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단어 상세정보

饑饉

[ききん]
(1)農作物が極度に不作で, 食物が不足すること。
「天明の~」
(2)必要なものが極度に不足すること。
「水~」

관련 단어

饑え

飢えること。 ひもじいこと。 空腹。 「~に苦しむ」

饑渇

飢えと渇き。 また, 飢え渇くこと。 「人民は~して/日本開化小史(卯吉)」

饑餓

食物がなくて飢えること。 うえ。 「~感」「~状態」「~死」

饑寒

飢えと寒さ。 飢え凍えること。

飢饉

(1)農作物が極度に不作で, 食物が不足すること。 「天明の~」 (2)必要なものが極度に不足すること。 「水~」

饑える

(1)食べ物がなく空腹で苦しむ。 ひどく腹が減る。 古くは, 水がなくて渇く意にも用いた。 「飢饉(キキン)のために~・えて死ぬ」 (2)そのものに恵まれないで激しく求める。 「親の愛情に~・える」

ジャガイモ飢饉

ジャガイモ飢饉(ジャガイモききん、英語: Potato Famine、アイルランド語: An Gorta Mór あるいは An Drochshaol)は、19世紀のアイルランド島で主要食物のジャガイモが疫病により枯死したことで起こった大飢饉のことである。アイルランドにおいては歴史を飢餓前と飢餓後に

猪飢饉

はまた、猪荒れの記事も頻出し、春に「山端畑(やまはた)」などに仕付けた大豆・粟・稗などの雑穀が荒らされて「黒畑」のようになり、実入りの時期になればその実を食い荒らし、手の施しようがなかったという。「芒所同然」の荒れ地になってしまい、仕付けできない畑も多かった。

人間飢饉

『人間饑饉』(にんげんききん)は、1931年(昭和6年)に発表された村松梢風の大衆小説、時代小説である。新漢字表記『人間飢饉』。それを原作とした1932年(昭和7年)製作・公開、伊丹万作脚本・監督による日本の長篇劇映画、サイレント映画は、『闇討渡世』(やみうちとせい)と改題された。 小説『人間饑饉』は、1931年4月

飢饉の碑

「飢饉の碑」は表面が長方形にカットされた天然の花崗岩に刻まれている。碑文は象形文字で書かれており、テキストは42列になっている。石碑の上部には、クヌム、サテト、アヌケトのエジプト三座の神々が描かれている。神々の前でジェセル王は彼らに向かい、差し出された手に供物を運んでいる。石碑を作った時にすでに、そこにあった広い

寛喜の飢饉

豊年の祈祷を行っている。翌1232年、貞永への改元が行われた。 民衆の中には富豪の家に仕えたり、妻子や時には自分自身までも売却・質入したりするケースも相次ぎ、社会問題化した。対策に苦慮した幕府は1239年に飢饉の時の人身売買・質入は例外的に有効として飢饉

宝暦の飢饉

次第に文句時行ものと云。(猿橋義近『自然未聞記』)。 ^ 明治時代に廃寺。 ^ 新庄市奥山家文書。 ^ 宝暦飢饉の際に、藩士への給与を米の現物支給にした「飯米渡しの制」を献策した人物。 ^ 『飢渇もの』上。 ^ 『宮城県史』31。 ^ 阿刀田令造(一九四三)『郷土の飢饉もの』仙台郷土研究会出版部。 ^

1945年ベトナム飢饉

日本の軍政は戦局の悪化に気を取られ有効な対策を取ろうとしなかった。フランス政庁は日本軍からの指示があったとして過分な収穫米を強制的に徴収した。これは日本軍への反感を強めるのが目的で、集めた米をまとめて焼却、あるいは川へ投棄していたとの証言もある。

養和の飢饉

183年上洛)を容易にする遠因となっていたことも考えられており、寿永2年(1183年)5月の砺波山の戦い(倶利伽羅峠の戦い)まで平氏・頼朝・義仲の三者鼎立の状況がつづいた背景としてもこの飢饉の発生が考えられる。 こうした状況のなかで入洛した義仲軍は京中で兵糧を徴発しようとしたため、たちまち市民の支持

飢饉の一覧

飢饉の一覧(ききんのいちらん)は、主な飢饉を時代順に列挙する。 紀元前440年 - 古代ローマで飢饉。 紀元前108年から1911年までは、中国において、主な飢饉は1828回であった。一年に一度、一か二の省で発生していた。しかしながら、飢饉の重大性は時代とともに大きく変化していた。

天保の大飢饉

天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)、天保の飢饉は、江戸時代後期の1833年(天保4年)に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉である。1839年(天保10年)まで続いた。1837年(天保8年)までと定義する説もある。 寛永の大飢饉、享保の大飢饉、天明の大飢饉に続く江戸四大飢饉

天明の大飢饉

杜撰な計画が原因で天明初年の新産業政策が失敗し藩財政は困窮していた。この失敗の穴埋めのために天明2年から年貢増徴、備荒蓄米と称する米の供出、農民が万一のために貯蔵していた米すらも強制買上などが行われ江戸への廻米をし、京阪の商人への借財の返済、藩財政の穴埋めに回したが

享保の大飢饉

画像提供依頼:1 この飢饉を描写した歴史的絵画 2 その他のこの飢饉に関連する画像の画像提供をお願いします。(2021年2月) 享保の大飢饉(きょうほうのだいききん)は、江戸時代中期に起こった飢饉である。江戸四大飢饉の一つに数えられる。 1731年(享保16年)末より天候が悪く、年が明けた1732

寛永の大飢饉

をはじめ三都への人口流動が発生した。幕府や諸藩は飢人改を行い、身元が判別したものは各藩の代官に引き渡した。また米不足や米価高騰に対応するため、大名の扶持米を江戸へ廻送させた。3月には田畑永代売買禁止令を出した。 大飢饉の背景としては、1630年代から1640年代における東アジア規模での異常気象のほか