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พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

井随村

西蒲原郡横戸村、島方村、五之上村と合併し、四ツ合村となり消滅。 合併を行わないで発足した村であるため、大字は編成していない。 当時の村域は現在の新潟市西蒲区井随に該当する。 [脚注の使い方] 注釈 出典 ^ 角川地名15、p.143 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。  角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典

คำที่เกี่ยวข้อง

随

〔「気随(キズイ)」の略〕 気まま。 勝手。 「この後は~をいだいてあそばれ候へ/咄本・醒睡笑」

村井

姓氏の一。

井村

井村(いむら) 井村 - 大分県臼杵市 井村君江 - 英文学者 井村恭一 - 小説家 井村空美 - 女優 井村久美子 - 陸上競技選手、旧姓は池田 井村重雄 - 実業家、政治家 井村昂 - 俳優、舞台監督 井村尚嗣 - アナウンサー 井村恒郎 - 精神医学者 井村徹 - 金属工学者 井村徳二 - 実業家、政治家

随所

いたるところ。 そこら中。 あちこち。 「町の~に掲示板を設ける」

随処

いたるところ。 そこら中。 あちこち。 「町の~に掲示板を設ける」

随行

地位の高い人や目上の人につき従って行くこと。 また, その人。 おとも。 随伴。 「首相に~する」「~員」

気随

自分の思いのままに振る舞う・こと(さま)。 「~者」「~な奴だなあ/片恋(四迷)」

随神

〔「な」は格助詞「の」に同じ, 「から」は本性・性格を意味する語〕 (1)神でいらっしゃるままに。 神として。 かんながら。 「やすみしし我が大君~神さびせすと/万葉 38」 (2)〔神の御心のまま人為を加えないことから〕 神慮のまま。 かんながら。 「葦原の瑞穂の国は~言挙げせぬ国/万葉 3253」

随神

⇒ かむながら(随神)

不随

病気などのために, からだの動きが自由にならないこと。 「半身~」

随喜

(1)〔仏〕 他人のよいおこないを見て, 心に歓喜を生じること。 (2)心から喜び, ありがたがること。 大喜びをすること。 「公卿等~して僧都になし給へり/宇治拾遺2」

随想

おりおりに思ったこと。 折にふれての感想。 また, それを記した文章。 随感。 「~録」

付随

主たる物事に関係して成り立っていること。 つき従って起こること。 「~条項」「~する困難を解決する」

附随

主たる物事に関係して成り立っていること。 つき従って起こること。 「~条項」「~する困難を解決する」

随筆

雑家類」に基づき、学問を随筆風に述べる「雑考」(佐藤一斎『言志四録』など)、思想的随筆を指す「雑説」(室鳩巣『駿台雑話』など)、研究的考証的随筆を指す「雑品」(伴信友といった国学者の考証など)、先人の書物や見聞を集めた「雑纂」、諸書を集めた「雑

随県

随県(ずい-けん)は中華人民共和国湖北省随州市に位置する県。2009年5月に曽都区から分離して設立された。 2021年8月11日 - 集中豪雨により水害が発生。死者21、行方不明者4人。家屋など2700戸以上が浸水、損壊した。 鎮:厲山鎮、高城鎮、殷店鎮、草店鎮、小林鎮、淮河鎮、万和鎮、尚市鎮、唐

随郡

郡は随郡は荊州に属し、郡治は随県に置かれた。 454年(孝建元年)、随郡は郢州に転属した。464年(永光元年)、随郡は雍州に転属した。469年(泰始5年)、随郡は再び郢州に転属した。476年(元徽4年)、随郡は司州に転属した。478年(昇明2年)、南陽王劉翽が随郡王に改封され、さらに随陽郡王と改めら

随身

上皇の随身は特に御随身(ごずいしん)と尊称した。また中少将や衛門・兵衛佐など本府随身の他に召し使うものを小随身(しょうずいしん)、近衛府に属さないで個人が召し出すものを散所随身(さんじょずいしん)といった。 摂関の随身は変遷を経た後、藤原頼通以後、左右近衛府生各1、近衛各4、計10人が定着した。一方

随州

随州(隨州、隋州、ずいしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から民国初年にかけて、現在の湖北省随州市一帯に設置された。 西魏により置かれた并州を前身とする。554年(廃帝3年)、并州は随州と改称された。 583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、随郡が廃止されて、隋州に編入された。607年(