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宇治拾遺物語

『宇治拾遺物語』(うじしゅういものがたり)は、鎌倉時代前期(建暦2年(1212年)~承久3年(1221年))成立と推定される日本の説話物語集である。編著者は未詳。 題名は、佚書『宇治大納言物語』(宇治大納言源隆国が編纂したとされる説話集、現存しない)から漏れた話題を拾い集めたもの、という意味である。

Kata Terkait

古語拾遺

大同2年(807年)2月13日に書かれたとされている。大同元年(806年)とする写本もある。だが、跋(あとがき)に「方今、聖運初めて啓け…宝暦惟新に」とある。このことから、平城天皇即位による改元の806年(延暦25年・大同元年)5月18日以降であることがわかり、「大同元年」説は誤りということが分かる。

拾遺

(1)(歌・作品など)漏れ落ちているものを拾い補うこと。 「宇治~」 (2)君主をたすけて, その過失を補うこと。 (3)侍従の唐名。

宇治大納言物語

宇治大納言物語』の名を冠す書も多い。 名称は様々で、『中外抄』には「大納言物語」、七巻本『宝物集』には「宇治大納言隆国ノ物語」、『古今著聞集』序には「宇県亜相物語」とある。「宇県」は宇治をさし、「亜相」は大納言の唐語であるため、この名はそのまま「宇治大納言物語」を指す。

源注拾遺

本居宣長による『源氏物語玉の小櫛』などと比べると、従来の旧注の内容をそのまま受け継いでいる部分も多いものの、この中にはそれまでの主流であった儒教的な教戒説をはっきりと退ける『源氏物語』享受史上画期的な論説もあり、これは本居宣長の「もののあはれ」論につながっていくものである。さまざまな資料を駆使して事

吉野拾遺

強奪を図った話(上巻9話)、楠木正儀への復讐を果たそうとした熊王の話(下巻16話)、兼好が作者を来訪した話(下巻21話)がある。『大日本史』・『南山巡狩録』・『池の藻屑』・『本朝語園』などにも影響を与えた。 跋文と本文によると、かつて南朝の廷臣であり、後醍醐天皇の崩御に際して出家・遁世した松翁(しょ

平治物語

『平治物語』(へいじものがたり)は、平治の乱の顛末を描いた軍記物語。 作者不詳。平治元年(1159年)、後白河上皇方最大の武力勢力であった平清盛が熊野参詣に出かけた隙を狙って、かねてから藤原通憲(信西)と後白河の寵愛をめぐって権力争いを起こしていた藤原信頼が、保元の乱での賞与などで平家の圧迫に不満

宇治市源氏物語ミュージアム

の幻の写本とよばれる「大沢本」など「源氏物語」に関する資料の収集・保管等を行う。1998年に開館し、開館10周年にあたる2008年9月にリニューアルが行われた。 平安の間 映像展示「源氏物語と王朝絵巻」 架け橋 宇治の間 映像展示「宇治十帖」 映像展示室 映像展示「橋姫 女人たちの心の丈」 -

伊勢物語拾穂抄

いしょう)は、北村季吟による『伊勢物語』の注釈書。刊行は延宝8年(1680年)だが、寛文3年(1663年)以前には成立していた。細川幽斎の『伊勢物語闕疑抄』と師匠である松永貞徳の説を中心に、『伊勢物語愚見抄』、『伊勢物語肖聞抄』、『伊勢物語惟清抄』などを取捨選択し、そこに愚案として北村季吟自身の説を

拾遺和歌集

流布本によれば、歌数は1351首、部立は春・夏・秋・冬・賀・別・物名・雑(上・下)・神楽歌・恋(5巻)・雑春・雑秋・雑賀・雑恋・哀傷の計20巻から成る。雑春・雑秋・雑恋・哀傷といった特異な部立ては、『拾遺抄』の雑の部立てを細分化したためである。

宇治

宇治(うじ)は西日本に多く見られる地名。宇遅、莵道、菟道などの異表記がある。 近畿地方 宇治 (伊勢市) - 三重県伊勢市の地名 宇治 (和歌山市) - 和歌山県和歌山市の地名 宇治郷 宇治郷 - 山城国宇治郡の郷 宇治郷 (神戸市) - 摂津国八部郡の郷 宇治郡 - 山城国の郡 宇治市 - 京都府南部の市

遺物

(1)過去の人類の残した物。 考古学では, 石器・土器・骨格器・青銅器・人骨など持ち運べる物をいう。 「前世紀の~」 (2)形見。 また, 教祖や聖人の遺骸や遺品。 ゆいもつ。 (3)落とし物。 遺失物。

遺物

死者ののこした物。 遺品。 [日葡]

鉄くず拾いの物語

『鉄くず拾いの物語』(てつくずひろいのものがたり、Epizoda u životu berača željeza)は、2013年のボスニア・ヘルツェゴビナ・フランス・スロベニア合作のドラマ映画。ダニス・タノヴィッチ監督・脚本。ボスニア・ヘルツェゴヴィナに住むロマ民族の女性が、保険証を持っていないため

宇治橋 (宇治市)

あずからしめる「作善」を目的とした架橋であった点では共通しており、その考えは道昭の弟子である行基らに受け継がれたとする。 『延喜式』には、「宇治橋ノ敷板、近江国十枚、丹波国八枚、長サ各三丈、弘サ一尺三寸、厚サ八寸」とある。 宇治橋は古今和歌集や紫式部の源氏物語に登場する。 また、能の「鉄輪」で登場する橋姫伝説でも有名である。

拾

数の名。 九より一つ多い数。 五の倍数。 両手の指の数。 と。 とお。 <i>~に八九(ハツク)</i> ⇒ 十中八九 <i>~の一二(イチニ)</i> 可能性などがわずかなこと。

新拾遺和歌集

0日、四季奏覧。10月、為明の死去により頓阿が継いで、12月に成る。部立は、春上下、夏、秋上下、冬、賀、離別、羇旅、哀傷、恋一二三四五、神祇、釈教、雑上中下。雑下に『拾遺和歌集』の組織をまねて雑体歌をのせた。恋および雑の部の歌作者に僧が多いのは頓阿の撰したためかという。歌風は平明である。 表示 編集

今昔百鬼拾遺

火間虫入道(ひまむしにゅうどう) 殺生石(せっしょうせき) 風狸(ふうり) 茂林寺釜(もりんじのかま) 羅城門鬼(らじょうもんのおに) 夜啼石(よなきのいし) 芭蕉精(ばしょうのせい) 硯の魂(すずりのたましい) 屏風闚(びょうぶのぞき) 毛羽毛現(けうけげん) 目目蓮(もくもくれん) 狂骨(きょうこつ) 目競(めくらべ)

後拾遺和歌集

的な旧守派の和歌から新奇的な和歌まで幅広い。和泉式部の激情がほとばしる恋歌から、赤染衛門の細やかな思い遣りの贈答歌、能因・良暹ら僧侶歌人の旅情豊かな歌、曾禰好忠の大胆で型破りの歌まで、その作者・作風ともに多種多様である。また詠歌背景を詳しく説明する長文の詞書が多く、散文的特色が指摘されている[要出典]。

続拾遺和歌集

『続拾遺和歌集』(しょくしゅういわかしゅう)は、「二十一代集」中、12番目の勅撰和歌集。20巻。建治2年(1276年)亀山上皇の命によって編纂が開始され、弘安元年(1278年)に奏覧された。ただし、下命は文永11年(1274年)だった可能性もある。選者は二条為氏。和歌所は源兼氏だったが、その死に伴い、慶融が担当した。