いつでも帰かえってこられる場所ばしょがあると思おもっていられるのは、ずいぶんと心強こころづよいことだと思おもうんです。別べつに帰かえってこなくてもいい。「帰かえれるところがある」と思おもっている人ひとと、そんな場所ばしょがない人ひとでは、人生じんせいの選択肢せんたくしの数かずが違ちがう。当たり前ですけれど、「退路たいろのある」人ひとの方ほうが発想はっそうがずっと自由じゆうになれる。ずっと冒険的ぼうけんてきになれる。親子関係おやこかんけいも同おなじじゃないかと思おもいます。10年ねんほど前まえに高校こうこうを卒業そつぎょうした娘むすめが東京とうきょうへ行いくときに、ぼくが娘むすめに言いったのは二ふたつだけです。「金かねなら貸かすぞ」と「困こまったらいつでも帰かえっておいで」。親おやが子こどもに向むかって言いってあげられる言葉ことばはこれに尽つきるんじゃないでしょうか。泊とまるところがなかったら、いつだって君きみのためのご飯はんとベッドは用意よういしてあるよ。この言葉ことばだけは親おやはどんなことがあっても意地いじでも言いい続つづけないといけないと思おもうんです。「そんなに甘あまやかすと自立じりつの妨さまたげになる」と苦言くげんを言いう人ひともいますけれど、ぼくはそれは違ちがうと思おもう。「人間にんげんは弱よわい」というのがぼくの人間観にんげんかんの根本こんぽんなんです。だから、最優先さいゆうせんの仕事しごとはどうやってその弱よわい人間にんげんを慰なぐさめ、癒いやし、支援しえんする場ばを安定的あんていてきに確保かくほするか、です。(中略ちゅうりゃく)家いえは、メンバーのポテンシャルを高たかめたり、競争きょうそうに勝かつために鍛きたえたりするための場ばじゃない。そういう機会きかいなら家いえの外そとにいくらでもある。家いえというのは、外そとに出でて、傷きずつき、力尽ちからつき、壊こわれてしまったメンバーがその傷きずを癒いやして、また外そとへ出でて行いく元気げんきを回復かいふくするための備そなえの場ばであるべきだどぼくは思おもっています。(内田うちだ樹たつる「ぼくの住すまい論ろん」による)これに尽つきる:これしかないポテンシャル:ここでは、可能性かのうせい
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