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Detalhes da Palavra

李福

された『益部耆旧雑記』には、李驤の名があり、李福の子と記されている。 また、同じく裴松之註に引用された『華陽国志』(常璩著)巻十一「陳寿伝」にある「後賢志」にも、李驤の事項が記載されている。それによると、彼らは最初親密であったが、後に仲違いを起こすと絶縁状態に陥り、しまいには罵り合う関係になったとあ

Palavras Relacionadas

李福男

李 福男(イ・ボンナム、り ふくだん、1555年6月28日 - 1597年8月16日)は、李氏朝鮮の武官。字は綏甫。諡は忠壮。本貫は羽渓。李氏朝鮮の軍部次官李光軾の曾孫。 武科に及第した。 1592年に日本の豊臣秀吉による文禄の役が始まった時は羅州判官であり、伏兵将に任じられて全羅道全州近傍で起き

李福猷

広東省韶州府英徳県出身。掀天燕に封ぜられた。天京事変後の1857年から翼王石達開に従って、江西省・湖南省・広西省を転戦し、石達開から知謀を評価され、翼殿人台左宰輔に任ぜられた。1862年、石達開に従い、四川省に入った。李福猷は3万人を率いて雲南省昭通府を経て、貴州省に入り、貴州省から四川省を包囲する作

李平 (福島市)

葭谷地 惣八郎 惣八郎沢 蛇鳴沢 蜂森 赤坂 黒坊坂 水上 大久保 大荷転 仁田 儘根 釜沢 大沢 浅原 湯ノ平 大森 東谷地 上仁田 細木立 大根森 釜場 大焼 家形 三ツ俣 独活尻 埃小屋 沢小屋 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により信夫郡庭坂村が発足。旧李平村域は庭坂村の大字となる。

李

李(り、すもも) スモモのこと。 漢姓のひとつ。中国人、朝鮮人、ベトナム人の姓。⇒ 李氏 朝鮮人の姓については ⇒ 李 (朝鮮人の姓) 李 - 大相撲力士栃乃若導大の2009年9月場所までの呼び出し名。フルネームでの旧四股名は李大源(リ・デウォン)。 李(すもも) - 広島県神石郡神石高原町の地名。

李瑜

同母兄の広平大君も李芳碩の同母兄の撫安君の養子となる。 1452年に長兄の文宗が崩御し端宗が即位すると、次兄首陽大君(後の世祖)とともに王を左右から補弼することを約束し、端宗の側近の一人となる。黄標政事を掌握した大臣らや安平大君を1453年の癸酉靖難で排除、台頭した首陽大君と対立し、1454年閏6月

李穀

李 穀(り こく、大德2年7月18日(1298年8月25日) - 至正11年1月1日(1351年1月28日))は、高麗末期の文官で学者。 字は仲父、號は稼亭。韓山の人。諡号は文孝。子は李穡(り しょく)である。高麗と元の科挙に両方に及第した人物。 李穀は、『編年綱目』・『三朝実録』・『稼亭集』の編纂

李珥

李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 - 1584年)は、李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユㇽゴㇰ)、字は叔献(しゅくけん、スッコン)。本貫は徳水李氏。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕えていたが、政争や貧困が蔓延して国防が疎か

李応

梁山泊などの山賊の住処が近く、姻戚関係にある隣接する祝家荘、扈家荘の3村で同盟を結んで有事が起こったら助けあう約束をしていた。ある日、家来の杜興に伴われて楊雄・石秀が彼らの仲間の時遷が祝家荘に捕らわれたため、李応に仲介を打診を願いに来訪した。これに応じた李応は、祝家荘の主祝朝奉に手紙を出すも、朝奉の

李淵

(566-635) 中国, 唐の初代皇帝(在位 618-626)。 高祖。 字(アザナ)は淑徳。 隋朝に仕えたが, 煬帝(ヨウダイ)の失政に乗じて挙兵, 突厥(トツケツ)の助けをかりて長安を陥し, 煬帝の孫恭帝を擁立。 煬帝の死後に即位, 長安を都として唐を建国。 次子世民(のちの太宗)の補佐を受けて中国を統一。

李花

スモモの花。

李唐

(1050頃-1130頃) 中国, 宋代の画家。 字(アザナ)は晞古(キコ)。 細密な山水画を得意とし, 南宋画院体山水画の形成に大きな役割を果たした。 作「山水図」(京都高桐院)

行李

〔「行李」は使者の意〕 (1)竹または柳などで編み, 衣類や旅行用の荷物などを入れるのに用いるかぶせ蓋(ブタ)つきの入れもの。 こり。 (2)軍隊で, 弾薬・食糧・器具などを運ぶ部隊。 大行李と小行李があった。 (3)旅行用の荷物。 旅じたく。 転じて, 旅。

李鵬

(1928- ) 中国の政治家。 四川省出身。 革命家の両親をもち, 父の処刑後, 周恩来夫妻の養子となる。 電力部門の技師として働く一方, 同部門の共産党書記となり, 88年には国務院総理に選出された。 リー=ポン。

李朝

(1)朝鮮の王朝。 李成桂(リセイケイ)が高麗(コウライ)を倒して建国(1392-1910)。 国号は朝鮮。 都は漢城(ソウル)。 領土を朝鮮半島全域に拡大し, 第四代世宗(セイソウ)の時全盛。 1897年国号を大韓と改めたが, 日露戦争後, 日本の保護国化, 1910年韓国併合で滅亡。 儒学, 特に朱子学中心の文教政策により, 図書の出版, 活字印刷, ハングル制定など, 文化が興隆, 日本に多大な影響を与えた。 李氏朝鮮。 (2)ベトナムの王朝(1009-1225)。 李公蘊(リコウウン)(974-1028)が創始, 都を昇竜(現在のハノイ)に定め, 国号を大越と改めた。 仏教が繁栄。 中国の宋軍の侵入を退けたが, のち陳朝に滅ぼされた。 李氏安南。

李部

〔「りほう」とも〕 (1)中国の六部の一。 隋から清まで, 官吏の任免, 功績の考査などをつかさどった中央行政官庁。 (2)式部省の唐名。

李唐

〔皇帝の姓が李であったことから〕 中国の唐朝のこと。

李迪

中国, 宋代の画家。 花鳥画家として名が高いが, 人物・山水・動物も巧みだった。 代表作「風雨帰牧図」「雪中帰牧図」。 生没年未詳。

李下

スモモの木の下。 <i>~に冠(カンムリ)を整(タダ)さず</i> 〔「古楽府(君子行)」による。 スモモの木の下で, まがった冠を直そうと手を上げると, スモモを盗むのかと疑われるから, 冠を直さない, という意〕 人の疑いを招きやすい行為は避ける方がよいというたとえ。 李下の冠。 → 瓜田(カデン)に履(クツ)を納れず

李部

〔「ほう」は漢音〕 ⇒ りぶ(吏部)