「1いち」読書どくしょとは、本ほんを買かうことである。買かってしまえばこっちのもの、いつか必かならずページを、開ひらく。買かって積つんでおくだけの、俗ぞくにいう「ツン読どく」も読書どくしょのうちなのである。この場合ばあいの「買かう」とは、書店しょてんで手てにして、ちらとでもこころが動うごいたち、即座そくざにその場ばで買かってしまうことを指さす。もうちょっと考かんがえて、とか、明日あしたでもいいや、とか、帰かえりに駅前えきまえのあの店みせで買かえばいいか、なんぞと考かんがえた瞬間しゅんかん、その本ほんとの縁えんは切きれたと知しるべし。(中略ちゅうりゃく)その場ばで即座そくざに買かえないのは、一ひとつには失敗しっぱいを恐おそれるからだろう。せっかく買かっても、読よんでみてつまらなかったらどうしよう、と考かんがえてしまう。しかし、「2に」失敗しっぱいも読書どくしょのうち。読よんで、つまらない、と感かんじるのは読よんだからなのである。「つまらない」と思おもっても、それを「失敗しっぱい」と考かんがえてはいけない。「つまらない」と判断はんだんできたことをむしろ誇ほこるべきなのである。つまらない本ほんをつまらないと感かんじられる人ひとは、面白おもしろい本ほんを面白おもしろいと感かんじられる人ひと。失敗しっぱいを心配しんぱいするよりも、本質的ほんしつてきにつまらなく、くだらない本ほんを、面白おもしろいと感かんじているかも知しれないことのほうを心配しんぱいすべきなのだ。せっかく買かったんだからと、つまらないのを我慢がまんして読よみつづける必要ひつようはない。自分じぶんの判断はんだんを信しんじて、すぐに放ほうり出だせばいい。もちろん、数多かずおおい本ほんの中なかには、すぐには面白おもしろさの伝つたわりにくいものもある。はじめはとっつきにくくても、読よみ進すすんでゆくにつれて面白おもしろさがにじみ出でてくる本ほんがある。いったんは放ほうり出だしたのに、何なにかのひょうしにもう一度いちど手てにしたとき、実じつに面白おもしろく読よめる、「3さん」そういう類たぐいの本ほんもたくさんある。何度なんども読よんで、そのたびに新あたらしい面白おもしろさを発見はっけんする本ほんもある。たとえば漱石そうせきの『吾輩わがはいは猫ねこである』は、小学校しょうがっこう三年生さんねんせいのとき以来いらい、何度なんど手てにしたことか。二十歳はたちにはそのときの、還暦かんれきには還暦かんれきの楽たのしみ方かたがある。(轡田くつわだ隆史たかし「考かんがえる力ちから」をつける本ほん」三笠書房みかさしょぼうによる)俗ぞくにいう:一般的いっぱんてきに言いうように~なんぞと:~などととっつきにくい:親したしみにくい何なにかのひょうしに:偶然ぐうぜんに
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