段、抑速3段)、主電動機はHS-510-Crb(端子電圧340V、電流232A、1時間定格出力70kW、定格回転数1

京王デニ2900形電車

000mmの両開き扉をもち、扉間には窓4枚を配置、マルーンの車体の窓下に白帯が巻かれていた。荷電という用途と重量軽減のため、内張はなく床は網目板となっている。なお連結器は廃車になった木造車デハ2000形(初代)より流用した。 デハ2000形(初代)よりの流用品である、イングリッシュ・エレクトリック

江ノ島電鉄2000形電車

示器はフルカラーLED(季節に応じたイラストを掲出できる)となって前面窓上に移設されたほか、連結面クロスシートのロングシート化、座席モケットを青色の新柄に変更、フリースペース(一部座席を撤去した扉間)および車椅子スペースの新設、江ノ電初の大型(17.5インチ)車内液晶表示器の新設、室内灯・前照灯のL

遠州鉄道2000形電車

が車椅子スペースを確保した。また、全編成に客室内の監視カメラを設置している。 車内照明は、客室天井には客室蛍光灯と予備蛍光灯が、乗務員室天井に蛍光灯をそれぞれ備えている。なお、蛍光灯からLED灯へ随時交換を行っている。 側窓は上窓が下降ができ、下窓は固定しており、上昇のアルミ枠2段ユニット窓とし、各

名鉄モ540形電車

譲り受けたものである。 名鉄では同社の軌道線で、最初の連結運転を行なった車両となった。 三重合同電気(三重交通の前身)の木造四軸ボギー車32・33・35である。32・33は1922年(大正11年)に、35は1924年(大正13年)に梅鉢鉄工所で製造された。戦後に三重交通501形に改称し、神都線で運用される。

名鉄モ590形電車

)以降美濃町線で運用され、他の4両も1971年(昭和46年)までに美濃町線へ転属した。同時に全車を対象に歯車比を4.5から3.05に変更し、専用軌道線における高速運転に対応させている。また、正面行先表示幕は登場後程なく使用停止となり、以降は行先表示板によって行先表示を行っていた。その後、モ880形

名鉄モ580形電車

名鉄モ580形電車(めいてつモ580がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が同社の軌道路線において運用する目的で、1955年(昭和30年)から翌1956年(昭和31年)にかけて導入した路面電車車両である。 モ580形(以下「本形式」)はモ581 - モ584の計4両が製造され、岐阜市内線・美濃町線で

名鉄ク2090形電車

御車)である。輌(2091)が運用された。 戦争の激化により、名鉄は輸送量増大に対応すべく車両増備が必要となった。そんな中、旧式車輌の購入を考えた。1940年(昭和15年)、名鉄は鉄道省から旧式車輌のホニ5910(1902年新橋工場製の荷物車)の払い下げを受け、自社の鳴海工場で改造。1941年(昭和

名鉄ク2080形電車

車)である。 2両(2081・2082)が運用された。 沿線に工場が急増したことによる工員輸送のため、当時の名鉄は他社からの車両の購入や自社での車両の製造を行っていた。ク2080形は鳴海工場で新製した木造の車体を、廃車となった車両の台車(日車

名鉄モ880形電車

運転対応改造も施工された。 メンテナンスフリーとするため、補助電源装置は静止型インバーターを採用した。 2005年(平成17年)に美濃町線・田神線が廃止されたことで運用を離脱し、福井鉄道へ譲渡された。ただし元々鉄道線との乗り入れを行っていたモ770形に比べ、当形式は歯車

名鉄モ570形電車

数の事業者で新製されたが、本形式もまた都電6000形のデッドコピーというべき車両である。丸みを帯びた深めの屋根や窓下の補強帯、窓配置1D10D1の前後扉構造であること等、都電6000形の1950年(昭和25年)までに新製された車両とほぼ瓜二つの外観を持つ。ただし、正面3枚窓のうち中央の運転台窓が若干

名鉄サ40形電車

名鉄サ40形電車(めいてつサ40がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道で運用されていた電車(付随車)である。 太平洋戦争末期、軍需輸送がさらに増加し輸送力強化が重要視されていた。しかし、資材不足で新規の車両は製造できない状態となっていた。そのため、一部の貨車を改造し付随車化。輸送力強化が計られた