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Detalhes da Palavra

李豊

李 豊(り ほう) 李豊 (後漢) - 後漢末の人物。袁術配下の将軍。 李豊 (蜀漢) - 三国時代の蜀漢の人物。李厳(李平)の子。 李豊 (曹魏) - 三国時代の魏の人物。夏侯玄・張緝と共にクーデターを計画したが露見し、処刑された。 李豊 (西晋) - 西晋の人物。西晋の新蔡王司馬騰(司馬越の弟)

Palavras Relacionadas

李豊 (後漢)

梁綱・楽就の3将を陳国に残留させ(『後漢書』袁術伝によると、張勲も留まったとされる)、自分だけ淮南へ逃げ帰った。李豊は、他の将軍たちと共に曹操軍を迎撃したが、敗北して戦死した。 小説『三国志演義』では、梁剛(正史の梁綱

李豊 (曹魏)

曹爽一党が政権を掌握し司馬懿らを排斥すると、李豊はどちらにもつかず離れずの態度を取った。曹爽が誅殺された後の嘉平4年(252年)、中書令の官に任じられ、皇帝曹芳の側近となった。 李豊は、司馬懿の後を継いだ司馬師の親任を受けていたが、太常の夏侯玄に心を寄せ、光禄大夫の張緝と結託し、クーデターを図った。しかし嘉平6

李豊 (蜀漢)

李 豊(り ほう、生没年不詳)は、中国三国時代の蜀漢の武将。荊州南陽郡の人。父は李厳(李平)。 章武8年(230年)、江州に駐屯していた李厳は、魏将曹真を迎撃するために漢中へ向かった。李豊は諸葛亮の上表によって江州都督督軍に任命され、父の職務をそのまま司った。諸葛亮によれば、この人事は李

李

李(り、すもも) スモモのこと。 漢姓のひとつ。中国人、朝鮮人、ベトナム人の姓。⇒ 李氏 朝鮮人の姓については ⇒ 李 (朝鮮人の姓) 李 - 大相撲力士栃乃若導大の2009年9月場所までの呼び出し名。フルネームでの旧四股名は李大源(リ・デウォン)。 李(すもも) - 広島県神石郡神石高原町の地名。

豊

ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。 豊 豊(ゆたか、とよ、ぶ)、本来は禮(礼、れい)の字源であり。「豐」と似ているゆえ、新字体として使われていた。 地名 豊国 - かつて九州北部にあった国。 豊州 → 日本の地名の略表記一覧 豊前国 - 豊国から分立した令制国。現在の福岡県東部。 豊後国

李瑜

同母兄の広平大君も李芳碩の同母兄の撫安君の養子となる。 1452年に長兄の文宗が崩御し端宗が即位すると、次兄首陽大君(後の世祖)とともに王を左右から補弼することを約束し、端宗の側近の一人となる。黄標政事を掌握した大臣らや安平大君を1453年の癸酉靖難で排除、台頭した首陽大君と対立し、1454年閏6月

李穀

李 穀(り こく、大德2年7月18日(1298年8月25日) - 至正11年1月1日(1351年1月28日))は、高麗末期の文官で学者。 字は仲父、號は稼亭。韓山の人。諡号は文孝。子は李穡(り しょく)である。高麗と元の科挙に両方に及第した人物。 李穀は、『編年綱目』・『三朝実録』・『稼亭集』の編纂

李珥

李 珥(り・じ、イ・イ、1536年 - 1584年)は、李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユㇽゴㇰ)、字は叔献(しゅくけん、スッコン)。本貫は徳水李氏。朱子学者として李滉(退渓)とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主気説を展開した。朝鮮王朝に仕えていたが、政争や貧困が蔓延して国防が疎か

李応

梁山泊などの山賊の住処が近く、姻戚関係にある隣接する祝家荘、扈家荘の3村で同盟を結んで有事が起こったら助けあう約束をしていた。ある日、家来の杜興に伴われて楊雄・石秀が彼らの仲間の時遷が祝家荘に捕らわれたため、李応に仲介を打診を願いに来訪した。これに応じた李応は、祝家荘の主祝朝奉に手紙を出すも、朝奉の

李淵

(566-635) 中国, 唐の初代皇帝(在位 618-626)。 高祖。 字(アザナ)は淑徳。 隋朝に仕えたが, 煬帝(ヨウダイ)の失政に乗じて挙兵, 突厥(トツケツ)の助けをかりて長安を陥し, 煬帝の孫恭帝を擁立。 煬帝の死後に即位, 長安を都として唐を建国。 次子世民(のちの太宗)の補佐を受けて中国を統一。

李花

スモモの花。

李唐

(1050頃-1130頃) 中国, 宋代の画家。 字(アザナ)は晞古(キコ)。 細密な山水画を得意とし, 南宋画院体山水画の形成に大きな役割を果たした。 作「山水図」(京都高桐院)

行李

〔「行李」は使者の意〕 (1)竹または柳などで編み, 衣類や旅行用の荷物などを入れるのに用いるかぶせ蓋(ブタ)つきの入れもの。 こり。 (2)軍隊で, 弾薬・食糧・器具などを運ぶ部隊。 大行李と小行李があった。 (3)旅行用の荷物。 旅じたく。 転じて, 旅。

李鵬

(1928- ) 中国の政治家。 四川省出身。 革命家の両親をもち, 父の処刑後, 周恩来夫妻の養子となる。 電力部門の技師として働く一方, 同部門の共産党書記となり, 88年には国務院総理に選出された。 リー=ポン。

李朝

(1)朝鮮の王朝。 李成桂(リセイケイ)が高麗(コウライ)を倒して建国(1392-1910)。 国号は朝鮮。 都は漢城(ソウル)。 領土を朝鮮半島全域に拡大し, 第四代世宗(セイソウ)の時全盛。 1897年国号を大韓と改めたが, 日露戦争後, 日本の保護国化, 1910年韓国併合で滅亡。 儒学, 特に朱子学中心の文教政策により, 図書の出版, 活字印刷, ハングル制定など, 文化が興隆, 日本に多大な影響を与えた。 李氏朝鮮。 (2)ベトナムの王朝(1009-1225)。 李公蘊(リコウウン)(974-1028)が創始, 都を昇竜(現在のハノイ)に定め, 国号を大越と改めた。 仏教が繁栄。 中国の宋軍の侵入を退けたが, のち陳朝に滅ぼされた。 李氏安南。

李部

〔「りほう」とも〕 (1)中国の六部の一。 隋から清まで, 官吏の任免, 功績の考査などをつかさどった中央行政官庁。 (2)式部省の唐名。

李唐

〔皇帝の姓が李であったことから〕 中国の唐朝のこと。

李迪

中国, 宋代の画家。 花鳥画家として名が高いが, 人物・山水・動物も巧みだった。 代表作「風雨帰牧図」「雪中帰牧図」。 生没年未詳。

李下

スモモの木の下。 <i>~に冠(カンムリ)を整(タダ)さず</i> 〔「古楽府(君子行)」による。 スモモの木の下で, まがった冠を直そうと手を上げると, スモモを盗むのかと疑われるから, 冠を直さない, という意〕 人の疑いを招きやすい行為は避ける方がよいというたとえ。 李下の冠。 → 瓜田(カデン)に履(クツ)を納れず