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사전

단어 상세정보

讒誣

[ざんぶ]
事実とは違う悪口を言って陥れること。 讒謗(ザンボウ)。
「遂に余を~するに至りぬ/舞姫(鴎外)」

관련 단어

誣言

事実を曲げて言うこと。 作りごと。 讒言(ザンゲン)。 「君が世にめずらしき~に/浴泉記(喜美子)」

誣言

〔「ぶげん」とも〕 故意に事実をいつわって言うこと。 また, その言葉。 誣語。 「無有の~を構へて人を陥いれんと/露団々(露伴)」

讒毀

告げ口をすること。 「思ふに人の僕を~する者ある可し/花柳春話(純一郎)」

讒口

讒言。

讒言

他人を陥れようとして, 事実をまげ, いつわって悪(ア)しざまに告げ口をすること。 「~して失脚させる」「~にあう」

讒臣

讒言して主君におもねる臣下。

讒言

「ざんげん」の転。 「いかなる~などのありけるにか/源氏(柏木)」

讒謗

ありもしないことを言って, 人を悪く言うこと。 誹謗(ヒボウ)。 「人を~することを善い事の様に思つて居る/雪中梅(鉄腸)」

誣いる

〔「強いる」と同源〕 事実を曲げていう。 ありもしない事を述べて, 人を悪くいう。 「そをかくまで~・ふるは/浴泉記(喜美子)」

讒する

人を陥れるために事実を曲げて告げ口する。 讒言をする。 「誤なるのみかは, 是我党を~・する也/慨世士伝(逍遥)」

讒謗律

讒謗律(ざんぼうりつ、明治8年6月28日太政官布告第110号)は、明治初期の日本における、名誉毀損に対する処罰を定めた太政官布告。板垣退助らによって制定された。 明治8年(1875年)に成立。 明治13年(1880年)に旧刑法(刑法改定(明治13年7月17日太政官布告第36号))の制定に伴い消滅した。

二重橋爆弾事件 (1922年)

1923, pp.148-149 ^ これに対し真鍋は『今回の爆死に當つて或る者は君に忌はしい宿痾があり療養の費無き結果人生を果敢なんで悶死したものゝ如く讒誣したものがあるが、君の平生を知らざる甚だしきものである』と延べている。 ^ 真鍋 1923, pp.87-94。『原首相暗殺者 中岡艮一の豫審調書』

日本基督教会

するため著書、『日本の花嫁』を出版した。これは、一般にもキリスト教界でも話題となり、1893年に植村正久の「福音新報」は、この本を批判した。10月に日本基督教会の中会は、井深梶之助、山本秀煌、熊野雄七の訴えにより、「同胞讒誣

田村直臣

するの義務あり。況や虚妄の記事を列ねて自国の恥辱を海外に風潮(原文ママ)するや。我輩この種類に属する著書の軽薄を爪弾きす。」 10月に日本基督教会の中会は、井深梶之助、山本秀煌、熊野雄七の訴えにより、「同胞讒誣罪(どうほうざんぶざい)」で田村直臣を譴責。教会法廷の判決を不服とする

源常

るとして、他の皇子と比べて、父・嵯峨天皇から特に寵愛されたという。身のこなしが優雅で、言論も穏やかであった。人材を見抜くのに優れ、才能の士を推引し、讒侫の徒を遠ざけ、「丞相の器」と評された。 漢詩作品が『経国集』に採録されているほか、歌人としても『古今和歌集』にその詠歌を載せる。 注記のないものは『六国史』による。

和洽

となる。杜襲と共に曹操から強い信任を受け、競争心の強い王粲からは嫉妬を受けた。毛玠が讒言を受けると、曹操に事実関係を調査するよう強く依頼した。曹操が讒者を庇ったので事実を明らかにすることはできず、毛玠は失脚したものの、免職で済まされた。 建安20年(215年)、曹操が漢中の張魯を破ると、その地の住

芝大神宮

よりて、往昔穀倉の建し時より称したる地名残りて民俗飯倉領と号<す>、また、飯倉村とも称しならハせり(倣わせり)、然共(しかれども)、質素の時なる故、讒(わずか)の神祠を営<み>、神託にまかセ(せ)て、神職一家を立て神事祭礼と(執)り行ひて、数年の星霜を経、後鳥羽院御宇建久四年壬丑年、右大将頼朝卿下

田斉

^ 《新序・卷三・雜事第三》:樂毅謝罷諸侯之兵,而獨圍莒即墨,時田單為即墨令,患樂毅善用兵,田單不能軸也,欲去之,昭王又賢,不肯聽讒。會昭王死,惠王立,田單使人讒之惠王,惠王使騎劫代樂毅,樂毅之趙不歸。燕騎劫既為將軍,田單大喜,設軸大破燕軍,殺騎劫,盡復收七十餘城。 ^

日琉祖語

オキ2/オコ2ル・オコ2ス(起) オチ2/オト2ル・オト2ス(落・劣) オヒ2(育つ)/オホス(育てる) ヨキ2(避)/ヨ2コ2ス(讒) アミ2/アムス(浴) ツキ2/ツクス(尽) ワビ2/ワブシ(侘) ナギ2(凪ぐ)/ナグサム(心が静まる)/ナゴ1ヤカ(和) コ1ヒ2/コ1ホシ(恋)