現在、モノづくりの現場では、「見える化」という名のもとに、製造過程を可視化・数値化し、技術やノウハウを共有化、さらには自動化することで人手を削減しようとする動きが急速に広がっている。しかし、その背後には、人間の創造的営みを失うという重大な危険が潜んでいるにほかならない。
モノづくりにおいては、手づくり、すなわち手作業の要素が欠かせない。経験や勘に基づく熟練の技は、書物やデータではなく、身体を通してのみ習得されるものである。「見える化」を進めるということは、必然的にすべての作業をデジタル的に数値化することを意味する。しかしながら、手の感覚や直観に依拠した動作は、数値化できるものではない。さらに、どのような思いを込め、どのような気持ちでつくっているかという心の要素は、いかなるAI技術をもってしても捉えることは不可能である。
「見える化」という過程には、常に「省略」と「変形」のリスクが内在している。恐ろしいのは、いったんその仕組みが完成すると、それがあたかも元の実態であるかのような錯覚をもたらし、独り歩きしてしまうことである。つまり、「見える化」された情報は、もともとの姿からアナログな部分が削ぎ落とされ、変形された虚像にすぎないのである。このことに気づかないままでは、実態を誤解せざるを得ない。
もう一つの深刻な危険は、創造が生まれなくなることである。ある職人の技を「見える化」したとしても、それ自体から新たな価値が創出されるとは限らない。匠の技とは、長年の経験を積み重ね、手で素材に触れ、頭で考えながら、「こうしたほうがいい」「別のやり方もある」と気づきの中で磨かれてきたものにほかならない。言い換えれば、創造とは、手作業という身体的プロセスを通してしか生まれ得ないのである。
いくら効率化を追求するといえども、手作業のプロセスを完全に排除してしまえば、新しい技術は生まれない。今ある技を数値化し、自動化することは、一見合理的に見えても、創造の芽を摘み取る結果をもたらす危険性を孕んでいる。「見える化」とは万能の手段ではなく、人間の知恵を補う一手段にすぎない。その限界を自覚し、人の手が介在する余地を残さざるを得ないのである。