環境かんきょうが高速化こうそくかしても、私わたしたちの神経的しんけいてきな伝達速度でんたつそくどや知覚認知ちかくにんちの処理時間しょりじかんは変化へんかしないことから、人間にんげんが一時いちじにできる認知的課題にんちてきかだいの数かずもそれほど変かわらないことが推察すいさつされる。このことは、様々さまざまな情報じょうほうが手てに入はいり、やりたいこと、したいこと、そして実際じっさいにできる可能性かのうせいが高たかまったとしても、「1いち」実際じっさいにできる事柄ことがらの数かずがそれほど増ふえるわけではないことを示唆しさしている。もちろん、技術革新ぎじゅつかくしんによって、一ひとつの事柄ことがらをやり遂とげるまでに要ようする時間じかんは大おおいに短縮たんしゅくされた。筆者ひっしゃ自身じしん、パーソナルコンピュータを使つかって論文ろんぶんなどを書かくようになって、論文ろんぶん一本いっぽんあたりにかける時間じかんと労力ろうりょくはずいぶん減少げんしょうしたと思おもう。特とくに、原稿げんこうを清書せいしょしたり作図さくずしたり、という手作業てさぎょうの段階だんかいに要ようする時間じかんはかなり減へった。しかし、そうはいっても、論文ろんぶんを書かく際さいに論理展開ろんりてんかいをまとめるのに要ようする時間じかんはそれほど短縮たんしゅくされるわけではない。考かんがえるためには、どうしてもそれなりの時間じかんが必要ひつようだ。(中略ちゅうりゃく)人間にんげんが一ひとつのことをやり遂とげるにはどうしても一定いっていの時間じかんがかかる。その時間じかんが技術革新ぎじゅつかくしんや経験けいけん、学習がくしゅうによって、増ふえた欲望よくぼうを満みたすのに必要ひつような時間じかん以上いじょうに短縮たんしゅくされないとしたらどうするだろうか。当然、潜在的せんざいてきな可能性かのうせいに基もとづいて肥大ひだいする欲望よくぼうのうち、実際じっさいに満みたされるものは一部いちぶのみということになる。この場合ばあい、やりたいと、やれるはずのことは数多かずおおくあるのに、なかなかそれが実現じつげんできない「2に」ジレンマが生しょうじる。そうなると、むしろ、できる事柄ことがらが少すくなかったころよりも時間じかんが足たりず、忙いそがしく、やりたいことができないという感覚かんかくが強つよくなっているかもしれない。(一川誠いちかわまこと『大人おとなの時間じかんはなぜ短みじかいのか』による)
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