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Kamus

Detail Kata

韜晦

[とうかい]
〔「韜」はつつみかくす, 「晦」はくらます意〕
自分の才能・地位・身分・行為などをつつみかくすこと。 人の目をくらますこと。
「互に深く~して, 彼豪族らに油断をなさしめ/慨世士伝(逍遥)」

Kata Terkait

韜光養晦

は、多くの人に聞き慣れないものだった。辞書の中には「韜光」の本来の意味は名声や才覚を覆い隠すこと、「養晦」の本来の意味は隠居すること、二つを併せた「韜晦」も記されているが、一般には、爪を隠し、才能を覆い隠し、時期を待つ戦術を形容するために用いられてきた。 まず、1989年前後の鄧小平の外交路線につい

晦

「つごもり(晦)」の転。 「まづ今日は~でなし/浮世草子・禁短気」

晦

〔「つきこもり」とも。 月が隠れる意から〕 月の末日。 みそか。 つごもり。 [新撰字鏡]

晦

〔「月ごもり」の転。 月が隠れて見えなくなる頃の意〕 (1)月の末の日。 みそか。 「水無月の~に」 (2)陰暦で月末の数日もしくは月の下旬の一〇日ほどの間。 「かくて~になりぬれど…二十八日にぞれいのひもろぎのたよりに/蜻蛉(下)」

韜略

(1)兵法の書である「六韜(リクトウ)」と「三略(サンリヤク)」の略。 (2)兵法。 兵略。

六韜

中国の兵法書。 六巻。 文韜・武韜・竜韜・虎韜・豹韜・犬韜の六章より成る。 太公望呂尚(リヨシヨウ)の著とされるが, 魏晋(ギシン)時代に成立したとみられる。 「三略」と併称される。

王韜

1847年、上海に旅してロンドン伝道会の宣教師ウォルター・ヘンリー・メドハースト(麦都思)の開いた墨海書館を訪れた。そこで彼は活字印刷機に触れて大いに興味を抱いた。墨海書館ではミルン(美魏茶)、ミュアーヘッド(慕維廉)、エドキンズ(艾約瑟)ら宣教師の知遇を得、翌年に墨海書館のスタッフとして招かれた。王韜と宣教師アレクサンダー・ワイリー

黄韜

黄 韜(こう とう、? - 348年)は、五胡十六国時代の人物。豫章郡の出身。 永和4年(348年)12月、孝神皇帝を自称した。臨川出身の李高を相に任じると、数千の衆を集め、自らは犢車に乗り皁袍を着用したという。 その後、臨川を始めとした郡県を荒らし回った。臨川郡太守庾條が鎮圧に赴くと、黄韜は敗北を喫した。これにより乱は平定された。

石韜

いては自らの判断で決める事を許され、報告する必要も無かった。だが、石韜もまた酒色にふけって狩猟を好み、石宣もまた酒を飲んで遊び回っていたので、褒賞や刑罰はみな中謁者令申扁に任せきりとなった。これにより申扁の権力は内外を傾ける程となり、二千石の身分が一門から多数輩出され、九卿以下はみな彼の後塵を拝したという。

霍韜

霍 韜(かく とう、成化23年(1487年) - 嘉靖19年(1540年))は、明の政治家。字は渭先。号は兀崖・渭厓。広州府南海県の人。 正徳9年(1514年)の会試で1位(会元)を取るが家に退いて読書に励んだ。嘉靖帝の即位後に官に召されるが、大礼の議が起きると、嘉靖帝を支持する上奏を行ったことで、

晦朔

みそかとついたち。 また, 一か月。 「朝菌(チヨウキン)の~をしらず/田舎之句合」

晦冥

くらいこと。 くらやみになること。 まっくらやみ。 ⇔ 光明 「深黒(シンコク)~にして, その奇景の一端を窺見(ウカガイミ)ること能はず/日光山の奥(花袋)」

晦渋

言葉や文章がむずかしくて, 意味や論旨がわかりにくい・こと(さま)。 難解。 「徒(イタズラ)に~な文章を書く」 ﹛派生﹜~さ(名)

大晦

一年の最後の日。 おおみそか。

晦日

月の末の日。 みそか。 [日葡]

晦日

〔「月ごもり」の転。 月が隠れて見えなくなる頃の意〕 (1)月の末の日。 みそか。 「水無月の~に」 (2)陰暦で月末の数日もしくは月の下旬の一〇日ほどの間。 「かくて~になりぬれど…二十八日にぞれいのひもろぎのたよりに/蜻蛉(下)」

晦日

毎月の最後の日。 つごもり。 <i>~に月が出る</i> ありえないことのたとえ。

謝晦

謝 晦(しゃ かい、太元15年(390年) - 元嘉3年2月30日(426年4月22日))は、南朝宋の政治家。字は宣明。本貫は陳郡陽夏県。東晋の太保謝安の次兄の謝拠の曾孫にあたる。謝瞻の弟。徐羨之・傅亮・檀道済らと少帝を廃位・殺害し、文帝を即位させた。 名族の陳郡謝氏の出身であった謝晦

陳員韜

1430年(宣徳5年)、進士に及第した。新城知県に任じられた。1442年(正統7年)、山西道監察御史となった。四川巡按をつとめ、貪婪な官吏を降格し、廉潔な官吏を推奨し、死刑囚40人あまりの冤罪を雪いだ。1448年(正統13年)、官軍が鄧茂七の乱の鎮圧に出動すると、員韜は福建に赴いて民衆の安