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小房

[しょうぼう]
小さいへや。 小座敷。

Kata Terkait

小河重房

住人平馬太郎ぞかし。和殿は誰ぞ」。「駿河の次郎の手の者小川太郎」と言ひければ、「さらば」とて返す。小川これを受け取らず。後にこの由申しければ、平馬の僻事(ひがごと)なり。小川の高名にぞ成りにける』と、記載されており、この小川太郎は小川氏の養子となった3代経村(近衛道経の子:近衛経村)のことである。

小崎政房

404の記述を参照。 ^ #外部リンク欄の日本映画データベース「結城三重吉」の項のリンク先の記述を参照。二重リンクを省く。 ^ a b c d e f #外部リンク欄の日本映画データベース「結城重三郎」の項のリンク先の記述を参照。二重リンクを省く。 ^ a b c d e f g h #外部リンク欄の日本映画データベース「小崎政房

房房

ふさのように多く集まって垂れ下がっているさま。 「~(と)した髪」「~と絡(マト)つた緋の花纐纈(ハナシボリ)の帯揚は/多情多恨(紅葉)」

小林大薬房

小林宗次 工場部門は小林薬品とした。 のちに名古屋市昭和区安田通2の77に工場を分離し、株式会社小林大薬房安田工場とした。 小林タムシチンキ 烏犀角散 小児烏犀角散 1870年(明治3年) - 小林忠兵衛が名古屋市の「万信商店」に奉公にあがる。 1886年(明治19年) -

小吉の女房

『小吉の女房』(こきちのにょうぼう)は、NHK BSプレミアムの「BS時代劇」枠にて2019年1月11日から3月1日まで毎週金曜20時00分から20時43分に放送された日本のテレビドラマ時代劇。全8回。山本むつみのオリジナル脚本により、勝海舟を育てた型破りな夫婦を描いたホームドラマ時代劇。主演は沢口靖子で、大河ドラマ『新選組

安房小湊駅

安房小湊駅(あわこみなとえき)は、千葉県鴨川市内浦にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)外房線の駅である。旧安房郡小湊町の中心に位置し、日蓮宗の大本山・小湊山誕生寺の最寄り駅でもあることから観光需要もあり、特急「わかしお」以下の全列車が停車する。 1928年(昭和3年)12月8日:小湊鉄道小湊停車場の工事に着手(後に工事は中断)。

小田部統房

830頁 ^ 小田部昭典『小田部軍物語』P.62~65 ^ a b 吉永正春『筑前戦國史』荒平城主小田部氏の最期 p.120~127 ^ a b 安楽平落城 筑前大友五城 ^ a b 『井樓纂聞 梅岳公遺事』 p.103~104 ^ a b 『筑後将士軍談』 卷之第十二 大鶴小田部戦死之事 P.322

房

(1)多くの糸をたばね, その先端を散らして垂らしたもの。 「紐(ヒモ)の~」 (2)花や実などの, 多く集まって, 枝から垂れ下がっているもの。 「ブドウの~」 (3)ミカンなどの果実の中身の袋の一つ一つ。

房

(1)小部屋。 つぼね。 「草の御蓆も此の~にこそまうけ侍るべけれ/源氏(若紫)」 (2)僧の住んでいる所。 また, 僧。 「或る~には経典を読誦する比丘有り/今昔 4」「すぐれたる御~ぞかし/大鏡(昔物語)」 (3)二十八宿の一。 東方の星宿。 蠍座(サソリザ)の前半部に当たる。 房宿。 そいぼし。

万里小路冬房

万里小路 冬房(までのこうじ ふゆふさ)は、室町時代中期の公卿。内大臣・万里小路時房の子。官位は従一位・准大臣。万里小路家8代当主。 幼年より仏教への帰依が深く、応仁の乱を機に出家して、最期は補陀落渡海を遂げた。 万里小路時房の子として誕生。初名は成房。 永享年間に叙爵された後、右兵衛佐・弁官・五

万里小路藤房

年の翌年(1334年)3月11日に天皇の八幡行幸に同行した後、岩倉で不二坊という僧のもと出家。天皇は慌てて宣房に命じて藤房を召還させたが、既に行方を晦ましていたため、再会は叶わなかったという。 以上は史料には見られないどころか、史実との矛盾点もある。 元弘3年(1333年)7月19日には恩賞が配布さ

万里小路輔房

位は正三位・権中納言。万里小路家12代当主。 天文11年(1542年)、内大臣・万里小路惟房の子として誕生。 永禄6年(1563年)7月6日、参議に叙官。 天正元年(1573年)、父・惟房が薨去して万里小路家を継ぐが、わずか2か月後に薨去した。 父:万里小路惟房(1513-1573) 母:畠山家俊の娘

万里小路充房

慶長10年(1605年)10月13日、出家して等利(または桂哲)を号す。 元和5年(1619年)9月18日、後水尾天皇の典侍・四辻与津子が身籠り女宮を産んだことから宮中の風紀の乱れが問題となり(およつ御寮人事件)、その責任を取らされるかたちで丹波国篠山に流罪となった。 父:勧修寺晴秀 母:粟屋元子

万里小路孝房

たかふさ)は、江戸時代初期の公卿。官位は従三位・参議。万里小路家14代当主。 権大納言・万里小路充房の子。母は織田信長の娘・源光院。 慶長18年(1613年)1月12日、参議に叙官。極位は従三位。 元和3年(1617年)2月21日、勅使として、徳川家康に東照大権現の神号を下賜する。 父:万里小路充房 母:源光院 - 織田信長娘

万里小路通房

万里小路 通房(までのこうじ みちふさ、1848年6月27日〈嘉永元年5月27日〉 - 1932年〈昭和7年〉3月4日)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。貴族院伯爵議員。 山城国京都で、万里小路博房の息子として生まれる。母は森長義の11女・貞子。嘉永3年2月(1850年)に叙爵し、慶応元年10月(1865年)右少弁に就任。

万里小路宣房

鎌倉幕府滅亡後の建武の新政下では、従一位に叙せられて雑訴決断所の頭人を務める。建武3年(1336年)1月には若年の千種忠顕と共に出家しており、新政への不満が集まる中での詰め腹を切らされたものと考えられている。後醍醐天皇に従って吉野に赴くこともなく、次男・季房の遺児仲房も京都に残ったため、それまで大覚寺統の重鎮であった万

万里小路博房

1862年(文久2年)12月9日、朝廷内に設置された国事御用掛を兼補。 1863年(文久3年) 5月25日、朔平門外の変(同年5月20日)によって卒去した姉小路公知の贈官宣旨の奉者となる。 5月29日、右中弁に転任。国事御用掛・蔵人・検非違使・右衛門権佐如元。 5月30日、従四位下に昇叙。国事御用掛右中弁如元。 8月1日、国事御用掛から国事参政に異動。

万里小路仲房

を兼ねる。応安2年/正平24年(1369年)1月、元日と白馬の節会の内弁を勤め、叙位執筆を担う。応安3年/建徳元年(1370年)、再び叙位執筆を担う。応安4年/建徳2年(1371年)3月11日、権大納言を辞退。4月25日、本座を許される。 永和2年/天授2年(1376年)1月6日、按察使を止め

万里小路時房

は権大納言に任ぜられ、後小松天皇(上皇)の側近として活躍し、伏見宮から後小松天皇の猶子として皇位を継承した後花園天皇が、実父である貞成親王に尊号を奉じようとした時に亡くなった後小松天皇の遺詔の遵守を理由に最後まで反対論を唱えていた。また、武家伝奏や南都伝奏を務め、室町幕府4代将軍・足利義持・義教に