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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

三栖廃寺跡

ミニチュア炊飯具セット(かまど・釜・鍋)、小型壺、須恵器、土師器等が出土している。特に一号墳玄室に副葬されているミニチュア炊飯具は和歌山県下でも数少なく、さらに南限例でもあるので発掘調査の際も注目されていた。ミニチュア炊飯具セットは渡来人系氏族の古墳の特徴であり、日

คำที่เกี่ยวข้อง

尼寺廃寺跡

門(東大門)の遺構が検出されている。特に塔心礎は巨大な地下式心礎であり、塔心礎としては日本最大級の規模になるとして注目されるとともに、心柱の柱座に添柱孔を伴う点、柱座から耳環などの舎利荘厳具が出土した点でも貴重な例になる。南廃寺(尼寺南廃寺)は調査が限られているが、南向きの法隆寺式伽藍配置で、般若院境内で金堂・塔の遺構が検出されている。

寺町廃寺跡

た素弁蓮華文の軒丸瓦は百済様式とされる。出土瓦の様相からは、7世紀中葉(または7世紀末葉)の創建で9世紀初頭頃に廃絶したと推定される。寺町廃寺の瓦を焼成した窯跡は、北西約1.5キロメートルの山中にある大当瓦窯跡(三次市和知町)であることが判明しており、寺院跡と合わせて国の史跡に指定されている。 なお南西約1

北野廃寺跡

である。しかし、講堂跡の中心線は塔・金堂の中心を結ぶ伽藍中軸線よりも一間分西へずれている。 出土した遺物は瓦・瓦塔・塼仏・磬形垂飾・鉄釘などと、須恵器・灰釉陶器・彩釉陶器などがある。鐙瓦の瓦当紋はこの地域でしか見られない高句麗の影響を強く受けたものであり、畿内とは別の経路で造寺技術が移入された可能

結城廃寺跡

溝跡から「法成寺」のヘラ書きのある丸瓦が出土した。『将門記』に「結城郡法城寺」が登場することと合わせ、結城廃寺の寺号は「法成寺」であったことがわかる。 棰先瓦(たるきさきがわら) - 屋根瓦ではなく、軒下の垂木(棰)の先端に付した瓦で、東日本では初の出土例である。 塑造仏像断片 - 衣文を表した断片が伽藍南東から、螺髪、右脚部、蓮

平川廃寺跡

堂の中心建物、東側に付属建物を配置していたと見られる。 塔の基壇は直径20cm前後の河原石を立て並べた上に平瓦を横積みにした瓦積基壇で、1辺が17.2mあった。 金堂の基壇は、塔と同じ瓦積基壇で東西が22.5m、南北が17.2mあった。基壇の南辺は、奈良時代末から平安時代初期に南側へ2

夏見廃寺跡

掘立柱塀(復元) 塑像仏(螺髪・足指先) 夏見廃寺展示館展示(他画像も同様)。 大型多尊塼仏 須弥壇塼仏 方形三尊塼仏A 方形三尊塼仏B・独尊塼仏A 独尊塼仏B 連坐塼仏・独尊塼仏C 檫管 金堂創建瓦-1 金堂創建瓦-2 塔・講堂創建瓦 補修用瓦 須恵器坏・土師器皿 円面硯 異形土師器壺 夏見廃寺跡 - 1990年(平成2年)3月8日指定。

関戸廃寺跡

釈迦の遺骨(舎利)を納めた塔。寺域西寄り、金堂の南側に位置し、金堂に次いで建立されている。基壇は一辺約12メートルを測る。基壇化粧は石積基壇。塔心礎の周囲に焼痕が認められることから、火災で焼失したと推測される。 講堂 経典の講義・教説などを行う建物。寺域東寄り、塔の東側で東西6間以上・南北4間の大型建物が検

太田廃寺跡

伽藍配置は詳らかでないが、塔心礎が発見された地点のほか土壇状の高まりが2箇所あったといい、法隆寺式伽藍配置と想定される。塔心礎は三角形の大盤石であったといい、上面に円形の柱穴孔が、その中央に方形の舎利孔が穿たれ、舎利容器が納置されていた。舎利容器は大理石製石櫃・銅鋺・銀製容器・金製容器が

横見廃寺跡

寺域からの出土品としては、瓦のほか、須恵器、土師器、金銅製飾金具片、塔相輪破片などがある。軒丸瓦には単弁蓮華文(山田寺式の火炎文、檜隈寺跡出土例と類似)・忍冬唐草文(中宮寺出土例と類似)があり、畿内からの影響が認められる。 なお、寺跡の下層からは弥生時代終末期(3世紀前半頃)の多量の土器類が検出されている。 横見廃寺跡

片山廃寺跡

片山廃寺跡(かたやまはいじあと)は、静岡県静岡市駿河区大谷字片山にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。 駿河国国分寺の遺構に比定する説が有力であるが、ほかに地方豪族の氏寺の遺構とする説がある。 静岡市市街地の南東方、有度山西麓にある古代寺院跡である。8世紀後半から10世紀前半(奈良時代後半から

駒帰廃寺跡

が検出されている。基壇上面には建物の焼失を示す厚さ約10センチメートルの焼土が認められる。 出土品としては、軒丸瓦(五葉複弁蓮華文)・軒平瓦(葡萄唐草文・均正唐草文・重弧文)・仏片・塑像片・蝶番・土器・小皿がある。建立は奈良時代早期頃で、平安時代頃に焼失したと推測される。 東方建物

山王廃寺跡

1921年(大正10年)に、日枝神社の境内から石製の塔心礎が発見された。その後、石製鴟尾、塔心柱根巻石、塑像、緑釉陶器や大量の瓦などが続々と出土した。 1928年(昭和3年)2月7日に塔跡と思われる範囲が「山王塔阯」の名称で国の史跡に指定され、1953年(昭和28年)11月14日に塔心柱根巻石が「上野国山王廃寺塔心柱根巻石

借宿廃寺跡

そのほか、金堂・塔の南では中門の存在が推定されるが、調査範囲では検出に至っていない。 寺域からの出土品としては、瓦類として多量の軒丸瓦・平瓦・丸瓦がある。創建期の瓦は複弁六葉蓮華文軒丸瓦・ロクロ挽重弧文軒平瓦で、そのほかに重弁八葉蓮華文軒丸瓦・手書き重弧文軒平瓦・文字刻印瓦などがある。瓦供給窯は大岡窯跡と見られ、瓦の

大山廃寺跡

中世の建物跡が見つかる。これに合わせて史跡の範囲が拡大される。 正福寺の所蔵品と考えられている仏像や文化財が、大山廃寺跡から山を少し下った場所にある江岩寺に、多数所蔵されている。 大山廃寺跡を含む一帯地域は、愛知県の「自然環境保全地域特別地区」に指定されている。 愛知県小牧市大字大山字郷島・仲島

上淀廃寺跡

のと考えられる。これまでの調査で中心伽藍(塔跡・中門跡・回廊跡など)、寺域、その他倉庫等の雑舎が確認されているが、講堂の所在が不明である。 寺域は天平尺で東西約2町(212メートル)、南北1町(106メートル)の規格とみられ、ほぼ中央に半町(53メートル)四方の中心伽藍が位置する。伽藍配置は発掘当

広渡廃寺跡

、それに取り付く築地や通路としての階段も確認されている。 出土した丸瓦の大半は、行基葺瓦(先端となる円筒をつくり、それを半裁したもの)である。一部、玉縁式瓦(瓦を重ねる部分に段を設けたもの)もあるが、大型のものが多く、普通の丸瓦とは異なった場所に用いられた可能性がある。行基葺瓦で葺いた屋根は、直接瓦

大御堂廃寺跡

鳥取県指定保護文化財「大御堂廃寺跡出土遺物」の明細 瓦類 軒丸瓦 21点 軒平瓦 5点 鴟尾 8点 鬼瓦 4点 熨斗瓦 1点 面戸瓦 3点 隅切瓦 3点 文字瓦(刻印・ヘラ書) 27点 丸瓦 7点 平瓦 29点 土器 溜枡出土土器 74点 東溝出土土器 114点 講堂出土土器

武井廃寺塔跡

塔跡と推定されたが、1969年(昭和44年)の発掘調査後は火葬墓とする説が有力視される。 墳丘(基壇)の形は正八角形で、直径約18メートル・高さ約2メートルを測る。墳丘は南側で4段築成、北側で3段築成。墳丘外表には石積み(化粧石)が認められる。墳丘頂部には安山岩製の石造物(石製骨蔵器か:かつては塔

廃寺

(1)住職のいない荒れはてた寺。 (2)廃絶した寺。 また, 寺を廃すること。