中学生ちゅうがくせいや高校生こうこうせいの頃ころころ、歴史れきしの時間じかんが退屈たいくつだった。(中略ちゅうりゃく)そんな私わたしが四十歳よんじゅっさいの頃ころから歴史れきしに興味きょうみを持もち始はじめた。何なにかを調しらべるとその辺あたりに知識ちしきの島しまができ、別べつのことを調しらべるとまた別べつの島しまができる。そのうちに孤立こりつしていたはずの二ふたつの島しまが橋はしでつながる。「こういうことだったのか」という「1」驚おどろきがある。一見いっけん関係かんけいのなさそうな二ふたつのものが結むすびつくという意外性いがいせいは、自然科学しぜんかがくにおける醍醐味だいごみの最もっとたるものでもある。歴史れきしを調しらべれば調しらべるほど島々しまじまがネットワークのように結むすばれて行いく。人間にんげんや情報じょうほうは地球上ちきゅうじょうを移動いどうするから当然とうぜんなのだが、ネットワークの構築こうちくはなぜか脳のうにすこぶる心地ここちよい。その上うえあらゆる現象げんしょうに人間にんげんが絡からんでいて余計よけいに面白おもしろい。「2」歴史れきしとは地球ちきゅうを舞台ぶたいとした途方とほうもなく壮大そうだいな演劇えんげきなのだ。自分じぶんや先祖せんぞも舞台ぶたいの隅すみの隅すみの隅すみで参加さんかしている。それに人間にんげんの本質ほんしつは変かわらないから、人ひとは似にた状況じょうきょうで似にたヘマを何度なんども繰返くりかえす。だから現在げんざいを考かんがえるのに実じつに役立やくだつ。若わかい頃ころにこの面白おもしろさに気付きづいていれば、今いまと違ちがい記憶力きおくりょくもよかったから強大きょうだいかつ緻密ちみつなネットワークを完成かんせいすることができ演劇えんげきをもっと深ふかく味あじわえたのにとも思おもう。無理むりだったかも知しれない。中年ちゅうねんにさしかかって初はじめてこれまで生いきてきた、そしてそう遠とおくない将来しょうらいに消きえる自分じぶんの立位置たちいちを確たしかめたくなるからだ。家系かけいを調しらべたくなったり先祖せんぞや自みずからがどのような時代じだいの流ながれの中なかで生せいを受うけ生せいを営いとなんできたかを知しりたくなる。無邪気むじゃきなままこの世よから退場たいじょうしたくなくなるのだ。十代じゅうだいで歴史れきしに興味きょうみを持もつ者ものの気持きもちは私わたしには不思議ふしぎだが、中年ちゅうねんになって歴史れきしに興味きょうみを持もたない者ものの気持きもちはそれ以上いじょうに不思議ふしぎだ。(藤原ふじわら正彦まさひこ『週刊新潮しゅうかんしんちょう』2010年ねん10月がつ28日にち号ごうによる)途方とほうもない:とんでもない。比くらべるものもない。ヘマ:失敗しっぱい
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