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Kamus

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杜祺

司塩校尉の王連が良才を持つ者を選抜して属官に任用した時、杜祺は呂乂・劉幹と共に招聘され、典曹都尉に任命される。 建興9年(231年)、諸葛亮が李厳の弾劾状を上奏した際は行参軍・武略中郎将として名を連ねた。 延熙7年(244年)、魏の曹爽が漢中に侵攻。その対応を協議した際、指揮官の王平の発言の中で「劉護軍(劉敏)と杜

Kata Terkait

祺祥

sabingga)は、清の同治帝の代に公布されながら、施行されなかった元号。1861年。 1861年8月22日(咸豊11年7月17日)に、咸豊帝が熱河(現在の承徳)で崩御すると、粛順らが顧命大臣として朝政を補佐し、9月3日に祺祥と改元することが定められた。 しかし、11月2日に辛酉政変が発生すると、西太后一派が主導権を握り、11月7日に

郭泰祺

郭 泰祺(かく たいき)は中華民国の外交官・政治家・教育者。護法運動の際に孫文の下で外交活動に従事し、国民政府でも外交部長を務めた要人である。字は保元。号は復初。 秀才の家に生まれる。1902年(光緒28年)、張之洞が創設した新式学堂である武昌湖北省五路高等小学堂に入学した。後に張からその才識を評

李億祺

17歳の頃武科に合格、慶興府使になって女真討伐に目覚しい活躍をした。 戦役を通じて全羅右道水軍節度使(全羅道西半部を管轄する水軍長官)として李舜臣や元均等と共に日本と戦った。李舜臣が彼を嫉む人々の謀陥を受けて白衣従軍をするようになった時には彼のために弁護した。 1597年、慶長の役の準備のために釜山方面へ集結中の日本軍を攻撃する命令を受

段祺瑞

1936年11月2日)は、清末民初の軍人・政治家。馮国璋・王士珍とともに「北洋の三傑」と称された。字は芝泉、晩年の号は正道居士。親日派として中国での評判は決してよくないが、その人格の高潔さは孫文と並び称される。 李鴻章と同郷出身であり、また祖父の段佩も淮軍の将校であったことより高級軍人の道を進むこととなった。1885年(光緒11

張佳祺

2013年シーズンから大連阿爾濱でプレー。 2014年12月24日、大連阿爾濱から広州恒大へ完全移籍した。移籍金は2000万人民元である。 2020年5月25日、四川九牛足球倶楽部に移籍した。 2022年、浙江FCに移籍した。 長身を活かした守備は評価が高く、守備的MFとセンターバックをこなす。欧州の経験がある。 ユース経歴

杜

(1)樹木が多くこんもりと生(オ)い茂っている所。 「~の都」「~に入って木を見ず」 (2)特に, 神社をかこむ木立。 《杜》「鎮守の~」 → 林

鷹司祺子

やすこ、文化8年2月25日(1811年3月19日) - 弘化4年10月13日(1847年11月20日))は、江戸時代後期の仁孝天皇の女御。のち皇太后、女院。女院号は新朔平門院(しんさくへいもんいん)。 関白鷹司政熙の娘。母は井上義胤の娘梅子。准母は権中納言豊岡尚資の娘斐子。異母兄の関白鷹司政通、同母姉の仁孝天皇女御鷹司

杜篤

監された。44年(建武20年)、大司馬の呉漢が死去すると、光武帝は儒者たちに誄(弔詞)を作るよう命じた。杜篤は獄中で誄を作り、光武帝の賞賛を受けて、絹布を賜り刑を免除された。 杜篤は洛陽の修築に反対し、前漢の都であった長安に都を置くよう主張する「論都賦」を作って上奏した。

杜佑

(735-812) 中国, 唐中期の学者・政治家。 古代から玄宗の天宝時代までの諸制度を分類して記した「通典(ツテン)」二〇〇巻を著す。

杜仲

トチュウ科の落葉高木。 中国南西部に自生。 樹液は少量のグッタペルカを含む。 樹皮を干したものを強壮・鎮静・鎮痛薬として用いる。 「~茶」

杜鵑

※一※ (名) (1)ホトトギス目ホトトギス科の鳥。 全長約30センチメートル。 尾羽が長い。 背面は灰褐色。 腹面は白色で黒い横斑がある。 ウグイスなどの巣にチョコレート色の卵を産み, 抱卵と子育てを仮親に託す。 鳴き声は鋭く, 「テッペンカケタカ」などと聞こえる。 夏鳥として渡来し, 山林で繁殖して東南アジアに渡る。 古来, 文学や伝説に多く登場し, 卯月(ウヅキ)鳥・早苗(サナエ)鳥・あやめ鳥・橘鳥・時つ鳥・いもせ鳥・たま迎え鳥・しでの田長(タオサ)などの異名がある。 ﹝季﹞夏。 《~平安城を筋違に/蕪村》 (2)(「時鳥草」「杜鵑草」「油点草」の文字を当てる)ユリ科の多年草。 丘陵や低山の湿った場所に生える。 高さ約60センチメートル。 葉は互生し, 狭長楕円形で基部は茎を抱く。 秋, 葉腋に白色で紫斑がある花を一~三個ずつつける。 花被片は六個。 和名は花の斑を{(1)}の胸の斑に見立てたもの。 ほととぎすそう。 ﹝季﹞秋。 ※二※ (枕詞) {※一※(1)}が飛ぶ意から類音の地名「飛幡(トバタ)」にかかる。 「~飛幡の浦にしく波のしくしく君を/万葉 3165」

杜氏

酒を作る職人。 また, その長。 とじ。 さかとうじ。

杜宇

ホトトギスの異名。

房杜

(1)房玄齢と杜如晦(トジヨカイ)。 ともに唐の太宗の貞観(ジヨウガン)の治を担った名宰相。 (2)名宰相のこと。

杜若

※一※ (名) 〔古くは「かきつはた」〕 (1)アヤメ科の多年草。 湿地に生える。 ハナショウブに似るが葉は幅が広く, 中脈は発達しない。 高さ約70センチメートル。 初夏, 茎頂の苞の間に三個内外の濃青色・白色・斑入りなどの花を開く。 かいつばた。 かおよばな。 ﹝季﹞夏。 《~似たりや似たり水の影/芭蕉》 (2)襲(カサネ)の色目の名。 表は二藍(フタアイ), 裏は萌黄(モエギ)。 または, 表は薄萌黄, 裏は薄紅梅。 陰暦四月に用いる。 (3)家紋の一。 {(1)}の花と葉を図案化したもの。 主に, 公家の紋。 ※二※ (枕詞) 「丹(ニ)つらふ」「佐紀」(地名)などにかかる。 「~につらふ妹はいかにかあるらむ/万葉 1986」「~佐紀沢に生ふる菅の根の/万葉 3052」

杜若

ヤブミョウガの漢名。 誤ってカキツバタの漢名ともされる。

杜若

能の一。 三番目物。 三河の八つ橋で旅僧の前に杜若の精が現れ, 業平(ナリヒラ)の詠歌の力で成仏したことや, 業平東下りの物語を語り, 舞を舞う。

杜鵑

ホトトギスの漢名。

杜松

植物ネズの古名。