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단어 상세정보

汲古書院

刻本正史』全30巻の刊行が始まる。 1972年(昭和47年)8月より、長沢規矩也解題「和刻本漢籍随筆集」の刊行が始まる。 1973年(昭和48年)11月より、長沢規矩也解題『足利学校秘籍叢刊』の刊行を開始。 1975年(昭和50年)12月より、長沢規矩也・西川寧編『和刻本書画集成』全12巻の刊行を開始。

관련 단어

汲冢書

国時代の魏の墓から発見されたといわれる文献の総称。 『晋書』束晳伝によると、太康2年(281年、ただし武帝紀によると279年、杜預の『春秋経伝集解』後序では280年)に、汲郡(現在の河南省北部)の不準という人が、戦国時代の魏の安釐王(または襄王ともいう)の陵墓を盗掘したところ、そこから竹簡75篇が発

古今書院

古今書院(ここんしょいん)は、日本の出版社。地理学の専門書を中心として観光や環境、GISなど関連分野の書籍を扱った出版社として名高い。 月刊誌『地理』は地理学に関する一般向け雑誌として発行され、この分野の代表的な雑誌としても知られる。また、日本地理学会の『地理学評論』や日本人口学会の『人口学研究』な

汲汲

一つの事に一心に努めるさま。 また, 小事にあくせくするさま。 「~として働く」「財と位に~たる父/露団々(露伴)」

書院

(1)禅宗寺院では住持の, 公家・武家住宅では居間兼書斎として用いた部屋。 慶長(1596-1615)頃から一棟の建物全体を呼ぶ。 (2)中国で, 私塾。 (3)「付け書院」に同じ。 (4)出版社・書店。 また, それらの屋号に添えて用いる語。

光村推古書院

光村推古書院株式会社(みつむらすいこしょいん)は、京都府京都市にある出版社。カルチュア・コンビニエンス・クラブグループ会社。2012年の京都商工会議所の創造的文化産業(クリエイティブ産業)モデル企業に選定された。篠山紀信の『篠山紀信写真集 KABUKI by KISHIN』で日本印刷産業連合会の20

汲む

(1)水などを柄杓(ヒシヤク)・桶(オケ)などですくって取る。 また, 水道などによって容器にうつし入れる。 《汲》「バケツに水を~・む」「ポンプで井戸水を~・む」「山清水~・みに行かめど道の知らなく/万葉 158」 (2)酒・茶などを飲むための器に注ぎいれる。 また, それを飲む。 「お茶を~・んでまわる」「沛公酔て坏を~・むに堪へず/太平記28」 〔酒の場合は「酌む」と書く〕 (3)(多く「酌む」と書く)事情・気持ちなどを好意的に解釈する。 斟酌(シンシヤク)する。 「意のあるところを~・む」「少しは人の気持ちも~・んだらどうだ」 (4)思想・流儀・系統などを受け継ぐ。 「カントの流れを~・む学派」 ‖可能‖ くめる

汐汲

能の「松風」を題材とした歌舞伎舞踊の一系統。 桜田治助作詞の七変化(シチヘンゲ)中の「七枚続花の姿絵」が有名。

水汲

狂言の一。 お茶の水をくみに行くよう命じられた新発意(シンボチ)が, 代わりに行った門前の女に言い寄り, 小唄をやり取りする。 お茶の水。 水汲新発意。

汲沢

ニテカ以干す時ハ阿め婦り申候」とも伝えるという。真名本『大山寺縁起』には、大山付近の滝に関し「当山霊所異迹衆矣。二重瀧下有レ瀧。曰二雷瀧一。瀧形如レ瀆吐レ浪。瀧鳴雲起。不崇時而雨。」との記述があり、崇敬を欠くときに雨が降ると伝える 。 安永4年(1775年)の奥付が書写され、天保15年(1844年

汲郡

汲郡(きゅう-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。晋代から唐代にかけて、現在の河南省北部に設置された。 266年(泰始2年)、西晋により汲郡が立てられた。西晋の汲郡は司州に属し、汲・朝歌・共・林慮・獲嘉・修武の6県を管轄した。 北魏のとき、汲郡は北修武・南修武・汲・朝歌・共・山陽・獲嘉の7県を管轄した。

汲桑

すると、汲桑は㔨と共に牧人と数百騎の馬を連れて清河へ赴き、公師藩の下へと身を投じた。この時、汲桑は㔨に石という姓を与え、名を勒と改めさせた。公師藩は司馬模が守る鄴に向けて軍を進めるが、司馬模配下の馮嵩に大敗し、殺された。汲桑も追撃を受けたが、馬牧場へと逃げ込み追手を

汲黯

黯は仕事を少なくすることに務め、常々匈奴と和親を結び、兵を起こさないようにと言っていた。また武帝は儒者の公孫弘や法律に詳しい吏である張湯を重用したが、汲黯は公孫弘は偽りを飾り阿諛追従する者と、張湯らのような吏は人を罪に陥れる者と批判していた。内心では公孫弘や張湯も汲黯

花書院

花書院(はなしょいん)は、福岡県福岡市中央区白金2-9-6に本社を置く日本の印刷会社、城島印刷株式会社内の出版部門。法学、政治学、心理学、社会学、教育学、思想などの学術書を中心に出版している。九州大学比較社会文化学府・研究院との関わりが深く、同学府の学術シリーズである「比較社会文化叢書」は、全て花書院より刊行されている。

書院 (ワープロ)

熱転写プリンタをパーソナル向けに業界初搭載。10文字1行表示液晶のポータブル機。カセットテープを記憶媒体に使用。価格33万円。1984年グッドデザイン賞受賞。 WD-520/520H/521 - 9インチCRT、3.5インチFDD、32ドット熱転写プリンタを搭載した初のCRT一体型デスクトップ機。

黒書院

黒書院(くろしょいん)は、将軍、大名や高僧などの大規模な殿舎に設けられた書院。奥向き(内向き)の書院を黒書院という。 「黒書院」とは黒木造の書院の意味で、部材はネズコなどの面皮や磨丸太が用いられ、数寄屋風の構成になる。障壁画には彩色画は少なく水墨画や絵自体を描かないことが多い。

書院造

て拠点を移し10月には「大広間」で朝廷に上奏した大政奉還が有名である。 また、武家造りの集大成として遠侍から大広間にかけての公儀や対面としての空間と一方に御三家や身近な公卿との内向きな対面の場や小堀遠州が作庭した二の丸庭園を眺める事ができる居室としての寛ぐための雰囲気を持つ「黒書院」や御座の間と呼ば

フランス書院

リアン』(田中融二訳)の新訳版である。同書は帯などで「ノルウェーの発禁本」と謳われていた曰く付きの作品で、案の定、日本でも同様の措置を受けたことになる。 しかし、三笠書房は1973年には葛西雄三訳による新版を『一糸まとわず』と改題して刊行。宮田昇によれば、この時は「再摘発を受けることがなかった」とい

書院番

書院番(しょいんばん)とは、江戸幕府に設けられた職制の一つ。徳川将軍の馬廻衆(親衛隊)としての高い格式を持ち、同様の小姓組と共に両番と称された。五番方(書院番、小姓組、大番、小十人、新番)に数えられる軍事部門の職制であり、大番、小十人、新番よりも上に置かれた。書院番の番士には幕府内での出世(両番家筋)の道が開かれていた。

書院紙

書院紙(しょいんがみ)は、明かり障子用の和紙のことで、明かり障子は書院造によって普及したので、この名前となった。 明かり障子は採光を目的とするため、書院紙として薄くて透光性が良く、かつ破れにくく粘りの強く、しかも価格が安い紙が求められるが、この条件を満たす紙として雑紙や中折紙など、文書草案用や包み紙などの雑用の紙が採用された。