ほとんどのリーダーにとって、休暇は毎回同じ誓いの繰り返しである。今回こそは完全に仕事から離れる。メールの確認も、「ほんの数回」「ちょっとだけチェック」という自分だけのルールも、ホテルからのこっそり返信もなし。その決意はどうということのない出来事にあっけなく消される。気づけば、心の安寧を保つために数日も経たぬうちに、時には数時間後には、日常の習慣が静かに戻ってくる。ちらっと見るだけがほんの数件の返信に変わり、カバレッジ中の判断に変わる。休暇はそれと気づかぬうちに溜息のように仕事へと逆戻りする。
リーダーの休暇コントロールの失敗は規律の問題ではない。
設計の問題である。メール確認は道徳的失敗でも自制心の欠如でもない。理解と生活のデザインの問題だ。多くのリーダーが仕事に再び縛られるのは、組織がリーダーのもつ「常時対応可能な機能」への依存性に気づいていないからである。ほとんどのリーダーは、メールチェックは状況を把握するためと思い込もうとする。実のところは即時確認という形で不安を管理しているだけなのだ。メール確認は自分が役に立ち、人々とつながっており、情報を得ていて、状況をコントロールできると感じるための心理的儀式に他ならない。しかし、それこそがメールが休暇の存在理由である回復を台無しにするきっかけなのである。
もし休暇中のメールチェックをやめたければ、それを個人的目標としてではなく、企業生態へのリーダーシップ責任として設計する必要がある。メールを無視し難い理由は、メールが心理的引き金だからだ。
メールのメッセージは一見して緊急性・リスク・関連性を示唆し、正確にはわからなくとも脳はそれに自動的に反応する。そしてその反応は休暇中だからといって消えたりはしない。リーダーは特に影響を受けやすい。メールにはリーダーだけが答えられる判断が含まれることが多いからだ。重要に思えるメッセージが届いたとき、メールを無視するのは無責任のように思える。だからリーダーは割合あっけなく仕事に戻る。「ただの豆知識を共有するだけ」「資料を探して送り返すだけ」など、やらずにいられないのはむしろ当然である。
休暇中のメールチェックには、自分がいないと進まないという感覚やリーダーの役割を誇示する傾向も潜んでいる。そんな行動は短期的には心地よいかもしれないが、長期的には組織を弱体化させるに他ならない。休暇中のメールチェックは献身の証ではない。
ある種の依存、未解決の意識の表れに過ぎず、組織の設計を変えない限り、自己規律でそれを止められるはずがないのだ。
不在期間中の仕事からの完全な離脱を実現する唯一確実な方法は、自分がもはや必要のない存在になるような体制を整えることである。真に自分が唯一の決定者である必要のある仕事以外のすべての業務を委譲する。休暇に入る前にその決定権限を明確にし、双方の不安を軽減する。メールの自動返信も具体的かつ明確にし、休暇中の問い合わせ先を明示する。明確な代替案があれば、ほとんどの問題は魔法のように緊急性を失う。誘惑を取り除き、メールアプリの通知をオフにしたり、緊急時用の端末だけを残しておくのも良い。
仕事との距離を広げて初めて、リーダーは視点の変化に気づくだろう。リーダーが得るものは多い。
パターンが見え、創造性が再び湧き上がる。チームも恩恵を受ける。リーダーがいないとチームメンバーの能力が発揮される。境界を示すことで休息の重要性を理解し、組織文化自体が変わるだろう。休暇中にメールを確認しないのは、自己規律や責任回避ではなく、むしろ組織への信頼の表れだ。体制としてリーダーの不在を耐えられる組織は、その一員の自己犠牲に依存しない組織である。
したがってメールの監視を義務付ける環境では、休暇中の不完全な仕事離れは避けがたい。しかし、リーダーの持つ役割を本当に多くの人で分担できるようにすることで、初めてその問題は解決されるだろう。
どこにいても常に対応することでバランスを取る時代は終わった。休暇は単なる仕事からの一時的な離脱ではなく、設計そのものに対する検証なのである。