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รายละเอียดคำ

上杉家文書

8通14冊、文書箱等3合2棹を追加指定のうえ、下記の名称で国宝に指定。 上杉家文書 2,018通、4帖、26冊 附:歴代年譜(14部)325冊 附:両掛入文書箱等並赤箪笥 3合2棹 他に「越後国頸城郡絵図・越後国瀬波郡絵図」(附:越後国絵図)が重要文化財に指定されている。これは1979年に「上杉家文

คำที่เกี่ยวข้อง

上条上杉家

越後上杉家・上条上杉家 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。 ^ 2014年 戎光祥出版「上杉顕定」森田真一著 ^ 前嶋敏、福原圭一、片桐昭彦、森田真一、阿部哲人、竹下多美、今福匡、村石正行、田嶋悠佑、簗瀬大輔、萩原大輔、矢部健太郎著「上杉謙信」(2017年、高志書院刊行)P31-41

上杉清文

集、発行するとともに、仏教学者菅野博史創価大学教授による摩訶止観講義を、公開講座として東京・新宿の常円寺で主催している。 『仏の十戒(邪法・末法・盲滅法) 』(北宋社,1984.2) 『ニーチェ遊び(仏の十戒2)』(北宋社,1985.2) 『礼儀正しい思想(仏の十戒3)』(北宋社, 1985.6)

上杉朝定 (扇谷上杉家)

上杉 朝定(うえすぎ ともさだ)は、戦国時代の武将。扇谷上杉家の事実上最後の当主。武蔵国松山城主。 大永5年(1525年)、上杉朝興の子として生まれる。天文6年(1537年)4月に父が死去したため、家督を継いで当主となる。後北条氏に対抗するため、武蔵府中・深大寺に深大寺城を築いている。ところが若年

上杉朝定 (二橋上杉家)

『続群書類従』巻百五十三「上杉系図」によれば「於信州寺原被誅。年三十二歳。」、同巻百五十四「上杉系図」によれば「於信州衛原討死。三十三。」、同巻「深谷上杉系図」によれば「於信州御原御陣討死。三十三。」、『常楽記』によれば「於信州病死云々。」、「佐野本系図」によれば「於桑名被誅。三十二才。」とされている ^ 阪田、2013年、P46-47

上杉家廟所

上杉家廟所 米沢城 米沢駅 米沢中央I.C. 長命寺 法音寺 西米沢駅 上杉家廟所(うえすぎけびょうしょ)は、山形県米沢市にある米沢藩歴代藩主の墓所である。1984年(昭和59年)1月11日、米沢藩主上杉家墓所(よねざわはんしゅうえすぎけぼしょ)の名称で国の史跡に指定された。

扇谷上杉家

に関東地方に割拠した上杉氏の諸家のひとつ。上杉朝定の養子顕定を祖とする。戦国時代には河越城に本拠を移し、武蔵国を拠点とする大名となり、南関東に勢力を扶植した。 扇谷上杉氏は室町幕府を開いた足利尊氏の母方の叔父にあたる上杉重顕を遠祖とする家で、南北朝期の貞治年間に重顕の養孫(上杉朝定の養子)にあたる上

犬懸上杉家

たところから、それぞれ山内・犬懸・扇谷・宅間上杉氏と言われた。特に、山内・犬懸両上杉氏は関東管領職を占める立場にあったが、犬懸上杉氏の居館(現在の犬懸橋付近)が鎌倉公方邸(現在の鎌倉南西の六浦道に面する場所)の隣接地の一方、山内上杉氏は鎌倉公方邸から遠い(北鎌倉の山之内)場所にあった。全盛時の犬懸上

深谷上杉家

勘定奉行、1844年(弘化元年)に73歳で旗本最高役職の大目付(役高3000石)に昇進し、1854年(安政元年・83歳6月)に87歳になるまで勤めた。海防掛も兼任しており、1853年7月(嘉永6年)のいわゆる「黒船来航」の際の幕閣会議にも86歳で参加し、穏便に済ませる案を提示した。

八条上杉家

上杉満朝(八条満朝) - ※足利義満 上杉満定(八条満定) - ※足利義満 上杉持定(八条持定) - ※足利義持 上杉成定(八条成定) - ※足利義成 庶子 八条能重(伊予守) 八条房孝(尾張守) 八条房繁(近江守) 琵琶島城 扇谷上杉氏 谷合伸介 「八条上杉氏・四条上杉氏の基礎的研究」 『新潟史学』第51号、2004年。

宅間上杉家

上杉憲清 上杉憲直 上杉定重 上杉定朝 上杉顕重 上杉乗国 上杉乗方 上杉房成 上杉富朝 上杉規富 宅間上杉家系図 実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。 ^ 山内上杉家・上杉憲顕の子。 ^ 山内上杉家・上杉重行の子。 ^ 山内上杉家・上杉憲方の子、能憲の甥。 ^ 越智吉次の子、忠次の外孫。

山内上杉家

天児屋命(春日大社氏神)-天押雲根命-天種子命-宇佐津臣命-大御気津臣命-伊香津臣命-梨津臣命-神聞勝命-久志宇賀主命-国摩大鹿島命-臣狭山命-中臣 雷大臣命-大小橋命-阿麻毘舎卿連-音穂臣命-阿毘古連-真人連-賀麻大夫-黒田連-常盤連-可多能祜連-御食子-藤原(中臣)鎌足-不比等-房前(北家)-真楯-内

上杉

日本 > 宮城県 > 仙台市 > 青葉区 (仙台市) > 上杉 上杉(かみすぎ)は、宮城県仙台市青葉区の町丁。郵便番号は980-0011。人口は9694人、世帯数は5554世帯(2022年1月1日現在)。現行行政地名は上杉一丁目から上杉六丁目であり、全域で住居表示を実施している。

和田家文書

和田家文書 (大津市) - 滋賀県大津市の和田家に伝わる。大津市指定文化財。 和田家文書 (田辺市) - 和歌山県田辺市本宮町桧葉の和田家に伝わる。 和田家文書 (姫路市) - 兵庫県姫路市の和田家に伝わる。 和田文書(みきたもんじょ) - 和泉国和田氏(みきたし)の文書。中世畿内史の第一級史料。

武家様文書

鎮西探題が管下の御家人に鎌倉からの命令を伝達するために作成する場合もあるため、鎌倉で作成された下知状は特に関東下知状と呼ばれた。御教書は召状・問状など手続法上の文書や期限を限定した用途に用いられ、下知状と同様の発給手続が取られた。なお、袖判下文は北条氏や足利氏のような有力御家人が自己の家臣に対して発給する事例もあった。

市河家文書

1557年(弘治3年)の第三次川中島の戦いで、武田晴信(信玄)が市河藤若に宛てた感状で、最後に「猶可有山本菅助口上候」(詳しくは山本管助が口上で申しあげる」と記されており、与力豪族への使者となるに相応しい地位にあったことが確認された。(どの程度の地位 / 身分を想定するかで諸説ある)。

川勝家文書

「雑」の四部に分たれ、最後に川勝家所伝の加藤弘之著『鄰艸』(となりぐさ)一編、その他が添えられている。「在外幕府吏員等書翰」は、パリ万国博覧会参列、締盟各国訪問を兼ねフランスに留学した徳川昭武一行の上申書類などである。「駐箚外国使臣等との往復書翰」は、駐箚外国との往復書簡であり、特にフランスのレオン

篠澤家文書

禄16年まで天領となり、その後岩村田藩が成立。名主役らは割元職を兼任するようになる。篠澤家は割元・名主のほか、公事宿(郷宿)の役割も担った。篠澤家が重用された理由としては、当時の篠澤家が飛び抜けて高い経済力を有していたというわけではなく、陣屋元に在住していたことが大きいと考えられている。安政6年(1

上杉朝定 (山本寺上杉家)

上杉 朝定(うえすぎ ともさだ)は、室町時代前期の武士。越後国守護である越後上杉氏の分家の一つ、山本寺上杉家の祖とされる。 応永25年(1418年)、上杉朝方の子として誕生したとされる。不動山城を築いたのは朝定とも、朝定の子とされる山本寺定種とも云われる。 山本寺上杉

山本寺上杉家

山本寺上杉家(さんぼんじうえすぎけ)は、戦国時代に越後国にあった上杉氏の諸家のひとつ。始祖は上杉房朝の弟・上杉朝定であると言われるが、定かではない。 山本寺上杉家は、越後上杉家の傍流であることは確かであるが、当主の名前あるいはどの代で分家したのかも資料によって違い(別名も多岐にわたる)があり、不鮮明