以下いかは、ある農作物のうさくもつの販売者はんばいしゃが書かいた文章ぶんしょうである。自分じぶんの手てで作物さくもつを育そだててみると、それが食たべられるようになるまでどれだけ手間てまがかかるのかがわかる。また天候不順てんこうふじゅんなどに見舞みまわれたら作物さくもつができないこともある。米こめや野菜やさいは、工場こうじょうで生産せいさんされる製品せいひんのように、自動的じどうてき・安定的あんていてきに生産せいさんできるものではなく、自然しぜんの恵めぐみの中なかで、人ひとの手てがかけられて自分じぶんたちの手元てもとにまで届とどいているのだと実感じっかんする。そうすると、たとえばお店みせで売うられている野菜やさいの値段ねだんを見みても、「これまでとは違ちがった見方みかたになってくる。」ただ単たんに安やすければいいというものではないと思おもえてくる。価格かかくというのは、現代社会げんだいしゃかいでは物ものに対たいする一ひとつの評価基準ひょうかきじゅんである。安やすいということは、それを価値かちの低ひくいものとみなしているといえる。一所懸命いっしょけんめい作つくったものに安価あんかな値段ねだんがつけられてしまうと、作つくり手てとしては非常ひじょうにがっかりしてしまうことは想像そうぞうに難むずかしくない。食料しょくりょうという、われわれが生いきていくうえで欠かかせないものでも、ほかの品物しなものと同おなじように商業主義しょうぎょうしゅぎの中なかに組くみ込こみ、商品しょうひんの一ひとつとして同おなじ土俵どひょうの上うえで競きそわせることが、はたしてほんとうにいいのだろうか。われわれの命いのちをつなぎ、命いのちを守まもるものを、安価あんか競争きょうそうに巻まき込こんでしまっていいものだろうか。食たべものの作つくり手てが、いいものを作つくりたいというモチベーションを失うしなってしまったら、最終的さいしゅうてきに困こまるのはわれわれ消費者しょうひしゃなのだ。生いきるための対価たいかを支払しはらっていると思おもえば、とにかく安やすければいいという安易あんいな選択せんたくはできあにはずだ。だから、僕ぼくがやっている「青空市場あおぞらいちば808」では、他店たてんと安価あんか競争きょうそうをするつもりはまったくない。もちろん、相場そうばというものがあるので、それを参考さんこうにしているが、基本的きほんてきには生産者せいさんしゃに価格かかくを決きめてもらい、そのうえで販売価格はんばいかかくを決きめる。一方いっぽう、お客きゃくさんに対たいしては、なぜそのような価格かかくになるのか、説明せつめいできなければならない。どのようにしてこの作物さくもつは作つくられているのか。味あじにはどんな特徴とくちょうがあるのか。農薬のうやくは使つかっているのかどうか。(中略ちゅうりゃく)今いま、小売こうりりが果はたすべき役割やくわりは大おおきいと思おもう。小売こうりりは生産者せいさんしゃとの信頼関係しんらいかんけいを築きずき、その信頼しんらいを消費者しょうひしゃに伝つたえていく。一方いっぽうで、安全あんぜんや安心あんしんを求もとめる消費者しょうひしゃの声こえや、商品しょうひんの評価ひょうかを生産者せいさんしゃに伝つたえていく。こうすることで、消費者しょうひしゃの農薬のうやくへの理解りかいが深ふかまり、ひいては消費者しょうひしゃの健康けんこうな暮くらしと命いのちが守まもられていくのである。
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