Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Logo
หน้าแรก
บทเรียน
สมุดบันทึก
พจนานุกรม
JLPT ข้อสอบฝึกหัด
วิดีโอ
อัปเกรด
ข้อเสนอแนะ
Todaii Japanese
Switch language – current: th
Logo Japanese
[email protected]
(+84) 865 924 966
315 Truong Chinh, Ha Noi
www.todaiinews.com
DMCA.com Protection Status

เกี่ยวกับ Todaii Japanese

เรื่องราวแบรนด์คำถามที่พบบ่อยคู่มือผู้ใช้ข้อกำหนดและนโยบายข้อมูลการคืนเงิน

โซเชียลเนตเวิร์ค

Logo facebookLogo instagram

เวอร์ชันแอป

AppstoreGoogle play

แอปอื่น

Todaii German
Todaii Super
Todaii English
Todaii Chinese
Todaii Korean
DMCA.com Protection Status

ลิขสิทธิ์เป็นของบริษัท eUp Technology JSC

Copyright@2026

พจนานุกรม

รายละเอียดคำ

名古屋鉄道100形電車

^ 1942年(昭和17年)に旧デシ551号(元・トク2号貴賓車)を復籍した際、車番を41号としたため本形式の41号と番号が重複した。本項の車両が1941年改番時に形式名を付与されなかったため、この復籍車両が初代モ40形を名乗っている。その後、1949年改番でモ85形に改称している。

คำที่เกี่ยวข้อง

名古屋電気鉄道500形電車

※6:復籍後の廃車年。 [脚注の使い方] ^ 白井昭. “「名鉄80年」写真集に伴い 尾西・名電鉄等の車両解体さる”. 2012年6月17日閲覧。 名古屋鉄道広報宣伝部編纂 『名古屋鉄道百年史』 名古屋鉄道、1994年 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史

名古屋電気鉄道1500形電車

1920年(大正9年)2月に1500番台の記号番号を付与されたグループとして最初に落成した。木造ダブルルーフ構造の車体を備え、側面には2箇所の片開式客用扉と13枚の側窓を配し、側面窓配置はD 13 D(D:客用扉、数値は側窓の枚数)である。落成当初より総括制御に対応したゼネラル・エレクトリック

名古屋鉄道デキ100形電気機関車

機が異なる。車体の中央にある扉は荷物用のドアであり、電動貨車的な使われ方もされていたが、1500V用に改造された際、荷物室に抵抗器、コンプレッサーなどを設置したため、荷物運搬は行われなくなった。 101・102は1965年(昭和40年)、103は1966年(昭和41年)、104は1967年(昭和4

名古屋鉄道デセホ700形電車

小径化され、そのため低速域の加速性能がデセホ700形より若干向上した。この車輪径の相違は後年の改造により両形式で統一され、差異は消滅した。 制動装置はSME非常弁付三管式直通ブレーキを常用制動として採用、手用制動を併設した。 集電装置は従来車と同様に、トロリーポールを

名古屋鉄道デボ650形電車

と同一値に設定されている。 台車は住友製鋼所(のちの住友金属工業)ST-27形鋼組立形釣り合い梁式台車を装着する。制動装置はウェスティングハウス・エア・ブレーキ (WABCO) 製のSME非常直通ブレーキで、1500形1519 - 1525と同一である。集電装置は、トロリーポールを屋根上に前後各

名古屋電気鉄道デワ1形電車

電装解除し、直通用の有蓋貨車に変更することにした。改造内容は電装品および両端の運転台の撤去、台車の交換などである。1918年(大正7年)9月の改番届では22両すべてが同年7月23日に貨車化されたことになっているが、営業報告書にある車両数の変遷は以下の通りである。 外された電装品

名鉄100系電車

互乗り入れにあたり、相互直通運転に使用する車両の規格は統一することとしており、豊田線と地下鉄を直通運転する車両は全長20 m・4扉ロングシートという前提条件があった。そこで、名鉄では「機能一点張り」というイメージをなくすべく、「機能は通勤型であるが乗車感覚は特急型」という基本方針を打ち出した。

名古屋電気鉄道

鉄道院を退官し支配人となる 1912年(大正元年)8月6日 : 郡部線の一宮線枇杷島 - 枇杷島橋 - 岩倉 - 西印田間と、犬山線岩倉 - 犬山間が開業。本格的な郊外路線の始まり。 9月1日 : 郡部線で貨物営業を開始。 1913年(大正2年)11月20日 : 柳橋駅開業、郡部線電車の市内線乗り入れを開始。 1914年(大正3年)9月6日 :

名古屋鉄道

名古屋鉄道株式会社(なごやてつどう、英: Nagoya Railroad Co.,Ltd.)は、東海地方の愛知県・岐阜県を基盤とする鉄道会社である。通称、名鉄(めいてつ、Meitetsu)。日本の大手私鉄の一つで、民営鉄道としては日本で3番目の歴史を持つ老舗企業である。

名古屋市交通局100形電車

代わりに車体と(室内側は壁と)同色のボードをはめた。次項の200形にも同じ処置がされている。 床は台枠上面にキーストン板を張りその上にコルク板とロンリウムを張っている。その後コルク板は不燃化のため軽量コンクリートのユニテックスに変えられている。窓は外嵌め式のユニットサッシとされ車内を広く見せる観点か

秩父鉄道100形電車

5kW、三菱MB64-C=44.8kW)は、順次KS-33Eなどの新型台車と強力な三菱MB-146系主電動機(端子電圧600V換算で定格74.6kW、本来端子電圧750V仕様のため昇圧対応可能)に換装する工事が施され、空気圧縮機もやはり早くから、ウエスティングハウスの設計に基づく三菱

名古屋鉄道の車両形式

ネ式軸箱支持方式(S・SUミンデンドイツ式)を標準台車としている。なお旧型車(吊り掛け駆動車)の時代では、台車も日本車輌製のD形シリーズを中心とした釣合梁(イコライザー)式が主流であった。 1975年までは車体更新車など一部を除き、2扉転換クロスシート車の新製を続け、最新系列は本線系の優等列車へ優先

名古屋鉄道トク3号電車

名古屋鉄道トク3号電車(なごやてつどうトク3ごうでんしゃ)は、現・名古屋鉄道(名鉄)の前身事業者である旧・名古屋鉄道が、貴賓車としての運用を前提に1927年(昭和2年)に1両導入した電車である。導入後間もない1927年(昭和2年)11月に、同社犬山線において日本国内の民営鉄道として初めてお召し列車が

名鉄ト100形貨車

トフ1形は1960年(昭和35年)、チ40形は1963年(昭和38年)に形式消滅した。 [脚注の使い方] ^ 名鉄での用途記号の「トフ」は手制動のある無蓋車のことであり、無蓋緩急車のことでは無い。 清水武・田中義人・澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォトパブリッシング、2021年。ISBN 978-4-8021-3270-1。 

東美鉄道デボ100形電車

側面は荷物室側の運転台にのみ500 mm幅の乗務員扉を設置し、逆側の運転台には同幅の側窓を設けたのみで乗務員扉は省略された。側面3か所に設置された920 mm幅の片開き式側扉のうち、乗務員扉寄りの1か所を荷物用扉とし、乗務員扉と荷物用扉の間に設置された440

尾西鉄道デボ100形電車

尾西鉄道デボ100形電車(びさいてつどうデボ100がたでんしゃ)は、尾西鉄道が1922年に導入した木造両運転台の通勤形電車。 1922年(大正11年)にデボ101 - 103が1925年(大正14年)にデボ104-108の計8両が日本車輌製造により新製された。1925年(大正14年)に尾西鉄道は(

三岐鉄道モハ100形電車

一部を木造とした半鋼製車体である点が異なる。なお、全車とも導入に際して、外板張り替えによる車体修繕および外板張り替えに伴う窓上下の補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)の平帯化・非パンタグラフ側運転台への乗務員扉増設(モハ100形・モハ110形のみ)・前後妻面への貫通幌新設・原形では一段落とし窓構造であ

三河鉄道デ100形電車

三河鉄道デ100形電車(みかわてつどうデ100がたでんしゃ)は、三河鉄道が新製した通勤形電車。後年三河鉄道が名古屋鉄道(名鉄)へ吸収合併されたことに伴い、モ1080形と改称された。 1926年(大正15年)2月5日、三河鉄道が猿投 - 大浜港間を電化した際に導入した車両がデ100形である。全長約1

大阪鉄道デハ100形電車

1966年からは両運転台で残っていた車両のうち、養老線へ転属したモ5651・5663を除く6両についても順次片運転台化されている。またM三動弁であったブレーキについても、1969年ころからAMA(A動作弁のA自動空気ブレーキ)に改造されている。 製造時より南大阪線系統で使用されていたが、デハ104・114は1929年の