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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

一朱銀

製造した。このとき製造されたのが貨幣司一朱銀(かへいしいっしゅぎん)であり、「常是」の「常」字の上部が「川」字を髣髴させるものであるため川常一朱銀(かわつねいっしゅぎん)とも呼び、鋳造期の大部分が明治時代になることから明治一朱銀(めいじいっしゅぎん)とも呼ばれる。

คำที่เกี่ยวข้อง

二朱銀

匁一分五厘銀判、筑前二朱銀が挙げられる。仙台小槌銀も二朱通用とされた可能性があるが、これは一分通用との説もある。また二朱銀の試鋳貨幣としては、小型の安政二朱銀のような形で量目が嘉永一朱銀のほぼ倍量となっており、嘉永一朱銀発行の頃に試鋳されたといわれるものがある。 ^ a b c

一朱金

一朱金(いっしゅきん)とは、江戸時代に流通した金貨の一種である。 一朱判(いっしゅばん)、または発行が文政期のみであったことから文政一朱判(ぶんせいいっしゅばん)、あるいはその形状から角一朱金(かくいっしゅきん)ともいう。 形状は正方形。表面には、五三の桐紋と下部に「一朱」の文字が刻印されている。

南鐐二朱銀

南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)とは、江戸時代に流通した銀貨の一種で、初期に発行された良質の二朱銀を指す。 正式名称については『銀座書留』などに「貮朱之歩判(にしゅのぶばん)」あるいこれを略して「貮朱判(にしゅばん)」と記述しており、南鐐二朱判(なんりょうにしゅ

一分銀

一分銀(いちぶぎん)は、江戸時代末期に流通した銀貨の一種。 計数銀貨としての南鐐二朱銀の成功を受け、天保8年(1837年)に鋳造開始された天保一分銀を嚆矢とする。従来の丁銀や豆板銀が、重量を以て貨幣価値の決まる秤量貨幣(秤量銀貨)だったのに対し、額面が記載された表記貨幣(計数貨幣)であった。

朱

(1)赤い色。 緋色(ヒイロ)・朱色・紅色などを含む。 (2)馬の毛色の名。 赤毛。 (3)「緋衣(アケゴロモ)」の略。 <i>~に染(ソ)ま・る</i> 血に染まる。 血まみれになる。 <i>~を奪う紫</i> ⇒ 紫(ムラサキ)の朱を奪う

朱

(1)赤。 また, やや黄を帯びた赤色。 (2)赤色の顔料。 辰砂(シンシヤ)として産し, 成分は硫化水銀(II)。 (3){(2)}を用いて作った墨。 朱墨。 (4)詩歌・文章を添削して入れた朱字。 (5)「銖(シユ)」に同じ。 <i>~に交(マジ)われば赤くなる</i> 人は交わる友, また環境によって, 良くも悪くもなる。 <i>~を入・れる</i> 朱筆で, 文章・詩歌などを訂正・書き入れする。 添削する。 <i>~を注(ソソ)・ぐ</i> 顔などが真っ赤になるさまのたとえ。

朱

(1)中世まで用いられた目方の単位。 律令制では両の二四分の一。 (2)江戸時代の貨幣の単位。 両の一六分の一。 分(ブ)の四分の一。 (3)利率の一種。 (ア)一割の一〇分の一。 分。 歩。 (イ)一割の一〇〇分の一。 一分の一〇分の一。 厘。

第一銀行

みずほフィナンシャルグループ > みずほ銀行 > 第一勧業銀行 > 第一銀行 株式会社第一銀行(だいいちぎんこう)は、かつて存在した日本の銀行である。統一金融機関コードは、0001(第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行が承継)。 前身の第一国立銀行(だいいちこくりつぎんこう)は、1873年(明治6

一酸化銀

一酸化銀(いっさんかぎん、英: silver monoxide)は、酸化銀-亜鉛アルカリマンガン乾電池の製造段階で使われる無機化合物である。組成式は AgO と表されるが、銀の酸化数は+2ではない。反磁性であることとX線回折の実験結果を見ると組成式は AgIAgIIIO2 の方が適している。 過酸化銀とも呼ばれるが、過酸化物イオン

銀座天一

休業するのが当時の常識だった。矢吹は店舗にクーラーを設置することで夏場でも営業を可能とし、通年営業することで顧客が定着していった。現在も若鮎、茗荷、穴子といった旬のたねを提供している。次はコーン油の使用である。当時の天ぷら屋では胡麻油を使用していたが、天一のコーン油で揚げた天ぷらは軽くて新しい食感を

一円銀貨

一円銀貨(いちえんぎんか)は、日本の近代銀貨である。「円銀」とも呼ばれる。 1871年(明治4年)の新貨条例により、対外貿易専用銀貨として発行された。1914年(大正3年)まで製造され、主に台湾や中国で流通した。 品位は銀.900、銅.100、量目は26.96グラム(416グレイン)で大型と小型に大

楊朱

しゅ、生没年未詳、紀元前370年頃? - 紀元前319年頃?)は、中国戦国時代の思想家。個人主義的な思想である為我説(自愛説)を主張した。字は子居。 人間の欲望を肯定し、自己満足が自然に従うものであるとした。儒家、墨家に対抗し、異端として孟子などから排撃される。著書は伝わらず、「列子(楊朱篇)」、「荘子」などに学説が断片的であるが記載される。

朱簡

品』として出版されたが、ここではじめて秦漢以前の古璽を見極めたことは特筆される。のちの著書では篆刻理論を論じ識見が高い。 篆刻は、戦国時代から元朝までの体裁を自家薬籠中の物として、技巧的でない情趣溢れる作風であった。後の巴慰祖に影響を与えている。周亮工や董洵は朱簡を絶賛している。 馮夢禎印 陳継儒印

朱霊

霊(しゅ れい、? - 229年以降)は、中国後漢時代末期から三国時代にかけての魏の武将。字は文博。冀州清河国鄃県(現在の山東省徳州市夏津県)の人。曹操・曹丕・曹叡の3代に仕えた歴戦の将軍である。 初めは袁紹の配下だった。清河の季雍という者が、鄃県を挙げて袁紹に叛き公孫瓚に付いたため、袁紹は朱霊

朱鷺

鳥トキの異名。

朱筆

朱墨用の筆。 また, 朱墨の書き入れ。 <i>~を入・れる</i> 朱筆で書き入れや訂正などをする。 朱筆を加える。 朱を入れる。

朱書

朱で書くこと。 朱書き。

朱器

(1)朱塗りの器具。 (2)藤原氏の重宝。 大饗(タイキヨウ)に用いた器具。 藤原冬嗣に始まり, 氏の長者に相伝された。 朱器台盤。

朱熹

(1130-1200) 中国, 南宋の儒学者。 字(アザナ)は元晦(ゲンカイ)・仲晦。 号は晦庵・晦翁。 朱子・朱文公と尊称される。 北宋の周敦頤(シユウトンイ)・程顥(テイコウ)・程頤(テイイ)らの学説を総合して朱子学を大成した。 死後, 朱子学が儒学の正統とされ, 元代以降官学として採用されたため, 四書尊重の風など後世に大きな影響を及ぼした。 主著「朱文公文集」「四書集注」「資治通鑑綱目」「近思録」など。 → 朱子学 → 宋学