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阿倍氏

する氏族。 孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族である。飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出する。平安時代以後は「安倍」と称する。 景行天皇の妃の一人である高田媛の父が阿部木事であるとされ、また継体天皇の妃に阿倍波延比売がいたといわれているが、歴史上はっきりとした段階で活躍する

Kata Terkait

阿倍

姓氏の一。 (1)〔上代には「あへ」〕 孝元天皇の皇子大彦命の子孫との伝承をもつ古代の名族。 陰陽師(オンヨウジ)として高名な平安中期の安倍晴明の子孫は, 天文道の家として陰陽家を形成, のちに土御門(ツチミカド)家を称した。 (2)平安時代の陸奥(ムツ)の地方豪族。 安倍頼時など。

安倍氏

安倍氏 (あべし) 安倍晴明などの安倍氏。阿倍氏を参照。 平安時代の陸奥国の豪族で俘囚の有力者。安倍氏 (奥州)を参照。 (あんべし) 安部氏の異表記。信濃国の滋野氏、または諏訪氏一族。 安倍 - 安部 - 阿部 - 阿倍 - 安辺 阿部氏 日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 安倍氏/那須国造/膳氏【1】

阿倍広庭

阿倍 広庭(あべ の ひろにわ)は、奈良時代前期の公卿。右大臣・阿倍御主人の子。官位は従三位・中納言。 文武朝の慶雲元年(704年)前年に没した父・御主人の功封100戸の内の1/4を継ぐことが許される(当時の位階は従五位上)。和銅2年(709年)以前に正五位下、和銅4年(711年)正五位上、和銅6年

阿倍野区

阿倍野区(あべのく)は、大阪市を構成する24行政区のうちの一つ。名前の由来は阿倍氏から。 北部の阿倍野橋周辺は近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅、Osaka Metro御堂筋線・谷町線天王寺駅、阪堺電気軌道上町線天王寺駅前駅があり、百貨店や映画館などが存在する商業地区である。国道25号を挟んですぐ北側の天王

阿倍野駅

阿倍野駅(あべのえき)は、大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋にある、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の駅・阪堺電気軌道の停留場。 本項では、廃止された南海電気鉄道の駅についても記述する。 大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) 谷町線 駅番号はT28 阪堺電気軌道 ■上町線 駅番号はHN02

阿倍爾閇

にえ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。氏姓は引田朝臣のち阿倍朝臣。阿倍魚主の子とする系図がある。官位は従四位下・長門守。 文武朝の大宝元年(701年)造大幣司が置かれると三野王と共に初代の造大幣司長官に任ぜられる(このときの位階は従五位下)。従五位上に昇叙された後、元明朝の和銅元年(708年)長門守に任ぜられる。和銅5年

阿倍粳蟲

父:阿倍嶋麻呂または阿倍広庭 母:不詳 生母不明の子女 男子:阿倍道守 女子:阿倍古美奈(?-784) - 藤原良継室、皇后藤原乙牟漏母 子の道守(みちもり)の職は、『公卿補任』に記載はないが、安倍(土御門)の家伝によれば陰陽頭、従四位を任ぜられていたとのことである。道守の子には畿内観察使・兄雄、主殿頭・男笠、弟雄が

阿倍毛人

阿倍 毛人(あべ の えみし)は、奈良時代の公卿。系譜は明らかでないが、大納言・阿倍宿奈麻呂の子とする説がある。官位は従四位上・参議。 天平18年(746年)従五位下に叙爵し、翌天平19年(747年)玄蕃頭に任ぜられる。天平勝宝6年(754年)山陽道巡察使。 淳仁朝では、天平宝字3年(759年)従五

阿倍首名

阿倍 首名(あべ の おびとな)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。官位は正四位下・兵部卿。 系譜は明らかでないが、右大臣・阿倍御主人が没した翌年の大宝4年(704年)正月に、従六位上から三階昇叙されて従五位下に叙爵していることから、御主人の近親か。慶雲3年(706年)大宰少弐に任ぜられる。

阿倍正之

を務めた。また、神田川の治水事業に際し、柳原堤を築く工事を担当した。元和9年(1623年)には越前国松平忠直改易後の国務の任を受く。 寛永2年(1625年)江戸において旗本以下諸士の屋敷割りを実施した。同年9月常陸国信太郡、上総国埴生郡、夷隅郡内において2050余石を知行の旨の朱印を

阿曇氏

阿曇氏(あずみうじ、安曇氏とも)は、「阿曇(安曇)」を氏の名とする氏族。 海神である綿津見命を祖とする地祇系氏族。 『記紀』に登場し、『古事記』では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記され、『日本書紀』の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記されている。その他、『新撰姓氏録

阿蘇氏

阿蘇惟孝(1864年 - 1936年)- 阿蘇惟敦の子、第88代阿蘇大宮司 阿蘇惟紀 - 阿蘇惟孝の子、第89代阿蘇大宮司 阿蘇惟友 - 阿蘇惟紀の子、第90代阿蘇大宮司 阿蘇惟之(1951年 - 2012年) - 阿蘇惟友の子、第91代阿蘇大宮司。 阿蘇治隆 - 阿蘇惟之の実弟で第92代阿蘇

阿智氏

『先代旧事本紀』「天神本紀」では、饒速日命に随行した三十二柱の神の一柱として、八意思兼神の子・天表春命を信乃阿智祝部(しなののあちのはふりべ)らの祖としてあげ、その兄弟の天下春命を武蔵秩父国造の祖としている。 阿智神社では孝元天皇5年春正月に、天八意思兼命が御子神を従えて信濃国に降臨して鎮座したという伝承を残す。

阿南氏

姓氏家系大辞典。 大神氏(おおがし) 嫗嶽大明神伝説=大神大蛇伝説 緒方惟義=大神惟榮 - 大神氏庶家大野氏 小原鑑元 橋爪艦種 - 阿南郷の小塁鳥ヶ鼻塞の主(1530年)で賀来の騒動の関連人物 『豊後国図田帳』国文学研究資料館『諸国風土記及図田帳』(しょこくふどきおよびずでんちょう)、大和文華館(奈良県)所蔵、1285年。 

阿倍御主人

御主人は大伴御行とともにこれに次いだ。文武天皇4年(700年)巡察使の報告により治績に応じて各国の国司に叙位や増封が行われた際、大伴御行ととも正広参に叙せられる。 大宝元年(701年)には多治比嶋・大伴御行が相次いで没すが、御主

阿倍内麻呂

天皇が既に崩御して後継ぎがおらず、早急に決めないと乱が発生する恐れがある。今どの王を皇嗣とすべきだろうか。 天皇が病臥していた際に田村皇子に対して、天下を治めることは大任である。たやすく言うべきではない。慎重にこれを察して、しっかりやるように、との詔があった。 次に、山背大兄王に対しては、独りで喧しく

阿倍仲麻呂

ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」も刻まれている。 [脚注の使い方] ^ この大臣は吉備真備を指している。 ^ 死別再婚か多妻婚か不明 ^ 麿は麻呂の別の漢字表記である。例:菱屋竜太郎『阿倍仲麿入唐記』(明治3年〈1870年〉)。 ^ 『古今和歌集目録』によれば、大宝元年(701年)生まれ。 ^

阿倍古美奈

阿倍 古美奈(あべ の こみな、生年不詳 - 延暦3年10月28日(784年12月14日))は、奈良時代の女官。尚侍兼尚蔵。姓は安倍、名は子美奈、古弥奈とも記される。中務大輔阿倍粳蟲の娘。内大臣・藤原良継の室。桓武天皇皇后藤原乙牟漏の生母。姓は朝臣。官位は従三位・尚藏兼尚侍(贈正一位)。

阿倍比羅夫

この頃、再び粛慎と戦って帰還し、虜49人を朝廷に献じたともいう。 斉明天皇6年(660年)3月に船軍200艘を率いて粛慎を討つ。比羅夫は大河(石狩川あるいは後志利別川と考える説がある)のほとりで、粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められる。比羅夫は粛慎を幣賄弁島(へろ