私わたしには、ひとをほめるクセがある。「ひと」というのは、芸術家げいじゅつか諸君しょくんのことだ。これは、私わたしの心こころがひろいからではなく、せまいからである。どうしても、ほめられない相手あいてもあるが、少しでも美点びてんを発見はっけんするように努力どりょくすれば、たいがいはほめられる。たとえひとを傷きずつけても、正ただしい見解けんかいを主張しゅちょうするのが、批評ひひょうの厳格げんかくさであろうが、なかなか「1」この原則げんそくが守まもれない。守まもれないというのは、私わたしの心こころが狭せまい、弱よわいからであろう。やっつけやろうと、攻撃こうげきだけを心こころがけるのも、実じつに狭せまいやり方かたであるが、万事ばんじホドホドに、あたりさわりのないようにというのも、「2」よくないと思おもう。私わたしは時ときによると、かつて自分じぶんの作品さくひんを非難ひなんした仲問ちゅうもんの作品さくひんに対たいして、ことさら甘あまい点てんをつけることがある。これは、自分じぶんをやっつけた相手あいてに対たいしても、寛大かんだいな態度たいどを示しめしたい、つまり自分じぶんの心こころのひろさを証明しょうめいしたいためであり、結局けっきょくは心こころのひろさではなくて、心こころのせまさを暴露ばくろしていることになる。(武田たけだ察淳さっじゅん「武冊ぶさつ泰淳たいじゅん全集ぜんしゅう第16巻だいじゅうろくかん己による)あたりさわりのないように:無難ぶなんに
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