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단어 상세정보

移剌元臣

^ 『元史』巻149列伝36移剌捏児伝,「元臣、別名哈剌哈孫、年十六入宿衛、応対進止有度、世祖謂丞相和魯火孫曰『此勲臣子、非凡器也』。以為怯薛必闍赤、襲千戸、将其父軍。従伐宋、攻淮西、戍清口、取瓜洲、下通・泰、累有功」 ^ 松田1992,106頁 ^ 『元史』巻149列伝36移剌捏児伝

관련 단어

移剌買奴

健卒劉五児、即寨北小径上大樹、以縄潜引百人登寨、直前劫之、買驢投崖死、餘党悉平。太宗即位、録功、賜金鞍良馬」 ^ 『元史』巻149列伝36移剌捏児伝,「乙未、従征高麗、入王京、取其西京而還、賜金鎖甲、加鎮国上将軍・征東大元帥、佩金符。復命出師高麗、将行、以疾卒

移剌捏児

甚、裹創進攻丹・延。木華黎止之、対曰『創未至死、敢自愛耶』。木華黎壮之、与所乗白馬。明日、介其馬、飾以朱纓、簡驍衛七百人、与金兵戦。木華黎乗高、見其馳突万衆中、曰『此覇州元帥也』。諸軍継進、金兵敗走、丹・延十餘城皆降、遷軍民都達魯花赤・都提控元帥、兼興勝府尹」 ^

遷移元素

遷移元素(せんいげんそ、英: transition element)とは、周期表で第3族元素から第11族元素の間に存在する元素の総称である。遷移金属(せんいきんぞく、英: transition metal)とも呼ばれる。第12族元素(亜鉛族元素、Zn、Cd、Hg)は化学的性質が典型元素の金属

蕭奪剌

聞き入れられなかった。東北路統軍使に転じた。 乾統元年(1101年)、再び西北路招討使となった。北阻卜の耶睹刮が近隣の諸部を率いて侵入してくると、奪剌はこれを迎え撃ち、数十里にわたって追撃した。乾統2年(1102年)、耶睹刮の無防備なところを狙って、軽騎で襲撃し、多数の家畜を鹵獲した。

趙匣剌

以兵五百人擊宋軍、生獲四十人。五年、兼管京兆・延安両路新軍、戍東安・虎嘯山両城。宋楊立以兵護糧、送大良平、匣剌察知之、遂率所部兵与立戦於三重山、斬首百五十級、擒獲四十餘人。立敗走、棄其糧千餘石、因尽奪其甲仗旗幟而還」 ^ 『元史』巻165列伝52趙匣剌伝,「六年、行院遣匣剌攻釣魚山之沙市、焚其敵樓

蕭阿剌

蕭阿剌(しょう あら、? - 1061年)は、遼(契丹)の外戚。字は阿里懶。 北院枢密使蕭孝穆の子として生まれた。幼くして宮中で養われ、興宗に可愛がられた。重熙6年(1037年)、弘義宮使となった。同知北院枢密使に累進し、同中書門下平章事の位を加えられ、東京留守として出向した。重熙21年(1052

元禄忠臣蔵

元禄忠臣蔵(げんろく ちゅうしんぐら)は、元禄赤穂事件を題材にした真山青果作の一連の新歌舞伎の演目。1934年(昭和9年)2月初演の最終話・第10編『大石最後の一日』を皮切りに、1941年(昭和16年)11月初演の第8編『泉岳寺の一日』まで、7年間で計10編11作が次々に制作・上演された。

石抹査剌

石抹 査剌(せきまつ ジャラル、1200年 - 1243年)は、モンゴル帝国に仕えた契丹人の一人。 石抹査剌は最初期にモンゴル帝国に投降した契丹人の一人石抹エセンの長男であった。 査剌は弓矢に優れた人物で、父が亡くなると御史大夫の地位を継ぎ、父の率いていた「黒軍」も継承した。1218年(戊寅)、ムカ

耶律剌葛

に逃走した。神速を派遣して明王楼を焼かせた。4月、阿保機の軍の追撃を受け、柴河で大敗して潰走した。5月、楡河で捕らえられた。名を暴里と改名させられ、杖罰を受けて許された。 神冊2年(917年)、子の耶律賽保とともに阿保機にそむいて幽州に入った。幽州からさらに南に逃れようとして、人に殺された。 『遼史』巻1

耶律迭剌

らとともに再び阿保機に叛いた。太祖7年(913年)、兄弟たちとともに西山で阿保機の帰路を遮ろうとした。阿保機が西山を避けて赤水城にいたったので、迭剌は阿保機に謝罪し、許された。しかしまた兄にそむき、奚王になろうとした。次兄の剌葛が逃走したため、迭剌は安端とともに阿保機に降伏し、杖罰を受けて許された。

移

養老3年(719年)には、本来牒でやり取りが行われる僧綱・三綱と俗官官司との文書のやり取りは、「移」とあるべきところを「牒」と置き換えた上で移の書式で作成することとされた。それが養老律令公式令にも反映されており、大宝律令との最大の違いであったと考えられている。以後も、律令制官司間のやりとりは移で行われていたが、牒

臣

※一※ (名) 主君に仕えている者。 家来。 臣下。 ⇔ 君 「股肱(ココウ)の~」 ※二※ (代) 一人称。 家来が主君に対して自らをへりくだっていう語。 「忝(カタジケナ)く~等が曩祖(ノウソ)を思へば/平家 7」

臣

(1)主君に仕える人。 臣下。 しん。 「もののふの~の壮士(オトコ)は/万葉 369」 (2)姓(カバネ)の一。 上代には皇別と称する諸氏に与えられ名門とされたが, 八色(ヤクサ)の姓の制で有力な者には第二等である朝臣(アソン)の姓が与えられ, 臣自体は第六等の姓とされた。

臣

〔「ら」「ま」はともに接尾語〕 主君に仕える人。 下僕。 「市辺の天皇が御足末(ミアナスエ)~/播磨風土記」

臣

〔「家(ヤ)つ子」の意〕 ※一※ (名) (1)古代の賤民のうち, もっとも下級の奴隷。 また, 身分の卑しい者。 「住吉の小田を刈らす児~かもなき~あれど妹がみためと私田刈る/万葉 1275」 (2)家来。 下僕。 「其の家に一人の~あり/今昔2」 (3)ある物事に執着して心身の自由を奪われることをたとえていう。 とりこ。 「ますらをの聡き心も今はなし恋の~に我(アレ)は死ぬべし/万葉2907」 (4)人や物をののしっていう語。 やつ。 「面忘れだにもえすやと手(タ)握りて打てども懲りず恋といふ~/万葉2574」 ※二※ (代) 一人称。 自分をへりくだっていう語。 やつがれ。 「対へて曰さく, ~は是国神なり/日本書紀(神武訓)」

伯剌西爾丸

伯剌西爾丸(ぶらじるまる)は、川崎造船所が1919年に竣工した貨物船で、第一大福丸型貨物船の45番船である。川崎汽船、国際汽船、小野商事合名会社、大洋興業と所有者が変わったのち、第二次大戦開戦直前に徴用され、1945年に触雷により沈没した。 伯剌西爾丸は、川崎汽船貨物船として、1919年(大正8年

耶律斡特剌

撃破し、南府宰相に上った。寿昌4年(1098年)、契丹行宮都部署を兼ねた。 北府や南府に訴えがあった場合、各州府が下調べをすることになっていたが、訴訟案件が滞るようになったため、斡特剌は旧制にもどすよう請願して、容れられた。寿昌5年(1099年)、再び西北路招討使となり、耶睹刮部を攻撃して、多くの部

亦憐真八剌

亦憐真八剌(イリンチンバル)は、高麗の第27代王忠粛王の妃。モンゴル人で、元の皇族の営王エセン・テムルの娘。1316年に降嫁されるが、3年後に死亡した。靖和公主に追封された。1343年、元より濮国長公主に追封された。 父:元の営王エセン・テムル 母:不明 夫:忠粛王 ^ a b 森平雅彦 2008, pp

移送

(1)現在ある場所から, 他の場所へうつし送ること。 「患者を大学病院へ~する」 (2)〔法〕 訴訟または行政の手続きにおいて, 事件の処理をある機関から他の機関へ移すこと。