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寂光院

寂光院(じゃっこういん)は、京都市左京区大原にある天台宗の寺院。尼寺。山号は清香山。寺号は玉泉寺。本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は聖徳太子と伝わる。平清盛の娘・建礼門院徳子が、平家滅亡後隠棲した場所であり、『平家物語』ゆかりの寺として知られている。 寂光院の草創について明確なことはわかっていない。

Kata Terkait

寂光

⇒ じゃっこう(寂光)

寂光

〔仏〕 (1)真理の寂静(ジヤクジヨウ)なることと真智の光。 理と智の二徳。 (2)「寂光土」の略。

寂光院 (犬山市)

の建築と思われる。本堂西に東面して建ち、渡廊下で結ばれる。桁行5間、梁間3間、一軒、入母屋造、桟瓦葺で、4周に擬宝珠高欄付の切目縁を廻す。軸部は角柱で床下部を高くつくり、縁を絵様付持送り板で受ける。側廻りに蔀戸を多用した住宅風の外観は籠堂の性質を示している。平成17年(2005年)に国の登録有形文化財に登録されている。

寂光院 (桐生市)

寂光院(じゃっこういん)は、群馬県桐生市西久方町二丁目にある日蓮宗の寺院である。山号は経王山(きょうおうざん)。本尊は釈迦如来。旧本山は、池上本門寺。池上・芳師法縁。 桐生市街地の西北部、かつての桐生陣屋の跡地にあり、山手通りに面している。南は円満寺、北は妙音寺に隣接する。 寂光

寂光寺

1708年(宝永5年)現在の地に移転し、再建する。 法華経八巻 竹雁図 四季図屏風 初代算砂日海上人肖像画 囲碁狂歌 近衛関白公拝領碁盤 碁器 3月 春季彼岸会 5月16日 初代本因坊算砂上人報恩会 9月 秋季彼岸会 11月 宗祖日蓮大聖人御式会 本因坊算砂墓所 本因坊算悦墓所 本因坊道悦墓所

寂光山

岐阜県多治見市白山町にある曹洞宗の寺院。 勝鬘寺 – 愛知県岡崎市針崎町朱印地にある真宗大谷派の寺院。寂光山勝鬘寺、または和田山勝鬘寺。 寂光 常寂光土(寂光土)、寂光海会 寂光寺 寂光院 常寂、常寂山、大寂常照禅師 寂照、寂照院、寂地山 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・

常寂光寺

安土桃山時代末の文禄5年(1596年)に小笠原秀政の母で日野輝資の養女である延壽院が開基となり、日蓮宗大本山本圀寺第16世日禎が隠棲の地として当山を開いた。その常寂光土のような風情から常寂光寺の寺号が付けられたとされる。 歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以とその従兄弟の角倉栄可である。境内は第2世日韶(

寂室元光

永源寺の開山となった。師・中峰の隠遁的な禅を受け継ぎ、世俗から離れ、生涯黒衣の平僧として過ごした。時の天皇や室町幕府から京都天龍寺・鎌倉建長寺などへ拝請されたが、受けることなく永源寺に隠棲した。 詩・偈・墨跡は特にすぐれ、重要文化財に指定されているものもある。 寂室元光墨蹟(瑞岩号)(新潟県 貞観園保存会)

寂

※一※ (名) 〔仏〕 (1)煩悩(ボンノウ)を離れ, 悟りに達すること。 涅槃(ネハン)。 (2)僧侶の死を表す語。 死亡の年月日の下に付けて用いる。 「昭和一〇年~」 ※二※ (ト|タル) 静かなさま。 せき。 「広い家の中~として何の物音も無い/良人の自白(尚江)」

寂

ひっそりと静まっているさま。 → 寂として(副)

寂

〔動詞「寂びる」の連用形から〕 (1)古びて趣のあること。 閑寂の趣。 さびしみ。 しずけさ。 (2)枯れて渋みのあること。 また, 太くてすごみのあること。 「~のある声」「~のきいた声」 (3)しおり・細みなどとともに, 蕉風俳諧の基調をなす静かで落ち着いた俳諧的境地・表現美。 → わび → しおり → 細み → かるみ (4)謡や語り物の発声の一。

聚光院

景を描いたもので、永徳の父・狩野松栄により描かれたものである。 竹虎遊猿図 6面 - 檀那の間の北側(裏)の「衣鉢の間」の障壁画。狩野松栄作。 蓮鷺藻魚図(れんろそうぎょず)8面(附指定) - 仏間の仏壇下小襖の絵。 以上の障壁画のオリジナルは保存のため京都国立博物館に寄託され、方丈にはデジタル技術による高精度の複製が設置されている。

神光院

天保年間(1830年 - 1843年)に堂宇を焼失している。 幕末の女流歌人で陶芸家の大田垣蓮月は、晩年の75歳から当院に隠棲していた。境内には「蓮月尼旧栖之茶所」と刻まれた石碑とともに、茶室(蓮月庵)が残されている。蓮月隠棲中の明治初期に、廃仏毀釈運動を受けて一旦は廃寺となったが、蓮月没後の1878年

徳光院

五社稲荷大明神社 福徳弁財天社 城山展望公園 布引の滝 滝山城 (摂津国) 熊内八幡神社 布引展望台 布引ダム - 日本最古のコンクリートダム(国の重要文化財)、布引貯水池 布引ハーブ園 北野町山本通 雷声寺 〒651-0058 兵庫県神戸市中央区葺合町布引山2-2-3 山陽新幹線 新神戸駅 徒歩15分

永光院

目相続の挨拶のため江戸へ下向したとされる寛永16年(1639年)に慶光院の院主であったのは6代目・周宝(山本義時の娘)であり、翌17年(1640年)に周宝が没してからも、既に隠居の身であった5代目・周清が実質的な院主であった。元より慶光院の院主たちが跡目相続の挨拶の為に徳川将軍に挨拶に出向いていた

慈光院

慈光院(じこういん)は、奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。 寛文3年(1663年)に石州流茶道の祖・片桐石見守貞昌(石州)が父・貞隆の菩提寺として大徳寺185世・玉舟和尚(大徹明應禅師)を開

慶光院

千栄周養(慶長16年(1611年)4月25日卒) 明隠周清(慶安元年(1648年)9月2日卒) 玉容周宝(寛永17年(1640年)5月5日卒) 夫室周長(慶安5年(1652年)4月10日卒) 松嶽周貞(延宝4年(1676年)4月24日卒) 安山周榮(貞享3年(1686年)6月24日卒) 梅峯周香

光台院

(和歌山市)の院号。 光台院 (和歌山県高野町) – 和歌山県伊都郡高野町高野山にある寺院。高野山光臺院。高野御室。 西運寺 (佐伯市)の院号。 光臺寺(光台寺) 晧臺寺 高臺寺(高台寺)、高臺院 廣大寺(広大寺) このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合

瑞光院

オープンストリートマップに瑞光院の地図があります。 瑞光院(ずいこういん)は京都市山科区安朱堂ノ後町にある臨済宗大徳寺派の仏教寺院。かつては上京区堀川頭今宮御旅所下ル瑞光院前町に存在した。現在の場所に移転したのは昭和37年。忠臣蔵ゆかりのある寺院でもある。 慶長16年(1611)に浅野長政は当地にあ