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帝徳

[ていとく]
天子の威徳。 天子の徳行。 聖徳。

Kata Terkait

宣徳帝

この反乱を鎮圧した。捕らえられた朱高煦は監禁されたが、後に宣徳帝と謁見した際、宣徳帝を蹴倒すという事件を起こしている。激怒した宣徳帝は朱高煦を巨大な銅壷の中に閉じ込め、周囲に炭火を積み上げて焼き殺した。宣徳帝の果断な行動は、祖父や曾祖父譲りの残虐性に裏打ちされていたと考えられている。

嗣徳帝

紹治帝の次男、18歳で即位。儒教思想を尊ぶ文人とされる。 1787年の仏安条約以降、安南王の嘉隆帝と協調関係を維持したフランスであったが、1820年の嘉隆帝の死後より次第に民心も疎隔し、嗣徳帝即位の頃には排仏熱が高まりをみせていた。1851年3月21日、嗣徳帝が内外のキリスト教宣教師を排する旨を通知したことから、キリスト教寺院の

育徳帝

嗣徳帝には子がなく、3人の甥を養子にしていたが、育徳帝はその中で最年長であった。嗣徳帝は育徳帝の言動に不満を持ち、後継者候補から外そうとしたことがあったが、母の慈裕皇太后范氏姮(ベトナム語版、中国語版)に反対された。1883年7月19日、嗣徳帝が崩御、やむを得ず遺詔で育

正徳帝

正徳帝(せいとくてい)は、明の第11代皇帝。諱は厚㷖(こうしょう)。廟号は武宗 (ぶそう)。日本では治世の元号から一般に正徳帝と称されている。 弘治帝が立て直した国勢を再び衰退させ、明朝滅亡の要因を作り出した皇帝であると言える。 弘治帝の長男として生まれる。母は張皇后。

大清皇帝功徳碑

ᡝᠷᡩᡝᠮᡠᡞ ᠪᡝᠢ 転写:daicing gurun-i enduringge han-i gung erdemui bei)は、大韓民国のソウル特別市松坡区三田渡に建立された石碑であり、建立地の名を取った三田渡碑(さんでんとひ、サムジョンドビ、삼전도비、Samjeondo-bi、Samjeondo

徳川の女帝 大奥

枕席に侍る事が多かった。お美代は藤乃側の妨害を受けながらも将軍に召される夜を増やしていく。二人の戦いは藤乃が『お褥辞退』を迎える30歳になるまで続いた。そんなお美代もやがて懐妊する。しかし数多くの側室がひしめく大奥には将軍の子供はすでに飽和状態。妊娠は将軍と隔てられる理由にしかならなかった。

帝

〔「門(カド)」に尊敬の接頭語「み」が付いたもの。 (2)が原義〕 (1)(「帝」と書く)天子・天皇の尊称。 また, その位。 「宇多の~の御いましめあれば/源氏(桐壺)」 → 天皇 (2)門をいう尊敬語。 特に皇居の門。 ごもん。 「大き~を入りかてぬかも/万葉 186」 (3)天皇の居所。 皇居。 また, 朝廷。 「万代(ヨロズヨ)にいましたまひて天の下奏(モウ)したまはね~去らずて/万葉 879」 (4)天子・天皇の治める国土。 国家。 「荒き風波にあはせず平けく率て帰りませもとの~に/万葉 4245」

上宮聖徳法王帝説

。仏教的事績を主な記録とするが、後述するように一部に日本書紀とは異なる記録が見える。 原本は残存しない。写本は江戸時代末期まで法隆寺秘蔵物で天下の“孤本”といわれた。後に知恩院に移されて現在は国宝である。この写本の巻末に所有者だったと思える高僧(相慶・法隆寺五師の一人、12世紀後半の人物)の名が残さ

徳

(1)修養によって得た, 自らを高め, 他を感化する精神的能力。 「~を積む」「~を養う」 (2)精神的・道徳的にすぐれた品性・人格。 「先生の~を慕う」「~の高い人」 (3)身に備わっている能力。 天性。 「よく味(アジワイ)を調へ知れる人, 大きなる~とすべし/徒然 122」 (4)めぐみ。 神仏の慈悲。 加護。 おかげ。 「~を施す」「神の御~をあはれにめでたしと思ふ/源氏(澪標)」 (5)善政。 「師(イクサ)をかへして, ~を敷くにはしかざりき/徒然 171」 (6)富。 財産。 裕福。 財力。 「上達部の筋にて, 中らひも物ぎたなき人ならず, ~いかめしうなどあれば/源氏(東屋)」 (7)富を得ること。 利益。 もうけ。 得。 「時の受領は世に~有る物といへば/落窪 1」 <i>~とする</i> ありがたいと考える。 感謝する。 「この恩義を一生~する」 <i>~は孤(コ)ならず必ず隣(トナリ)あり</i> 〔論語(里仁)〕 徳のある人は孤立することなく, 必ずよき協力者にめぐまれる。 <i>~を以(モツ)て怨(ウラ)みに報(ムク)ゆ</i> 〔老子〕 怨みをもつ者に対して報復せずに, かえって恩徳を施すこと。

帝京

天子のいる都。 帝都。

幼帝

幼少の帝。

帝展

帝国美術院の開催した展覧会。 1907年(明治40)に官展として開設された文展(文部省美術展覧会)に代わり, 19年(大正8)以来毎年開催。 37年(昭和12), 帝国芸術院が創設されるとともに新文展と改称。 46年以降日展と改称。

上帝

〔「しょうてい」とも〕 (1)天上にあって, 万物を支配する神。 天帝。 (2)中国のキリスト教で, 神のこと。 一六世紀以来, 「天主」と併用されてきたが, 典礼問題をめぐる論争に際し, 上帝{(1)}と混同されるとして, 1704年教皇によりこの呼称が禁じられた。 なお, 一九世紀のプロテスタント系漢訳聖書の一部は「神」に「上帝」をあてた。

上帝

⇒ じょうてい(上帝)

帝大

「帝国大学」の略。

帝釈

「帝釈天」の略。

廃帝

他から強制されて退位した皇帝・天皇。

大帝

偉大な帝王。 すぐれた帝王。

反帝

「反帝国主義」の略。 「~闘争」