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Kamus

Detail Kata

巍然

[ぎぜん]
高くそびえ立つさま。 抜きんでて偉大なさま。
「五重~と聳えしさま/五重塔(露伴)」

Kata Terkait

巍巍

(1)高く大きいさま。 「~たる岩峰」「~と雲を凌ぐ高楼/花間鶯(鉄腸)」 (2)おごそかで威厳のあるさま。 「神徳~たり/栄花(鳥の舞)」

巍乎

(山などが)高く大きいさま。 「~たる楼閣を起す/春(藤村)」

魏巍

2008年8月24日、病気のため北京にて88歳で死去。 『両年』、1951年 『黎明風景』、1955年 『不断集』、1963年  『魏巍詩選』、1985年 『紅葉集』、2007年 『長空怒風』、1952年 『地球的紅飄帯』、1988年 『火鳳凰』、1997年 『東方』、1978年 『懐人集』、1980年 『志愿軍叔叔和朝鮮小姑娘』、1952年

中山巍

半年間休学したことで留年することになる。 1922年(大正11年)、東京美術学校研究科を修了、同年フランスのパリに留学。在欧中に里見勝蔵の紹介でモーリス・ド・ヴラマンクに師事。在欧中は里見勝蔵を始め前田寛治、宮坂勝、小島善太郎、佐伯祐三、中野和高、高畠達四郎、福沢一郎、林竜作らと交遊した。

旗田巍

旗田 巍(はただ たかし、1908年11月7日 - 1994年6月30日)は、日本の東洋史学者、旧・東京都立大学名誉教授。 1908年、慶尚南道馬山生まれ。1931年東京帝国大学東洋史学科卒業。卒業後満鉄調査部に所属し華北農村慣行調査に参加した。 戦後は旧・東京都立大学助教授、教授を務め、1972年

谷本巍

を卒業。在学中の1951年、日本農民組合に入る。1958年全日本農民組合連合会(全日農)を結成し、米価、酪農などの各運動を指導。全日農青年部書記長、中央常任委員などを経て、1969年書記長に就任。米価審議会委員も務めた。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選し、2期務めた。

中村巍

^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』456頁。 ^ a b 『新興日本名士録』なねの部 p.30 ^ 『代議士詳覧』p.376-377 ^ 『新代議士名鑑』p.329 ^ 『官報』第1773号、大正7年7月1日 ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。

孫宅巍

南京事件の地理範囲を南京市(いわゆる南京行政区、近隣6県を含まない)として研究している。 南京における中国側兵力について1985年に「評唐生智在保衛戦中的功過」で南京防衛軍を10万人としていたが、1988年に「南京保衛戦史」で15万人に上方修正した。また従来、日本兵による虐殺被害者数を30万人としてきたが、2000年に「江海学刊」で算

然然

繰り返して言ったり, 詳しく言ったりする必要のないとき, その代わりに使う語。 かくかく。 これこれ。 うんぬん。 「~の理由によると明記せよ」「返書の旨趣を~と語り/近世紀聞(延房)」

然然

〔「しか」を重ねた語〕 そうそう。 そのとおり。 「~, さはべりし事也/大鏡(序)」

然然

これこれ。 しかじか。 「~の所よりなりけりと聞き給ひて/蜻蛉(中)」

犬塚盛巍

『官報』第4045号「彙報-官吏薨去」1896年12月21日。 ^ 『太政官日誌』明治7年 第166号 。 ^ 国立文書館『検事犬塚盛巍判事ニ転任并検事野崎啓造増俸ノ件』 ^ 『官報』第92号「叙任」1883年10月16日。 ^ 『官報』第92号「官庁彙報」1883年10月16日。 ^ 『官報』第315号「官庁彙報」1885年7月17日。

斎藤巍洋

1934年(昭和9年)12月17日、ブラジルより請われ水泳コーチとして1年の契約期間で遠征し、現地で海軍生徒や関係者に日本独特の泳法を指導した。独特の練習法により海軍の選手達は著しい進境を示し、各新聞は筆を揃えてこれを絶賛した。 海軍体育会は、1935年(昭和10年)3月にサンパウロへ遠征し、サンパウロ水泳連盟と競技を行った。大会で

然

(1)そのように。 そう。 「このころは千年や行きも過ぎぬると我や~思ふ見まく欲りかも/万葉 686」 (2)感動詞的用法。 相手の言葉を受けて, あいづちを打ったり, 承諾の意を表すとき用いる。 そうだ。 はい。 「生むこと奈何(イカニ)とのりたまへば, 伊邪那美命, ~善けむと答へたまひき/古事記(上訓)」「童, ~, 五六たびばかりは見奉りたり, と答ふ/今昔 20」 <i>~あれば</i> そうであるから。 「我等, 昔をかしし罪により, 悪しき身を受けたり。 ~忍辱の心を思ふともがらにあらず/宇津保(俊蔭)」 <i>~言・う</i> 〔「爾云」「云爾」の訓読み〕 文章末尾などにおき, 上述のとおりという意を表す。 「理りに因(ヨツ)て~・ふのさ/西洋道中膝栗毛(七杉子)」 <i>~はあれど</i> そうではあるが。 しかあれども。

然

前に示されていることを受けて, その事態を示す語。 そう。 そのように。 「~思(オボ)したり/源氏(桐壺)」 〔平安時代以後にみられる語〕 → さこそ → さのみ → さだに → さは → さばかり → さも → さらで

然

名詞に付いて, いかにもそのようなさまの意を表す。 「学者~としている」

成島巍一郎

議者に任命され、備荒儲畜法改正を要請する建議についての延期案を支持した。堤防費について地租納入の対価として堤防費の支出を要求する建議をした。さらに荷馬荷牛税の全廃を主張した。1884年の県会では女子師範学校費の廃止に反対し、別途予備金については原案を支持。治水堤防費の国庫補助を内務卿に建議する起草委

敢然・漠然・茫然

「敢然・漠然・茫然」(かんぜん・ばくぜん・ぼうぜん)は、松山千春が2021年10月27日にリリースした82枚目のシングル。 2021年の音楽 ^ “敢然・漠然・茫然|松山千春”. ORICON STYLE. 株式会社oricon ME. 2022年2月25日閲覧。 ^ “敢然・漠然・茫然 | ディスコグラフィ

然う然う

※一※ (副) (1)それほどに。 そんなに。 多く打ち消しの語を伴う。 「~無理は言えない」「~相手にしてはいられない」 (2)繰り返したり, 継続したりするさま。 そのようにずっと。 「~スルホドニ, ヨウヨウ, 羊ヲモコトゴトククイツクシ/天草本伊曾保」 ※二※ (感) (1)思い出したときに発する語。 「~, 電話するのを忘れていた」 (2)相手に対する同意や肯定の気持ちを表す語。 「~, そのとおりだ」