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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

二条舎子

それから11年後の寛政2年1月29日(1790年3月14日)、青綺門院舎子は75歳で崩御。陵所は京都府京都市東山区の月輪陵。 幼帝や女帝が続いた時代、4代の天皇の治世に渡って皇太后、女院の座にあったことは特筆に価する。晩年は桃園天皇生母の開明門院(姉小路定子)や後桃園天皇生母の恭礼門院(一条富子)らに対し、「大女院」と称された。

คำที่เกี่ยวข้อง

二条為子

『増鏡』「秋のみ山」には、「坊の御時、限りなく思(おぼ)されたり」云々とあり、尊治から為子への愛情は限りないほど深かった。さらに、地位としても、為子は尊治の正室格の妃と見なされたようである(なお、尊治が後の中宮西園寺禧子と出会うのは為子の没後)。たとえば、『花園天皇宸記』では、二条為定(為世の孫)の一族は

二条藤子

回忌として、『梵網経』を書写し、真言律宗東妙寺(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)に納めた。筑後国矢部(福岡県八女市矢部村矢部)の山間部に逃げ込んでいた時期だが、それでも母への供養は忘れていなかった。 天授7年/弘和元年(1381年)には母の三十一回忌

二条栄子

』雑下)。このとき、慈道が哀しみのあまり詠んだ歌が『風雅和歌集』雑下に入集している。尊円法親王(慈道の次の代の青蓮院門跡)も返し歌を詠んでいる。 安福殿と称した(『尊卑分脈』)。その後は不明。 [脚注の使い方] ^ a b c d 『大日本史料』6編1冊342–343頁. ^ a b c 『大日本史料』6編5冊776–777頁

二条

姓氏の一。 (1)藤原北家の流。 五摂家の一。 鎌倉中期に九条道家の子, 良実が関白となり, 分かれて一家を立てたのに始まる。 名称は良実が居所の東二条院にちなんで二条殿を称したのに由来。 (2)歌道の家。 藤原氏御子左家(ミコヒダリケ)の為家の子, 為氏を祖とするが, その子為世から二条家を称した。 勅撰集の撰者を多く出したが, 室町中期には絶えた。

二条

平安京の条坊の一。 また, 東西に通じる大路の名。 二条大路。

二条城

存している物より遥かに華やかなものであった。眺望としては二の丸御殿大広間の西側、二の丸御殿黒書院の南側に小堀遠州が作庭した特別名勝の二の丸庭園である日本庭園がある。話を戻し、二の丸御殿の遠侍の北側には、料理をこしらえるための二の丸御殿の「台所:重要文化財」と御膳を配膳準備をするための「御清所:重要

二条院

二条院(にじょういん) 第70代後冷泉天皇の中宮・章子内親王に女院が宣下された際に定められた院号。 第78代二条天皇が崩御した際に贈られた追号。 上記の二条天皇が里内裏としていた押小路東洞院第(おしのこうじ ひがしとういん だい)の通称。 『源氏物語』で、主人公の光源氏が前半生を過ごした二条

二条家

1551) 二条晴良(1526 - 1579) 二条昭実(1556 - 1619) 二条康道(1607 - 1666) 二条光平(1625 - 1682) 二条綱平(1672 - 1732) 二条吉忠(1689 - 1737) 二条宗熙(1718 - 1738) 二条宗基(1727 - 1754) 二条重良(1751

二条派

教は京極家、為相は冷泉家に分家した。二条為氏の子為世、京極為教の子為兼の代になると、二条家嫡流の二条派は大覚寺統(のちの南朝)と結んで保守的な家風を墨守し、一方の京極派は持明院統(のちの北朝)と結んで破格・清新な歌風を唱えた。二条派と京極派は互いに激しく対立して勅撰和歌集の撰者の地位を争った。二条派

二条通

、やや北に位置する平安神宮とともに明治以降に作られた文化施設が建ち並ぶ。 寺町通の南東角には、梶井基次郎の小説『檸檬』で主人公がレモンを買い求めた果物屋「八百卯」が長きにわたって店を構えていたが、2009年1月25日に閉店している。 京都市動物園 京都市美術館 京都府立図書館 ロームシアター京都 京都市勧業館(みやこめっせ)

二条駅

2010年(平成22年)1月31日:丹波口駅 - 当駅間が複線化されるとともに、交換設備を廃止する。 2018年(平成30年)3月17日:駅ナンバリングが導入され、使用を開始。 1997年(平成9年)10月12日:【地】京都市営地下鉄東西線の二条駅が開業。当時は終着駅であった。

BiVi二条

京都・二条駅前の複合商業施設が初の大規模改修へ 全面休業、シネコンは営業(2023年6月15日)、京都新聞、2023年10月29日閲覧。 ^ BiVi二条、全面改装 来夏着工、25年3月までに再開 /京都(2023年7月25日)、毎日新聞地方版、2023年10月29日閲覧。 Bivi二条 TOHOシネマズ二条 BiVi二条

舎人娘子

「(大宝)二年壬寅、太上天皇(=持統上皇)、三河の国に幸す時の歌」との詞書がある。 嘆きつつ大夫の恋ふれこそ我が結ふ髪のひちてぬれけれ(万葉集2-118) 舎人親王の「ますらをや片恋せむと嘆けども醜のますらをなほ恋ひにけり」という歌に対する返歌。 大口の真神の原に降る雪はいたくな降りそ家もあらなくに(万葉集8-1636)

二子

「双子糸(フタコイト)」に同じ。

二子

同じ母親から同時に生まれた二人の子。 双生児。

二条吉忠

月従一位に叙され、元文元年(1736年)8月桜町天皇から関白の詔があり、同時に氏長者・内覧宣旨を賜ったが、同2年(1737年)8月3日所労のために辞職し、即日薨去した。享年49。墓所は二尊院。 後桜町天皇の外祖父に当たることから、33回忌の明和6年(1769年)8月に准三后を追贈されている。 父:二条綱平(1672-1732)

二条天皇

1163年3月29日 - 1165年6月5日 永万 1165年6月5日 - (1166年8月27日) 陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市北区平野八丁柳町にある香隆寺陵(こうりゅうじのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。 永万元年(1165年)7月28日に二条院里第で崩御し、8月7日に

二条為氏

始めとして、宇都宮二荒山神社へ奉納された『新式和歌集』(宇都宮氏とその関係者の詠歌を集めたもの)以下の私撰和歌集にも多くの和歌が残る。その歌風は平明優艶と評される。『大納言為氏集』は、為氏と長男為世の詠歌を集めた後世の他撰集。連歌も能くした。文永7年(1270年)10月~12月の自筆日記「為氏卿記」が冷泉家時雨亭文庫に蔵されている。

二条持基

二条 持基(にじょう もちもと)は、室町時代中期の公卿・歌人。 父は関白の二条師嗣で次男。母は参議の東坊城長綱の娘。初名は基教(もとのり)という。応永17年(1410年)に兄の満基が急死したため、その養子となって家督を継いだ。応永31年(1424年)、称光天皇の関白となる。正長元年(1428年)に称