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단어 상세정보

名鉄ク2180形電車

て「既ニ製作者トノ契約ヲ締結致シ車輌統制会ノ内諾ヲ得目下製造工程相当進捗」と説明されていたものの、現車は結局落成せず、本形式は2両のみの導入に留まった。 構体主要部を普通鋼製とした、車体長16,000 mm・車体幅2,700 mmの半鋼製車体を備える。ただし台枠については廃車発生品あるいは日本鉄道

관련 단어

名鉄ク2090形電車

御車)である。輌(2091)が運用された。 戦争の激化により、名鉄は輸送量増大に対応すべく車両増備が必要となった。そんな中、旧式車輌の購入を考えた。1940年(昭和15年)、名鉄は鉄道省から旧式車輌のホニ5910(1902年新橋工場製の荷物車)の払い下げを受け、自社の鳴海工場で改造。1941年(昭和

名鉄ク2080形電車

車)である。 2両(2081・2082)が運用された。 沿線に工場が急増したことによる工員輸送のため、当時の名鉄は他社からの車両の購入や自社での車両の製造を行っていた。ク2080形は鳴海工場で新製した木造の車体を、廃車となった車両の台車(日車

名鉄ク2070形電車

名古屋鉄道で運用された電車(制御車)である。 戦争の激化により、名鉄は輸送量増大に対応すべく車両増備が必要となり、旧式車輌の購入を考えた。1940年(昭和15年)、名鉄は鉄道省から旧式車輌のホユニ5070の払い下げを受け、自社の鳴海工場で車体補強など改造。1941年(昭和16年)、サ2070形(2

近鉄ク6321形電車

モ6261形でモニ6251形の台枠部材を流用したことから、車体長はこの流用台枠に従って決定され、新造車であるク6321形も将来の電装を前提として、製造に用いる部材などの統一を図って同寸とした。このため、全長19,100mm、車体長18,300mm、全幅2,730mm、車体幅2,680mmとなっている。

名鉄MRM100形電車

る日本初の跨座式モノレールである。また、モンキーパークモノレール線の廃止当時は日本で最古の現役モノレール車両であった。 制御装置は日立製作所製電動カム軸式抵抗制御MMC-HBM-5(永久直列17段、発電制動17段、抑速3段)、主電動機はHS-510-Crb(端子電圧340V、電流232A、1時間定格出力70kW、定格回転数1

名鉄モ540形電車

譲り受けたものである。 名鉄では同社の軌道線で、最初の連結運転を行なった車両となった。 三重合同電気(三重交通の前身)の木造四軸ボギー車32・33・35である。32・33は1922年(大正11年)に、35は1924年(大正13年)に梅鉢鉄工所で製造された。戦後に三重交通501形に改称し、神都線で運用される。

名鉄モ590形電車

)以降美濃町線で運用され、他の4両も1971年(昭和46年)までに美濃町線へ転属した。同時に全車を対象に歯車比を4.5から3.05に変更し、専用軌道線における高速運転に対応させている。また、正面行先表示幕は登場後程なく使用停止となり、以降は行先表示板によって行先表示を行っていた。その後、モ880形

名鉄モ580形電車

名鉄モ580形電車(めいてつモ580がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が同社の軌道路線において運用する目的で、1955年(昭和30年)から翌1956年(昭和31年)にかけて導入した路面電車車両である。 モ580形(以下「本形式」)はモ581 - モ584の計4両が製造され、岐阜市内線・美濃町線で

名鉄モ880形電車

運転対応改造も施工された。 メンテナンスフリーとするため、補助電源装置は静止型インバーターを採用した。 2005年(平成17年)に美濃町線・田神線が廃止されたことで運用を離脱し、福井鉄道へ譲渡された。ただし元々鉄道線との乗り入れを行っていたモ770形に比べ、当形式は歯車

名鉄モ570形電車

数の事業者で新製されたが、本形式もまた都電6000形のデッドコピーというべき車両である。丸みを帯びた深めの屋根や窓下の補強帯、窓配置1D10D1の前後扉構造であること等、都電6000形の1950年(昭和25年)までに新製された車両とほぼ瓜二つの外観を持つ。ただし、正面3枚窓のうち中央の運転台窓が若干

名鉄サ40形電車

名鉄サ40形電車(めいてつサ40がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道で運用されていた電車(付随車)である。 太平洋戦争末期、軍需輸送がさらに増加し輸送力強化が重要視されていた。しかし、資材不足で新規の車両は製造できない状態となっていた。そのため、一部の貨車を改造し付随車化。輸送力強化が計られた

名鉄モ45形電車

。明治期の車両らしく側面腰板は二段羽目で乗降扉は無く、腰部が絞られた車体は岡崎市内線の戦後車両で最も小さかった。 戦後、正面窓下にあった前照灯を屋根上に移設し、1955年(昭和30年)年には集電装置がトロリーポールからビューゲルに交換された。このほか、段落屋根型のダブルルーフ形態だったものが端部で

名鉄モ50形電車

岡崎市内線廃止後、モ50形は他線区に転属することなく廃車となった。モ50形を含む単車18両のうち4両は1両四、五千円で個人に払い下げられ、14両は保育園や高等学校に無償譲渡された(譲渡先は#車歴表参照)。 廃止後、まず碧海郡桜井町(現・安城市)の城山保育園から車両譲

名鉄モ780形電車

(781 - 784) が営業運転を開始した。投入線区は岐阜市内線および揖斐線。この改正で岐阜市内線と揖斐線美濃北方・黒野間の直通列車は1時間あたり2本から4本に倍増され、最大8分のスピードアップも実現した。また揖斐線用ク2320形4両と市内線用モ550形3両が置き換えられ廃車された。

名鉄デニ2000形電車

ドウシルのみを設置し、ウィンドウヘッダーは省略されている。 荷物室の最大積載容量は59.48 m3、荷重上限は9 tである。荷物室には座席を設けず、可搬式の丸椅子を常備する。 車体塗装はモ3251末期の青色系塗装を踏襲せず、当時の名鉄保有の旅客用車両における標準塗装であったダークグリーン1色塗装とされている。

名鉄ミ1形電車

名鉄ミ1形電車(めいてつミ1がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道が保有した軌道線用散水車(撒水車)である。水1形(みず1がた)とも称される。 ミ1-4(水1-4)の計4両が存在した。形式称号の上では一形式に纏められていたが、各車それぞれ構造は異なる。 美濃電気軌道が最初に導入した散水車で、1920年(大正9年)に名古屋電車製作所で

名鉄モ3750形電車

したものである。同時に制御装置も換装され、三菱電機製AL-154電磁単位スイッチ式自動加速制御器と東洋電機製造製ES-305界磁制御器の組み合わせにより、力行17段(直列9段・並列6段・弱め界磁2段)の多段制御を行う方式に変更された。実用試験車への改造後は、主にモ3751・モ3752の2両にク208

名鉄サ2240形電車

40602となり、1934年(昭和9年)キハニ40703に改称している。 1948年(昭和23年)1月5日、瀬戸線大森駅東側のカーブで脱線転覆事故(名鉄瀬戸線脱線転覆事故)を起こし大破する。戦後の車両不足もあり修理され、1949年(昭和24年)5月に修理が完了し復帰。復帰後は渥美線で運用される。

名鉄サ2210形電車

名鉄サ2210形電車(めいてつサ2210がたでんしゃ)は、かつて名古屋鉄道で運用されていた電車(付随車)である。 戦時中の車両不足のため、1944年(昭和19年)に休止した成田鉄道多古線の木造客車ホハ3を購入し付随車化。サ2210形(2211)となり、三河線を中心にした東部線で運用された。ホハ3は成田鉄道多古線のボギー